つながりあそび・うた研究所二本松はじめ

二本松はじめ(ピカリン)の活動予定や活動報告、日頃、考えていることなどを書きます。研究所のお知らせも掲載します。

抱っこ通信1222号 金子みすゞ④

2021年12月10日 | 抱っこ通信
金子みすゞも素敵だが、みすゞを蘇らせた力の方がもっと素敵④
自分自身の主人公として成長したいという子どもたちと、子どもに寄り添う親・先生たちの力が

みすゞの故郷、仙崎に行ったよ
 毎年1月末頃から2週間くらい、九州につながりあそび・うたの旅に出ます。今年も行ってきました。直接、九州に入るのではなく、途中途中で素敵な出会いとつながりあいをつくっていきます。
 今年は、愛知県幸田町で保母さんやお母さんたちが36回も続けているあそぼう会にお邪魔をしたり、広島市中区の親子劇場のお母さんグループ(1回もレッスンに出会ったことがない。いつも一緒に遊んだり食べたり飲んだり踊ったりの素敵なお母さんたちです)「ニギヤカーナ」主催のお座敷コンサート(こんなのをやりたいのだ)と、楽しく車を走らせながら九州に入りました。
 広島から九州に入る時、時間が空いたので、金子みすゞの生まれた仙崎(現在の長門市)に行ってきました。もちろん、金子みすゞ記念館や仙崎の海、みすゞ通りなどもみてきましたよ。考えてみたら4年前にもこの街を通過しているのです。確か九州ツアーの帰りに湯田温泉に泊まり、萩に寄ったときです。その時は金子みすゞに、まだ出会っていなかったのですね。

人間らしく飛び立ちたい
 なぜ、金子みすゞはあのような素敵な作品を生み出すことができたのでしょうか。故郷の仙崎の自然や家族をはじめ、そこに生活する人々の営みが、彼女自身の自分づくりに大きな影響を与えていることはもちろんのこと、それだけではなく、二十歳に引っ越した当時の一大文化経済都市・国際都市下関での生活も大きな要素になっていたと思われます。
 特に、文学少女であった金子みすゞは、書店の店番をしていたこともあり、その時代の最先端の文化・情報を真っ先に享受できる位置にいました。ですから、当時の一定の民主主義を求める大正デモクラシーの影響も受けていたと思われるのですが・・・。
 おそらく金子みすゞ本人が意識するとしないとに関わらず、絶対主義的天皇制のもとでの軍国主義一辺倒の時代、女性であるがゆえに受ける抑圧と差別が強かった時代から受ける大きな制約を突き破ろうとする人間の仕業、人間らしく生きたいと願う思いが、童謡という形で彼女から飛び立っていったのではないでしょうか。

みすゞ探しの旅があったから
 さて、金子みすゞの作品を多くの人が目にするようになるのは、彼女が逝ってから50年以上も経ってからです。それは一人の童謡詩人(矢崎節夫氏)が、学生時代に読んだ岩波文庫の「日本童謡集」の三百篇あまりの童謡の中から、金子みすゞの「大漁」という詩に出会ってからはじまりました。それからが「みすずさがしの旅―みんなちがって、みんないい」(教育出版国語教科書5年下巻に書かれたノンフィクションの題名)のはじまりです。
 彼の情熱と努力の結果、1984年「金子みすゞ全集」(JULA出版局)の出版にこぎつけ、同時に出版された「わたしと小鳥とすずと」(矢崎節夫選JULA出版局)で多くの人に金子みすゞが知られるようになりました。
 最初は、静かなるブームではじまったのでしたが、それがブレークしたのが93年の朝日新聞「天声人語」欄に「童謡詩人金子みすゞの生涯」(矢崎節夫著JULA出版局)を取り上げたころからと言われています。さらに94・95年にはテレビでも取り上げられ、96年からいよいよ教科書(平成8年版)に登場してくるのです。
 失礼な言い方ですが、金子みすゞファンの中には「矢崎節夫氏の童謡は知らないけれど、金子みすゞを蘇らせた矢崎節夫氏なら知っている」人が多いと思います。それだけ矢崎節夫氏の金子みすゞを蘇らせた「みすずさがしの旅」自体が一つのドラマであり、私たちに金子みすゞ作品と同様に素敵なプレゼントを贈ってくれたのです。その意味でも矢崎節夫氏の「金子みすゞ」を蘇らせた情熱と力は素敵なのです。

なぜ教科書に
 教科書に載るようになって、多くの子どもたちが金子みすゞのことを知るようになります。
 教科書がどのような過程を経て出版されてくるかはわかりませんが、戦前は国定教科書、つまり国が決めた教育内容を子どもに伝えるための教科書です。現在は、教科書出版会社の制作で、どの教科書を採用するかも各学校で決められているということが建前となっているようですが、実際は、国(文部省)の教科書検定制度もあり、むしろ教科書出版会社の自主規制も強まり、子どもと時代にあった教科書(教育内容)を選べる範囲はそんなに広くなっていないようです。準国定の体というのが現場の実感ではないでしょうか。
 もちろん、そんな現状の中でも、教材を子どもたちに合わせて準備し、実践している先生たちも多くいますが・・・。金子みすゞ作品を取り上げた教育実践も教科書に載る以前にもあったし、今も採用している教科書に載っていなくても授業化している実践もあるようです。
 さて、なぜ教科書に金子みすゞの作品が載るようになったのでしょうか。国定教科書の時代ではまず考えられないことです。具体的な理由はわかりませんが、真っ先に考えられるのは、金子みすゞ作品(教科書には「わたしと小鳥とすずと」「大漁」「ふしぎ」が掲載されている)が子どもたちの心をとらえる素晴らしい教材というのが一番の理由でしょう。それなら96年版(平和8年)の教科書以前にも掲載されても良かったのですが、金子みすゞが良く知られてきた時期との関係もあるのでしょう。

教育政策の変化
 もう一つ見落とせないのが、当時の文部省の文教政策とも関係があります。96年版の教科書が準備されていた95年は、つい5年前ですが、阪神淡路大震災やオウム事件がありました。しかし、当事者でない限り意識していないと遠い昔の事のように思えてくるのです。世の中のすべてのスピードがものすごく早くなり、短時間に多くのできごとが詰め込まれすぎていたように思えるのです。まさにコンピュータ化された社会の変化のスピードに、人間の心が追いついていけないのです。
 人間の心が追いつけない社会の変化のスピードは、子どもたちにも様々な影響を与え続けています。本来、子どもたち一人ひとりの心に寄り添うことが求められる子育て(保育・教育・家庭・地域等)の場にも、このスピードは持ち込まれ、「新しい荒れ」とか「学級崩壊」と呼ばれる状況を生みだされる原因の一つともなっているのです。人間の社会に人間の心がなくなれば当然の結果ですね。
 そこで、文部省は96年に出された第15期中央教育審議会の答申にも示さている、それまでの「ゆとりと充実」に加えて、「生きる力」を強調しました。「いかに社会が変化しようとも、自分で課題を見つけ、自らが学び、自らが考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力であり、また、自らを律しつつ、他人とも協調し、他人を思いやる心や感動する心など、豊かな人間性」を「生きる力」とし、これからの子どもたちに必要と考えたわけです。文章そのものは一応納得できるものだと思っていますが・・・。「個性の尊重」と豊かな「生きる力」を育む教育は、さらに「心の教育」へと引き継がれていくのです。
 このような社会の変化と教育の変化の中の教科書に、金子みすゞが登場するのです。「みんなちがってみんないい」と。まさに金子みすゞはこの時代の教科書の申し子として蘇ってくるのです。一定の民意の反映と言っても良いのでしょうが。

自分自身の主人公として生きる
 でも、それだけでしょうか。子どもたちの心をとらえたのは。中教審でいうところの「変化する社会への適応」するための能力と人格としての「生きる力」を育むためだけの金子みすゞではなかったはずです。
 98年の国連の「子どもの権利審査委員会」の指摘を待つもまでもなく、内申書重視の高度に競争的な教育制度への批判、まして、大人たちがつくった社会が、政治・経済・文化などあらゆる場面で大きく揺らぎ、大人自身も自信や展望を失っている時代に、子どもたち自身が、まず自分自身が自分自身の主人公になるために、さらに社会の変化に適応するだけでなく、社会を創造・変革させる主人公として、自らが育っていくために、ある時は自らが傷つき、ある時は他者をも傷つけながらも「みんなちがって、みんないい」を求めていたのではないでしょうか。
 最近、つながりあそび・うたコンサートで若い親たちに言っていることがあります。それは「子ども自身が本来持っている、自分の責任を自分自身で取る力を弱めないで」ということです。例えば、人間の子どもは生まれた時からお腹が空けば泣いて知らせるとか、大小便をしたら気持ちが悪いと泣いて知らせるとか、そんな自己責任の力を持ち合わせていました。それをある本に書いてあったからといって三時間ごとに授乳しなければならないとか、便利だからといって終始紙オムツにするとかして弱めていませんか、ということです。
 きっと子どもたちは「みんなちがってみんないい」の中に、歴史の主人公としての、自分のことは自分で責任をとりたいから、言葉を変えれば、自分自身の主人公になりたい、という思いを見つけることができるからこそ共感できるのです。そんな子どもたちが金子みすゞを蘇らせたのです。
 そして、そんな子どもたちの心に寄り添って、子育てや教育実践に悪戦苦闘している親たちや先生たちがたくさんいることも金子みすゞを蘇らせる大きな力になったのです。教科書に金子みすゞが蘇ったのは、そんな力が働いたのではないかと、私はひそかに思っているのですが、いや、思いたいのですが。
 実際、金子みすゞは教科書の中にとどまっていなかったのでしょうね。これは当然のことですが・・・。

子どもに寄り添う親と先生が
 「日の丸・君が代」が国民的議論もないまま法制化され、教育現場に半ば強制され、子どもや先生一人ひとりの思想・信条の自由が侵され、ものが自由に言えなくなっています。かって金子みすゞが生きていた時代に後戻りしそうな数の暴力がまかり通る時代にあって、それでよいのかをもう一度金子みすゞをうたう中で問いたいのです。
 そして、金子みすゞの詩も素敵だが、それと同じく金子みすゞを蘇らせた力、一人の童謡詩人だけでなく、何よりも歴史の主人公として人間らしく成長したいと強く願っている子どもたちであり、その子どもたちの心に寄り添ってきた親さんたちと先生たちとの力が素敵なんだよ、ということを金子みすゞをうたうことで広めたいのです。
 ここが小学校の先生たちも『青空 この街』のCDを聞いてもらいたい、広げたい大きな理由の一つなんです。またCDアルバムの中に金子みすゞを取り上げた深い意味なんです。
 もちろん、金子みすゞの歌を聴いた人が、どのように感じ、どのように思うかは、まさに「みんなちがって、みんないい」のですが・・・。

嬉しい実践発見
 最後に、この連載中に嬉しい実践の出会いを紹介します。
 1月のウインター・カレッジの中で京都の小学校先生の中西実さんのレジュメの「ピカ・ゆずソングをわたしの生きがいに」のなかに「金子みすゞの授業をめぐって」の項目と資料として学級通信がありました。
 具体的な実践報告は分科会が違って聞けませんでしたが、「フムフム、なるほど、こうやって授業と学級はつくられていくのか、金子みすゞもこうやって活かされているのか」の一端がわかり嬉しくなりました。 
 金子みすずの詩集を読んだ一人の生徒の素敵な日記から授業がはじまります。学級通信の第46号の見出しには「自分の考えが持てる~すばらしいことだね~」を発見してますます嬉しくなったと同時に、どんな授業だったのか、子どもたちはどんな感想を持ったのか興味を覚えました。赤鉛筆を片手に『手と手と手と』を読まれている中西実先生のことです。いつか実践を含めた原稿を寄せていただけると嬉しいですよね。(終)
【『手と手と手と』第60号 2000年2月25日付より】

(追加)
『手と手と手と』第60号編集後記には
★金子みすゞ作品や背景の資料・研究に興味を持たれた人は「童謡詩人 金子みすゞの生涯」(矢崎節夫著 JULA出版局)と1月に出版された河出書房新社の「文藝別冊 総特集金子みすゞ 没後70年」がお薦めです。授業研究というのならば「感性の人 金子みすゞの詩の授業化」(大越和孝著 明治図書)も参考となると思います。

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