あび卯月☆ぶろぐ

あび卯月のブログです。政治ネタ多し。
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「お前らはタイヤだけ売ってろよ!」

2007-11-28 00:24:45 | 社会・世相
レストランを星の数で格附けする『ミシュランガイド』の東京版が出て数日が経った。
一般人からテレビ、新聞、石原慎太郎に至るまであれこれ感想や意見を述べるなどなかなか愉快な様相を呈している。
昨日もラジオで伊集院光さんが
「どうせ、絵に描いた餅。庶民はいけない店なんだ。」
「お前らはタイヤだけ売ってろよ!」
などと云っていた。
ヨネスケと阿藤快も随分悪口を言っていた。
曰く、「家庭の料理にこそ旨いものがある」
「青森の牧場で食べた母牛の初めての乳で作った豆腐が旨かった。高級料理店で食べるものばかりが旨いものではない」
「ラーメン屋やそば屋が入っていないのは納得出来ない」云々。

そんなわけで、ミシュランの評価にはどちらかというと批判的な意見が多いように思う。
私もはじめフランス人に日本の料理店を格附けされたくないと思っていたが、内容を聞き知ってそれほど悪いとは思わなかった。
調査員もフランス人だけでなく、日本人も二人参加している。
なにより、日本料理、日本文化を理解しようという姿勢が見て取れる。
その点私は評価したい。
それにヨネスケや阿藤快が言うような批判は的外れだろう。
たしかに、旨い物は高級料理店の専売特許ではない。
それ以外の場所でも旨い物は溢れているし、場所やシュチュエーションによっても旨さは違ってくるだろう。
しかし、ミシュランガイドは(予約可能な?)高級料理店に限ってランク付けをしたものであって、ラーメン屋、そば屋、焼肉屋の類ははじめから除外されている。
決して、ラーメンその他B級グルメを蔑ろにしているわけでは無いと思う。

このガイドブックで気をつけなければならないのは“東京版”といえど、全二十三区を対象にしているのではなく、九区のみの結果を掲載しているということだ。
それに味覚はどうしても主観的なものであるから、人によっては納得いかない結果も出ているだろう。
したがって、あくまでも参考程度にしたい。

そもそも、本当に良い店は自分の舌を、目を、足を使って探し出すものだと思う。
ミシュランガイドの仰せのままに、店を予約し、
「やっぱ三ツ星レストランは違うな」なんて言っている人が本当の通であるはずがない。
むしろ、自分の舌で良し悪しを判断出来ない人たちだろう。

ここまで書いて、ふと枯堂夏子さんの詞を思い出した。


本当においしいこと簡単にはあるはずがないわ。
だって本当のことは誰も云わない。
例えば行列してるラーメン屋さん。
「おいしい」なんてまるで思えないの。
ホントにおいしい店は他にあるわ。
だけど内緒にしてるだからテレビや雑誌には出てきたことがないの。

「ラーメンはまずい、とわたしは思う」より



良い歌だ。

江藤隆美氏、死去

2007-11-24 01:39:10 | 歴史・人物
元衆院議員の江藤隆美氏が22日午前、訪問先のベトナムで死去した。
江藤氏は総務庁長官などを務め、自民党の旧江藤・亀井派の会長だった。
マスコミには抵抗勢力、派閥政治家、利権政治家の権化のように扱われ一般にも甚だ評判が悪かったように思うが私は案外好きだった。
政治家として実際にどのような活動を行っていたかについては確かに評価の分かれることろであろうが、少なくとも歴史認識、国家観において氏は立派な政治家であったと思う。

総務庁長官当時の平成七年に、日韓併合についての発言が国内外の反発を招き、辞任に追い込まれたことがあった。
しかし、いま改めて読んでみても寸毫も問題ある発言だとは思えない。
むしろ私からみれば随分バランス感覚の取れた人であると思う。
そんな江藤氏をして新聞は「タカ派論客」などと書くのだからよほど頭の中が左巻きになっているのだろう。

以下、問題とされた発言を掲げる。


あれ(日韓併合条約)は無効だったと言い始めたら,国際協定は成り立たない。
サンフランシスコ条約でもほかに結びようがありましたか。日米航空交渉,日露
航空協定もそう。強い国と弱い国,ほかに方法がないわけだから。直接,脅かして
心理的,政治的圧迫があって結ばざるをえない。あの時はおれの国が弱くて
やっつけられたときだから仕方がなかった。
  日韓条約は日本が悪かった。日本が強引に判を押させたから。軍を配置して
暴動を起こさせなかった。民族を統合するというのは,そりゃ反対がある。
  しかし,日本はいいこともした。全市町村に学校をつくった。高等農林学校を作り,
ソウルに京城帝国大学をつくり,一挙に教育水準を上げた。まったく教育がなかった
わけだから,鉄道5千キロ,港湾の整備,開田,水利をし,山には木を植えた。
いいこともやったが,誇り高き民族への配慮を欠いた。それが今,尾を引いている。
  全国民に創氏改名をやらせたとは思えない。あのころ,同級生で朝鮮人名で
何人も勉強していた。そのままの名前で陸軍中将にまでなった人がいる。今日,
日本では経済界,芸能界,野球選手とあらゆる面で韓国人が活躍している。
韓国から日本に来て,あらゆる階層で活動するようになった。日韓併合条約の
大筋の効果だったかもしれない。
  朝鮮人蔑視の過ちをしてきたが,台湾には反省して戒めた。台湾では今も俺は
日本人だという人がいっぱいいる。おれは日本語以外使ったことはないという人も
いっぱいいる。日本の軍隊に参加した人もいる。だから朝鮮の統治について日本は
幼稚であり,無策であった。民族の誇りを傷つけた。部分的に日本の政策に
反対するものに弾圧をした。
  日本の侵略について,日本人全体としては植民地と思っていなかっただろう。
だから内地,外地と呼び,外地を内地の水準に高めようとした。李王朝の金銀
財宝を日本に持ってきて飾っているようなところはない。フランスのルーブル美術館,
イギリスの大英博物館は世界中からかっぱらってきた。日本は中国からも韓国からも
そんなことはしていない。



以上のような歴史的事実に基づいた至極真っ当な発言が「問題発言」とされた時代があったのだ。
いや、もしかすると今でも問題になるかもしれない。
だとするならば、我が国は戦中と変わらず、「本当のこと」が云えない国である。
いま、戦前を「言論の自由がなかった!」と高らかに主張している手合は同じ口で今の時代の言論を統制すべく「右翼」だの「タカ派」だのと叫んでいるのである。
まったく滑稽というほか無い。

他にも、江藤氏は韓国の金泳三大統領(当時)が村山富市首相(当時)との会談を取り消すことを進言したり、
「最近、中国・韓国などの不法滞留者が群をなして強盗をしている」
「『南京大虐殺の犠牲者は30万人』というのはウソだ」
と述べたり、
また、歴史教科書の「従軍慰安婦」記述にも反対していた。
ついでにいうと小泉改革にも反対していた。
いやはや、日本にもマトモな政治家がいたのである。

謹んで江藤氏の御冥福を御祈りしたい。

私の邦楽史 第四回「KENZI & THE TRIPSの魅力」

2007-11-17 00:55:12 | 音楽・藝術
銭形金太郎を見ていたらテーマ曲に「BRAVO!JOHNNYは今夜もHAPPY」が使われていて驚いた。
まさか、テレビでKENZI & THE TRIPS(以下、ケントリ)の曲を耳にするとは思わなかった。
今も昔もケントリの名を知っている人はごくわずかだろう。
ケントリは数々の名曲を生み出しているバンドだが不出世でほとんど世に知られていない。
もちろんパンク好きの間では有名だが、オリコンやテレビとは無縁である。
だから、私は自分だけの宝箱にそっとしまって密かに楽しむような心持ちで聴いていた。
そこに突如としてゴールデン番組のテーマ曲として抜擢である。
なにやら、隠していたものを天下に晒された思いがして少々気恥ずかしくもある。
とはいえ、ほんの十数秒流れるくらいでテロップにもケントリの名は書かれていなかったように思う。
今後も特に話題にはならないだろうが、ケントリは金銭的に全く恵まれていないので、少しくらいはCDの売上げに繋がればファンとしては嬉しい限りだ。

ケントリは1984年頃、結成された。
ヴォーカルのケンヂ(ふつうKENZIと表記される)率いるパンクバンドで以後、メンバーチェンジや活動休止を経て現在も精力的に活動している。
ケントリに限らず80年代パンクバンドはアーティストとして息が長い人が多い。
スターリンの遠藤ミチロウもいまだにアコギ一本抱えて全国を行脚しているし、町田町蔵も町田康と名を変えいまも活躍している。
後に紹介する予定のあぶあらだこやP-MODELの平沢進など挙げるときりがない。

ケントリはそれまでのパンクとは少々性質がちがっていた。
前に述べたように80年代J-PUNKの特色としてサブカル、アングラ、知的などが挙げられるが、ケントリはそのどの特徴も持ち得なかった。
元々、不良だったケンヂは落ちこぼれとして学校や社会に対してのルサンチマンを抱いていた。
そのルサンチマンこそが彼の音楽活動における動機の要因であったことは想像に難くない。
そういう意味ではそれまでのJ-PUNKに比べ、欧米のPUNKに近い。

KENZIは学校を「そこは死神住み着いたもう一つの世界」(DEAD SCHOOL)と定義し、「学び舎とは仮の名のふざけた空間」(同)と言い、教師に対しては「未来将来明日の為とアンタは言うけど俺の昨日は未だ未だ終わっちゃないのさ」(同)と嘯いた。
社会に対しては「歪んでる何もかも 真っ暗闇だ世の中」(裏切りのうた)と叫び、「心が片端の奴がこんなにも世の中氾濫して」いると嘆いた。
しかし、KENZIのうたう歌は決して暗くなかった。
常に希望を忘れていなかったし、曲の根底にはたしかに愛があった。
「BRAVO!JOHNNYは今夜もHAPPY」がまさにその典型で底抜けに明るいこの曲は、KENZI自身も公式サイトで「全ての理不尽・不条理をテーマにした曲。言ってみりゃ正義の味方の曲だ」と書いている。

学校批判、社会批判、愛・・・こう書くと尾崎豊のようだがケントリが尾崎と決定的に違ったのは笑いと遊びがあったことである。
尾崎にも笑いや遊びがないとは言わないが、尾崎の歌には歌を聴いていてアハハと笑うことを許してくれない。
もともと真面目な生徒だった尾崎は歌に対する姿勢も真面目で真摯で本気だ。
ところが、KENZIの歌にはどこかおどけた感じがある。
彼自身ちょっと天然の気があることもあり、全篇通して真面目な曲というのはあまり見当たらない。
本人も「俺は無意識の間にバランスをとるのが得意だ」と言っていてその点、自覚しているようだ。

随分後に流行る青春パンクとも違うのは青春パンクは愛、というより恋愛が前面に出すぎて私などは鼻につくことしばしばだが、ケントリの曲にあらわれる恋愛はおよそ抽象的である。
青春パンクバンドのほとんどはその思いをストレートに表現する。
いわば露骨なのだが、ケントリはその点バランスがとれていると思う。
別れた女性への思いをストレートに表現した「OK! ALL RIGHT」なんて曲もあるがあれもどこかおどけた感じがして良い。
だから、それまでのJ-PUNKと比べればそうでもないが、青春パンクと比べたらケントリの歌詞はずっと文学的だ。(裏を返せば意味不明な歌詞も多いが)

ところで、ケントリには「BAILEY」という反戦歌があるが、これなどは珍しく全篇に亙り真面目に歌っている曲で、私は80年代J-PUNKにおける反戦歌の中で一位二位を争う名曲ではないかと思っている。


教えて欲しいのさ 世界の国の中で
一番偉い民族は一体 何人(なにじん)だい!
生き残らなければならない 人間は誰なんだい
教えて欲しいのサ その人の名前を



ケントリの最大の武器は歌詞もさることながらその音楽性の高さだろう。
ケンヂは全くこの音楽の才能に恵まれていた。
1986年前後、ケントリの全盛期で当時結成して間もないブルーハーツよりもずっと人気があった。
こんなエピソードもある。
ある時、ケントリとブルーハーツと対バンした。
ブルーハーツのヒロトはケンヂの破れたジーパンを見て、「ケンヂ、お前そんな破けたジーンズを履いて・・・」と言った。
もちろん、破けたジーンズを履くのはオシャレのためで、ヒロトにはそれが理解できなかったらしい。
が、一週間後、ヒロトはケンヂの真似をして破れたジーンズを履いてきたという。
いわば、ブルーハーツはファッションにおいてケントリをお手本にしたのだ。
ある雑誌のインタビューでケンヂは「(当時は)向こうの方がダサかったね(笑)」と懐かしそうに回顧していた。

実力がありながらケントリは不遇のバンドであった。
インディーズ時代に出した1stアルバムはケントリの最高傑作との評判が高いが、長く廃盤になっている。
権利関係の問題で再発は難しいという。
これだけとっても不遇感が否めないが決して売れないバンドではなかったはずだ。
ケントリに缺けていたのは「戦略」の一言に尽きる。
ケンヂのキャンペーン嫌いは有名でインタビューなどもインタビュアー泣かせだったと聞く。
宣伝はもっぱらスタッフまかせだった。
良く言えば商売っ気がなかったともいえるが、売れるためには商売っ気はどうしても必要である。
そういう意味において、ブルーハーツの方がずっと巧かった。

近年、ケントリの過去の音源の再発が続いている。
いわばケントリ再興といったところだが、売上げはかんばしくないと見る。
ただ、ケンヂはいまではキャンペーンなどに積極的になり、公式サイトをつくりインターネットでの取り組みにも力を入れている。
上で1stは廃盤と書いたがいまファンクラブに入ると特典という名目で手に入れることが出来る。(なるほど、販売しなければ権利関係がクリアできるのか)

ゴールデン進出(?)を一つの契機として、ケントリの音楽が多くの人に知られることを願いたい。

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なお、ケントリの曲の歌詞はほぼすべて公式サイトで確認できるので参考とされたい。
http://www.kentori.net/pc/index.html


私の邦楽史 第三回「ザ・スターリンの登場」
私の邦楽史 第二回「日本パンク黎明期とINU」
私の邦楽史 第一回「パンクの起源」

伊集院光・著『のはなし』 改訂版

2007-11-11 00:28:21 | 書評・雑誌
今日、書店で伊集院光の『のはなし』を手にとって奥附をみてみると第三刷とあった。
伊集院さん本人もラジオで言っていたようにじじつ売れているようで、ファンとしては嬉しい限りだ。
ベストセラーが大嫌いでベストセラーと名のつくものはなるべく避けてきた私だがこの本ばかりはベストセラーになって欲しいと節に願う。
いや、やっぱり“ベストセラー”にはならなくてよいかな。
まぁ、少なくとも岡田斗司夫の本よりは売れて欲しいな(笑)
(それじゃあ十分ベストセラーだね)

この本、私は出版されてすぐに買って読んだが、好著であった。
ファンの間でテレビに出ている伊集院光を白伊集院、ラジオでの伊集院光を黒伊集院と呼んでいる。
多くの人は白伊集院しか知らないだろう。
すなわち、さんま御殿やスパーモーニングなどで無難な面白話、あるいはコメントをするデブというイメージである。
ところが、ラジオでの伊集院光はそれとは全くの別人である。
実際に聴いてみるのが一番だが、とにかく脳汁垂れ流しという表現がピッタリなほど、毒とシュールと下品と自己嫌悪とお馬鹿に満ち溢れている。

私はそんな黒伊集院が大好きなのだが、本書『のはなし』の語り手である伊集院光は黒でも白でもなく灰色なのだ。
いや、どちらかというと白に近いのだが、テレビでもラジオでも見せない姿を見せてくれる。
ほとんどは面白話をベースとしているのだが、その中にしみじみと感動できる話なども入っていて、白黒どちらの伊集院を知っている人も意外に思うだろう。
もっと正確に言うと、本書のなかでは白をベースに黒と灰色が混じっている。
まず、白の文章から紹介しよう。


二年くらい前だろうか、おちんちんが急に痒くなって困ったことがある。
(略)
とりあえず、痒み止めが欲しいのだが、場所が場所なだけに何でも良いというわけにはいかないだろう。
すぐそばの太腿に塗って何でもないアンメルツが、ほんの少量付着しただけで「火事だー!」となるあの場所だもの。
(略)
しかし、一番の難関がレジでの尋ね方だ。
「おちんちんが・・・」とはいい出しにくい。
「こういう場所[註:薬局]だから医学的な表現なら問題ないか・・・」と思ったが、おちんちんを表す医学用語は洋物ピンク映画のタイトルの定番になっているカタカナ三文字のアレだろう・・・とてもじゃないが口に出せない(略)」
(略)
レジにいた白衣のおばさんから「何かお探しですか?」といわれた。もうこうなったらいうしかない。この期に及んで一瞬だけ「股間のエッフェル塔が・・・」と小粋なパリジャン風の言い回しも浮かんだが、・・・

「あそこが痒いの話」より



失礼しました。
どちらかというと黒の方かも知れませんね。
伊集院さんはこういう話をさせると天下一品だ。
ハナから下ネタで申し訳ないが、股間が痒いというある意味ではなんでもないような話を最大限に膨らませて面白くする才能に恵まれている。
「火事だー!」という箇所には声を上げて笑わせてもらった。
男性なら一度はこういう経験あるのではないだろうか。
また、伊集院さんは洋物ピンク映画、略して「洋ピン」という表現が大好きで、ラジオでもたびたび聴かれる。
洋ピンは伊集院さんにとって(私にとってもだが)、エロの対象ではなく、笑いの対象である。

『のはなし』は基本的にこのような日常の些細な出来事を語ったものや少年時代や中高生時代の思い出話によって構成されている。
伊集院さんはラジオでもそうだが日常のなんでもないような出来事を膨らませて面白くする才能に長けている。
また思い出話も十二分に面白く話してくれる。
私もお手本としたい。

では次、「プールの話」から。


何より嬉しかったのが、プールの授業がスムーズに進んだ日にだけ与えられる『自由タイム』だった。
四時間目も残すところあと10分、プールサイドに全員が上がった状態で先生がおもむろにいう。「まだ少し時間があるな・・・」
その言葉を聞いてから誰からともなく湧き上がる『自由コール』。
「ジ・ユ・ウ!ジ・ユ・ウ!ジ・ユ・ウ!」それはいつしか大合唱となっていく。
ある者は手をたたき、ある者は足を踏み鳴らし、ある者は天に拳を突き上げて「自由!自由!自由!」。
しばらく黙ってその様子を伺っていた先生がいう。
「それでは・・・」。
一瞬、水を打ったように静まり返る群集。
そしてついに先生の唇が動く「・・・自由!」。
歓喜の声を上げ、次々とプールに飛び込む民衆、上がる水しぶき。
そうだ!われわれは自由を勝ち取ったのだ!
『自由』。なんという素敵な響きなのだろう!
犬掻きでも潜水でも何でも良い。
縦だろうが横だろうが決まったコースなどない。
塩素を踏もうが、帽子に水を汲もうが思いのまま、それが「自由」なのだ!



これなどは伊集院さんの文章の中で白眉とも言うべき箇所である。
こういう表現はラジオでもよくしていて、いつも爆笑させられる。
つまり、これも日常のなんでもない風景を誇張ないしは別の物語性を附加し、気が附くとまったく別の世界になっている。
ここでは、はじめ登場人物は小学生だったはずなのに気附くと階級闘争に勝利したプロレタリアートになっている。
私には目の奥には児童の足に鎖の後が見えた。

伊集院さんはラジオで自分の文章力の無さが嫌になるとの旨の発言を繰り返しており、それゆえ、本を出すことも何度かためらったようだが、なかなかどうしてこんな面白い文章なかなか書けたものではない。
すべて紹介しきれないが、これ以外にも伊集院さんの文章は本当に面白い。
いくら技巧に優れた文章でも内容が良くないと意味が無いし、技巧は訓練すれば巧くなる。
しかし、面白い文章を書くにはある程度、才能に左右される面がある。
私は伊集院さんの文章を読んでその才能を羨ましく思った次第である。

さて、お次はちょっといい話。「警備の話」から。


思い起こせば、17歳の時にお笑いを始めて今にいたるまで、小さいながらも「あ、俺いま一ランク上がった」と思う瞬間が何度かあった。
(略)
そんな中で今でも強く覚えているのが22歳の時の「岩田さんに認めてもらった瞬間」のことだ。
岩田さんは石川島播磨の造船工場を定年まで勤め上げ、それでも残った住宅のローンのために警備員をやっていたおっさんで、昭和から平成にかけての激動の時代に有楽町のニッポン放送の正面入り口の警備を担当していた人だ。
岩田さんは頑固なうえに責任感の強い人だから、ニッポン放送の入り口を通ろうとするあらゆる怪しい人物を止める。
っていうか完全に怪しくない人以外全員止める。
「生放送に間に合わない!」と駆けてくるリポーターも見逃さない。
「生放送に間に合わないリポーターを装った敵」の可能性があるから。
おそらく背中に大きく「リポーターでございます」と彫ってあっても入れないと思う。
むしろ入れない。そんなリポーター普通いないから。
20歳そこそこで、ラジオ局に出入りするようになったばかりの僕なんて当然ストップだ。
(略)
その後、オールナイトニッポンの二部を受け持つようになってからも、社員ディレクターが同行してくれているとき以外は岩田ストップ。
それがそのうち「あんたが悪い人間じゃないのはわかってるけど、俺も仕事だからよ」と声をかけてくれるようになったものの、受付行き。
そんなある日、いつものように岩田ストップを覚悟して入り口に行くと、岩田さんが僕を止めない。
「やや、岩田さんが僕を止めない、これは岩田さんを装った敵なのでは?この岩田さん風の警備会社の社員証を確認すべきなのでは…」と思いつつ、こっちから「あの…受付に行かなくていいんですか?」と尋ねると、岩田さんが入り口のロビーの壁を指差していった。
「随分出世したね」。
そこには、その日から始まった深夜番組聴取率強化キャンペーンのポスターがあって、中央に僕の顔写真がでかでかと載っていた。
たった一ヶ月だけの社内向けキャンペーン用に、オールナイトニッポンのパーソナリティの中で一番ギャラが低かったのを理由に起用されたのだが、ポスターそのものよりも岩田ストップなしで入り口を通過できたのがすごく嬉しかった。
初めて岩田さんに止められて実に2年の月日がたっていた。



こういう話はラジオでは滅多に聴けない。
伊集院さんは高校生のとき、三遊亭楽太郎に弟子入りする。
ところが、転身しラジオパーソナリティーを目指す。
『激突!あごはずしショー』というオーディション番組を経てオールナイトニッポンの二部を担当することになったがその時点でも楽太郎には隠したままだった。
伊集院光という芸名は自分であることを楽太郎にバレないために、優雅で自分とは似つかないという理由で附けたものだ。
この頃、伊集院さんは波乱万丈だった。
いわば死にものぐるいで頑張っていた時期である。(勿論、いまも十分頑張られていると思いますが)
それゆえ、岩田ストップを掛けられなかった時の喜びはひとしおであっただろう。
伊集院さんはラジオ界に入り、ラジオ界で奮励努力し、ラジオ界で出世した人だ。
伊集院さんほど、ラジオを愛している人間は居ないのではないだろうか。
だから近日公開された『Little DJ』という映画の中でディレクターが深夜三時以降のラジオを蔑ろにする姿勢を当り前のものとして描いており、その表現に本気で怒っていた。

また、本書を読んで伊集院さんの師匠である三遊亭楽太郎に対する敬愛の念が伝わってきた。
普段ラジオでは楽太郎に対して悪口のようなことしか言わないが、心の中では尊敬しているのだろう。
そんな師匠にまつわる話でもっとも心に残った箇所を紹介して終わりとしたい。


昔カバン持ちをしている頃、僕の師匠の三遊亭楽太郎が「俺さ、ステーキとか食っても贅沢しているって充実感は湧かないんだけど、吉野家の牛丼大盛りに玉子乗せて、その上に牛皿の大盛り乗せると『罰当たりなくらい贅沢してる』って思うんだよね。1000円くらいのもんなのに」っていったのを聞いたとき「この人のいっていること正しい」って思った。

「「お金持ち」の話」より



こういう感覚を持っていない人とはお友達になれない気がする(笑)

斎藤環「おたく神経サナトリウム」感想

2007-11-10 01:29:30 | 書評・雑誌
自称、日本一「萌え」に詳しい精神科医、斎藤環さんがゲームラボの連載(「おたく神経サナトリウム」)に麻生太郎のことと昭和天皇御不例時についての感想を書いていた。
斎藤氏曰く、
麻生太郎はオタクに人気があるようだけど、オタクは麻生太郎を見誤ってないか。
麻生氏は漫画規制に賛同していたし、るろうに剣心も知らない。
ローゼンメイデンを読んでいた事実も怪しい。
いま、オタクに媚びているけれど心の中では軽蔑している筈。・・・云々。

私はかねがね麻生太郎を支持していて麻生氏の地元民であることを嬉しく思っている。
私が麻生氏を支持する理由はその政治姿勢であって、オタクに対して好意的であるとか漫画好きであるとかは二次的な問題である。
ただ、麻生氏がローゼンメイデンを読んでいたのは事実だ。
取材で本人も認めており、作品の感想まで述べている。(画像参照)
無論わたしは漫画規制に反対なので氏が漫画規制を積極的であるならば、その点は支持しない。
とはいえ、斎藤氏の指摘はもっともでオタクは少し麻生氏に幻想を持ちすぎているきらいがある。
麻生氏はオタクではなく漫画が大好きな非オタクである。
そもそもオタク文化なんて政治家に理解されなくてよい。

もう一つ、昭和天皇御不例時についてだが、あの時、全国に自粛ムードが蔓延して、崩御後も延々と追悼番組を放送されて閉口したとの内容。
これは、最近殺人事件などが起こると「あのアニメの影響だ!」などと言われ規制されることが多くなった、との話題から敷衍して書かれたものなのだが、
その時の対応について「みんな、そんなに天皇が好きなのかよ」との一文があったので私としては少々残念であった。
私も崩御前の過度の自粛は望ましくないと思うが、崩御後の自粛ムードはやむ終えなかったと思っている。
特に公官庁、各メディアの対応は妥当であったと考えている。

例えば、親戚が亡くなったとしてその人が好きだったか嫌いだったかとは別に儀礼として葬儀に参加するだろう。
そして、その場では神妙な顔をしておくやみの一言でもいうのが礼儀である。
まして、日本国の(少なくとも国際的には)元首たる天皇陛下が崩御したとあっては公官庁は当然として、民間企業のメディアとて儀礼的にでも喪に服するのが当然と思うのである。
たしかに「みんな、そんなに天皇が好きなのかよ」という指摘も、もっともだ。
特に若い人は「天皇が死んだかなんだか知らんが早く通常放送に戻ってくれ」、「学校が休みになったラッキー!」なんて思っていた人が多かったと思われる。
しかし、公的な儀式には表向きのポーズと本心とに乖離があって当然であって、最近のアニメ規制と同列に論うべきでない。

ついでにいうと、公的には日本は二日間喪に服したがインドは三日喪に服したという。(ブータンでは一ヶ月喪に服したという情報がネット上に転がっていたが本当だろうか)
また、台湾でも多くの老人が涙したといわれている。


[註:平成十九年十一月十一日(日) 加筆]

九州共立大学学園祭ライブレポ

2007-11-05 23:43:45 | 音楽・藝術
柄にも無く学園祭ライブのレポなんてものを書いてみようと思ふ。

昨日(四日)、ガガガSPとSTANCE PUNKSの学園祭ライブがあるというので、
委員長と折尾にある九州共立大に行ってきた。
私は学園祭のノリが苦手で自分の大学の学園祭にも四年間で一度だけしか行ったことがない。
どうも若者というか学生が大勢居るところは嫌いなのである。
今回も敵地に侵入する心持ちで行ってきた。

敷地内に入ってみると、テニスの練習(壁打ち)をしている娘がいる。
「ほう学園祭なのにサークルの練習か」と思っていると後で委員長に「さっきのは高校生だよ」と教えてもらい驚いた。
共立大は自由ヶ丘高校と同じ敷地にあるのだという。
知らなかった。

ライブ会場を探しながら歩るくが一向に解らない。
甚だ広い敷地に看板が不案内である。
それにしても人が少ない。
私はもっと大勢人が居て人間をかき分けるように敷地内を移動するだろうと踏んでいたので拍子抜けした恰好だ。
人が居ないと居ないで不安になるものである。
結局、委員長が執行委員に尋ねて会場が判明した。
ライブ会場にはそれなりに人が居て安心した。

17時になって、まづ中間市出身のコンバンドというバンドが演奏を始めた。
まだまだ、人は少なくぐだくだ感が漂う。
コンバンドのボーカルはあのぐだぐだの中でよく勤めを果たしたと思う。
曲は印象に残らなかったが、その点は評価したい。
ところで、コンバンドのバンド名の由来を述べて曰く、
「コンバンドって繰り返し言うと、別の言葉に聴こえてきますよね。コンバンド、コンバンド・・・今晩どう?これは別に下ネタで附けたわけじゃなくてですね・・・」
で、話によると、ある日路地を歩いているとガタイの良い見知らぬ男に肩を叩かれ、振り向いてみると「今晩どう?」と言われて、それが由来だという。
・・・いや、結局下ネタじゃん。

次に登場したバンドは長崎は佐世保からやってきたURBANフェチ。
ボーカルの野田耕平氏は佐世保からガソリンをたっぷり入れた車でやって来ましたと言っていた。
このURBANフェチ、あまり知られていないがプロバンドである。(もちろん私も知らなかった)
今年の三月にはミニアルバムも発売している。
しかし、前出の野田氏によると今までに入ってきた印税は三千五百円で、改めて世の中の世知辛さを実感したという。
一曲目(たしか)はその世知辛いなぁという気持ちを歌にした曲。
タイトルは長くて忘れた。
つづけて「NANISAMAや」という曲を演奏してくれたが、この曲には秘密があって、“ある人”に対して「何様や!」と言っている曲なのである。
ある人が誰であるかここに書いてしまうといろいろと問題(URBANフェチの今後とか)が起こりそうなので知りたい方は私に直接訊いてください(笑)
URBANフェチはパンクバンドであるらしく、どの曲もかなり激しい音をかき鳴らしてくれた。
また、バラードも一曲演奏していたが、これが音楽的には最もクオリティが高かった。
いま、URBANフェチイチオシの曲は「左折するとラブホ」であるという。
この曲ではプロモも作られている。
他にも、「FUDEOROSHI(筆おろし)」、「SM天国」とか・・・。
うーむ、このバンド、シモで売るのは難しいのではかろうか。
仮にシモ路線でやるならやるで徹底的にやる方が良い。
決して才能が無いわけではないと思うので戦略を巧くやれば売れると思う。

さて、とうとうSTANCE PUNKSの登場である。
STANCE PUNKSは委員長から教えられて知った。
ブルーハーツの亜種といったバンドで、初めてCDを聴いたとき、ヒロトが歌っているのかと思った程だ。
今回のライブのMCもブルーハーツ時代のヒロトの言葉運びと似ていて愉快だった。
ところで、チューニングの段階でドラムの音を聴いたがやはりプロバンドは違うと委員長共々感嘆した。
このあたりから俄然聴衆が増えてきた。
一曲目はやはり、「すべての若きクソ野郎」。
演奏が始まると一段と盛り上がってきた。
何故か音がやけに大きかったのには閉口したが、なかなか熱い演奏だった。

最後はガガガSP。
六月につづいて、ガガガに会うのは二回目だ。
こんなに早く再会できるとは。
私は後方につけて眺めるように聴いた。
曲目は「国道二号線」「弱男」「My First Kiss」「晩秋」「線香花火」など。
「My First Kiss」は「はじめてのチュウ」のカヴァーで日産セレナのCMソングにも使用されている。
当り前のことながら、あのCMのまんまの歌声だったのでちょっぴり感動した。
コザック前田さんは予定より一曲多く歌ってくれた。
客のノリが良かったからだろう。(ブログ記事を検索してみるとマナーが悪かったとの指摘もあったが)
全演奏終了後、アンコールも連呼されたが執行部の釘宮理恵の声に似た方の「本日の演奏は全て終了いたしました」との旨を告げる放送と共にライブは終了した。

その後、上げられた花火は大変美しうございました。

福田新体制、成るか

2007-11-02 22:56:06 | 政治・経済
いましがたテレビニュースで知ったのだが、福田首相が小沢民主党党首に連立を打診したという。
実現すれば、文字通り大連立である。
近衛新体制ならぬ福田新体制といったところだろうが、果たして実現しますかどうか。
実現したとすれば、一見、大政翼賛会のような趣だ。
おそらく今後、評論家たちはこの大連立構想について「大政翼賛会」という単語を用いて批判するだろう。
しかし、そう云って批判する人たちはお世辞にも大政翼賛会について理解しているとは言えない。
大政翼賛会とはその前段階として近衛新体制運動があり、帝国憲法改正乃至弾力的運用を含む、全政治、経済、社会体制の変革を目指すものであった。
しかもその変革は平たく言えば社会主義思想に基づくもので、換言すれば日本版の社会主義革命を目指していた。
社会党の前身である社会大衆党がこの新体制運動に賛同を示していたという事実が新体制運動の性質を如実にあらわしている。
そして、その構想が不完全なものとして言わば妥協の産物として出来上がったものが大政翼賛会であった。
つまり大政翼賛会構想は国内の大改革を念頭に置いた積極的な理由に端を発したものに対して、福田新体制構想は政権を維持したいという消極的な理由に基づいたものなのである。

私は連立など生ぬるいことは支持しない。
いっそのこと、自民党と民主党は連立ではなく合同して、しかる後に二つか三つの党に分かれれば良いのだ。
はっきり言って私は支持議員は居ても、支持政党を持たない。
例えば自民党にも民主党にも支持している議員が居る。
しかし、同時にあんな国賊乃至、売国奴は一刻も早く辞表を提出しろといいたくなるような議員もいる。
だから、どの党が良いとか悪いとか一概に言えないのだ。
全くもどかしい。
だからこそ、ある程度政策が近いもの同士で集まって党を作って欲しいのだ。
そうすれば比例でどの党に入れると良いか解りやすくなる。
とりあえず、自民、民主の両党の議員は反米保守、親米保守、反米親特アの三つくらいに分かれてはどうか。
反米保守は経済政策においては社会主義的である。当然格差社会を許さない。
親米保守は市場原理主義。格差社会萬歳。
反米親特ア(特ア=特定アジア=支那、北朝鮮、韓国)は解りやすく言うと旧社会党のような党。(あれ?じゃあ、社民党の存在意義は?)
これだとすごく解りやすくていい。


・・・書き終えたとき、小沢党首は連立を蹴った報道がなされていた。

ケータイを持ったサルというか、ケータイがサル

2007-11-01 23:43:40 | 雑記
正高信男の『ケータイを持ったサル』という新書がある。
以前、立ち読みで少し読んだ。
アマゾンのレビューなどで著者の言いたいことはおおよそ理解した。
一言でいうと街中や電車内で、しかも家に帰ってまでもケータイばかりいじっている若者が気に食わないということだろう。
で、そういう奴らは如何にサルかということを色々怪しげなデータを使って検証しているらしい。
いや、読んでないから間違っているかもしれん。
しかし、私に言わせれば若者ってケータイを持とうが持つまいが元来サルなんじゃないの?あはは(笑)

さて、若者叩きはこのくらいにして、最近のケータイはまことに悪い。
私は若者をサルという前にその若者が持っているケータイの方がサルだと思っている。
機械にサルも人間もないのだけども、とにかく昔のケータイよりも明らかに動作が遅くなっている。
私が使っているケータイはドコモのものだが、とにかく動作が遅く、使い勝手が悪くなっている。
動作が遅くなったのは余計な機能をつけているからだろう。
使い勝手が悪くなっているのはどういうわけかしらん。
だから、今のケータイはサルというよりも知識ばっかり詰めすぎて頭でっかちになって融通のきかない人間に近い。

私はPシリーズを使っている。
これでも以前より遅くなったと感じているのだが、妹が使っているSHシリーズはもっと酷い。
auやヤフーのケータイもこんなにもっさりしているのか、使っている人に尋ねてみたい。(註:動作が遅いことを「もっさりしてる」と言う)

兎にも角にも今のケータイは余計な機能を附けすぎである。
お財布機能なんぞいらん。デコメールなんざうざったいだけだ。
電話とメールと写真機能があればそれで十分である。
ドコモから鞍替えする気はないから、ドコモにお願いしたいのだが、もっとシンプルで動作が早いケータイを作っていただきたい。
また、ドコモは色やデザインの種類が圧倒的に少ない。
料金の面だけではなくこの点で、他者より劣っているため、ドコモは最も客を減らしているのではなかろうか。

とかなんとか思ってるとドコモが冬のケータイ商戦にむけて新シリーズを発表した。
色やデザインも豊富にしたという。
あとはあのもっさり感が解消されていらば文句はないのだが・・・。