あび卯月☆ぶろぐ

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ビートたけしに藉口して「聖火リレー」を語る

2008-04-30 03:25:54 | 政治・経済
芸人の中で誰が好きかって、私はビートたけしが大好きで、特に譬えの巧さにはいつも感嘆させられる。
で、二十九日の東スポにこんな文章が載ったという。

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北京五輪の聖火リレーで萩本欽一さんに何か投げ付けられたってね。
オイラは「聖火持って逃げろ」とか言ってたんだけど。
あの人は何でやんないかな?バカだな~
オレだったら絶対、火を消したり間違って水の中に落っこちたり、ギャグしか考えないけどな。
何かやれよほんとに(笑い)。お笑いなんだから。

この人おかしいよ。お笑いのくせに、愛と涙ばっかりしやがって。
インチキくせえことばっかり。お笑いなのに何にもギャグやんないんだから。

この人チャップリンに憧れててさ、「愛と感動の」なんて言うんだったら、
今回の聖火ランナーになるのはおかしいよな? チベットの人権問題を考えれば。
例えばジャージをパッと脱いだらその下に「チベットを救え!」とか書いておくとか、
そういうパフォーマンスでもしてくれないとちっとも面白くねぇし。

大体お笑いなんて反逆的なことじゃない? 国に媚びるような芸人なんて面白くない。
そういうのは星野仙一さんに任せておけばいいんだよ。

それにこの聖火リレーって障害を持った人が走るとか「お涙ちょうだい」みたいなこともやってるじゃん?
でも今回はその前にチベットだと思うよ。まあ今度マカオのカジノに行くんで、
中国の悪口ばっか言ってると追い出されるのが怖いからこの辺でやめとこうか?

あと善光寺も辞退したんだよな。別に火をつけられるわけじゃないのに。どうせなら牛に引かせりゃよかった(笑い)。
「牛に引かれて善光寺参り」と言うしさ。牛の角に聖火2つ付けて暴走させたら一番笑うけどね。
そしたら乱入男なんて言っても、牛を相手じゃ誰も止められないって。邪魔するヤツは誰もいなくなって
「日本らしい」ってなるんじゃない?

まあオリンピックなんて「世界の人の祭典だ」なんて言うけど結局は経済に決まってんじゃん。
赤字出してまではやろうとは思ってないし。
「ひともうけしよう」とたくらんでるだけなんだから、きれいごと言ったってしょうがないって。
でも今回は本番前にこんなに荒れたんじゃ、オリンピックなんてやめた方がいいよ。

(四月二十九日付東京スポーツ「たけしメッタ斬り!欽ちゃん芸人失格」より )

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北京五輪の聖火リレーについて私も何か書こうと思っていたけれど、この文章には敵わない。
もう、面白くて面白くて。
私なら政治問題を書く時トコトン政治的な文章になるから駄目だ。
こういう風にユーモアを交えて書くのは難しい。

それに、萩本欽一の偽善者っぷりを痛快に指摘しているのもいい。
ホント、あの人は芸人失格というか、別に芸人の範疇に入れてもいけど、毒にも薬にもならなくてちっとも面白くない。
萩本はチャップリンを尊敬しているという。
人によっては萩本をして日本のチャップリンなどと言う者がある。
冗談じゃない。
チャップリンは今の中国共産党と同じようなことをしていたナチスに反対して『独裁者』という映画まで作ってヒトラーをさんざんコケにした。
彼が本当に日本のチャップリンなら胡錦濤に扮して『共産主義者』なんて映画でも作ってしかるべきだ。
まぁ、そんな骨のある芸人は日本には居ないだろうけど。

あと、ビートたけしが指摘しているようにオリンピックなんて、結局は経済で、裏で金が飛び交っているし、平和の祭典なんて言うけれど、政治まみれ。
温家宝は
「われわれは、オリンピックの主旨と憲章を尊重しなければならない。その主旨は、オリンピックを政治問題化してはならないというものだ」(北京 2008年3月18日 ロイター)

なんて云っているけれど、当の中国は政治的な理由で過去に七回も五輪をボイコットしている。
その内、六回は台湾問題、一回はソ連のアフガニスタン侵攻が原因だ。

第一、聖火リレーの起源は1936年のドイツ・ベルリン五輪で、
当時ナチスドイツの宣伝相ゲッペルスが考案したとされている。
早い話が、聖火リレーはナチスの宣伝の為に生み出されたようなもの。
その出自からして多分に政治的なのである。

今回、そのプロパガンダ装置であるはずの聖火が全世界で中国のチベット問題を宣伝する装置として使われたことは皮肉ながらも良いことであった。
テレビのコメンテーターなどは「こんなことでは聖火リレーをする意味が無い」などと言う人が多くいたが、今回ほど意義深い聖火リレーは無い。
そういうわけで、私は今度の聖火リレーは大成功であったと思っている。

光市母子殺害事件判決について

2008-04-27 14:36:33 | 社会・世相
今月二十二日、光市母子殺害事件の犯人に死刑判決が下された。 まだ最終確定ではないが、本村さんがここまでたどり着くまでどれほど心労があっただろう。
想像するだけで胸が締め付けられる思いがする。
今回広島高裁の楢崎康英裁判長は至極真っ当な判決を下した。
判決文に曰く
「起訴後、6年半以上経過してから新供述を始めたのは不自然。死刑回避のための虚偽供述で、酌量すべき事情を見いだす術(すべ)がなくなった」と。
つまり、あの弁護団のふざけた弁護を一蹴したかたちだ。

私がみるにあの弁護団の馬鹿げた弁護によって元少年は死刑になったようなものである。
畸形左翼に頼るからこういうことになったのだろう。
よく、犯罪者は精神鑑定を受けるが、私の妹が「むしろ、弁護士たちが精神鑑定を受けるべきだ」と云っていた。 我が妹ながらなかな良いことをいうと思った次第。

そんななか、朝日新聞は二十三日附の社説で
「見逃せないのは、被告や弁護団を一方的に非難するテレビ番組が相次いだことだ。最高裁の審理の途中で弁護団が代わり、殺意や強姦目的だったことを否定したのがきっかけだった。こんな裁判の仕組みを軽視した番組づくりは、今回限りにしてもらいたい。」
と書いた。
よほど、判決に不満があるのだろう。
テレビが騒いだから元少年が死刑になったじゃないか、と。

マスコミがあれだけ取り上げたのも本村さんの血の滲むような努力があってのことだ。
もし、本村さんがなにもアクションを起こさなかったら今頃、元少年は無期懲役となり、せいぜい十年もすれば出てきただろう。
元少年は友人に送った手紙の中で「無期はほぼキマリ、7年そこそこに地上に芽を出す」と書いていた。
そして、「選ばれし人間は人類のため社会道徳を踏み外し、悪さをする権利がある」とも。

本村さんの努力によってマスコミが、そして輿論が動いた。 朝日はそれが気に食わない。
自分たちの政治目的のためには情報操作をしてでも国民を煽動するくせに、自分たちの意に沿わない報道については「今回限りにしてもらいたい」と恫喝する。
さすが、中国を崇拝する新聞だけあって言論統制が好きとみえる。

こういう馬鹿は新聞だけではなく、大学教授にもいる。
青山学院大学の准教授、瀬尾佳美は自身のブログで「元少年に死刑は重すぎる」と題して、
「だが、この事件で死刑を求める“国民運動”には違和感を超えて恐怖さえ覚える。日本中で起こっている(犯人を)殺せ殺せの大合唱は戦慄以外のものではない。20日の本村洋氏の意見陳述も、「死ね」という以外のメッセージは何もなく、同情はするが共感はしない。」
「永山事件の死者は4人。対してこの事件は1.5人だ(まったくの個人的意見だが赤ん坊はちょっとしたことですぐ死んでしまうので、傷害致死の可能性は捨てきれないと思っている)」
「実際弁護団の主張は必ずしも荒唐無稽のものではないし」

などと書いた。
私はあんな気違い殺人鬼が無期懲役になって、再び社会に出てきてのうのと街中を歩くような世の中の方がよほど戦慄を覚える。
そして、あの弁護士団の主張が荒唐無稽でなかったら、この世に荒唐無稽なものなど存在しないことになる。
赤ん坊の命を0.5人としていることについてはいちいち言及するまでもない。
当然批判が来て、謝罪したが、この女の性根は変わらないだろう。
こんな者が准教授になれるのだから、大学とはおめでたいところだ。
もっとも、多くの大学教授が愛読している新聞が朝日という話だからかの新聞とメンタリティが似ているのだろう。

さて、元少年は「ドラえもんが何とかしてくれると思い、遺体を押し入れに」入れたと云っていた。
元少年よ、君は死刑を少しも恐れる必要は無い。
きっとドラえもんがなんとかしてくれるだろうから。