つながりあそび・うた研究所二本松はじめ

二本松はじめ(ピカリン)の活動予定や活動報告、日頃、考えていることなどを書きます。研究所のお知らせも掲載します。

抱っこ通信1219号 金子みすゞ①

2021年12月07日 | 抱っこ通信
金子みすゞも素敵だが、
みすゞを蘇らせた力の方がもっと素敵!①
 『手と手と手と』第55号(99年7月20日付)の中根康則さんの連載「ゆるゆる・ふっくら・根強く」の19回目に、私のCD『青空 この街』に対する私の「意欲と気迫」を数々のデータを基に、しかも的確に紹介していただいています。
 中根さんとは20年以上の付き合いですので、私以上に彼自身が、このCDに思いを寄せていることが伝わってきてほんとうに嬉しかったです。
 さて、文章に最後に、「アルバム『青空 この街』のもう一つの柱は、金子みすゞ作品の三曲が収録されていることです。なぜこれらがこのアルバムに入っているのか、きわめて深い意味がありますが、紙面の都合上、このことについては語れないのが残念です。ぜひ、二本松さんのライブをおききください」と記されています。
 今回、その意味をお教えしましょう。ライブでは語れないことも含めて・・・。
 
売れるため?
 一つは単純に営業的戦略として、です。CDを聴いてもらい、うたい広げてもらうターゲットをある人たちにしぼった結果です。ゆずりんとダブってしまいますが、保母さんだけでなく小学校の先生たちです。明快でしょ? ガッカリした? ショックですか?笑っちゃいますか?
 実際の話は、収録曲が決まってからそんなことを考えつくのですが、CDを制作する以前からそんなことを考えられる能力があったらいいなと思うのです。
 現在、いくつかの教科書に金子みすゞ作品が掲載されています。子どもたちも「わたしと小鳥とすずと」の詩が大好きです。中には暗唱して聞かせてくれる子どもたちにもたくさん出会いました。でも、メロディがついていませんでした。そのために創作したわけではないけれど、もしかしたら、メロディが良ければ、歌ってもらえるかもしれない、手話も取り入れてもらえるかもしれないと思ったわけです。そうしたらもっと金子みすゞの世界が子どもたちに広がっていくのかなとも思ったのです。
 もう一つはCDが平和教育の教材にもならないかと期待しているのです。現場からの要望もあったこともありますが…。

 いきなり「営業的戦略」なんて文字がでてきて愕然としたり、憤慨している方もいらっしゃるかもしれませんが、はっきり言って営業的戦略という観点は冗談では済まされない問題ですし、とても大事なことなんです。この仕事を続けるには、また、つつましくも生活をすることって、綺麗事を並べるだけではだめなんです。もう少し言わせてもらうならば、経営的感覚というのか、よいものを広げていくための保証、将来的約束を財政的な面でも、いかに確実なものにするかをしっかり持たなくてはならないのです。
 残念なのですが、現在はよいものイコール売れる(広がる)とか限らないのです。もちろん、よいものしか広がらないのも事実です。絶対に大赤字を出すわけにはいかないのです。正直すぎるほど正直でしょ。イやと言うほどそういう失敗も見てきているし、自分自身もたくさん失敗を重ねてきているから言えるのかもしれません。
 音楽会やつどいは大成功でも、財政的には大赤字で、その後の活動は休止、または消滅、そして人間関係がズタズタになってしまった例なんかたくさんあります。

 こう書いていてなんだかおかしくなりました。ことお金に関しては無頓着な私だからです。財政的な面での本当のところは、みなさんから支えられて貯えで自主制作するわけですから赤字で良かったのです。いつか広がって赤字からトントンになりさえすればいいのです。5年かかろうが、10年かかろうが。この『青空 この街』は私の遺言の一つのつもりです。私の思いを残しておくことが出版する動機の一つだったんです。だから当初から財政的な問題は度外視していました。
 また、金子みすゞの作品が三曲収録されているからってCDが売れる(広がる)わけでもないのですよね。

金子みすゞ作品との出会い
 さて、本題に入る前にもう一つだけお付き合いしてほしいことがあります。金子みすゞがいますごい人気だそうです。しかも今年は彼女が亡くなって70年目にあたります。(1930年3月10日死去。26歳の時です)
 下関・大阪・東京、そして来年は旭川で「幻の童謡詩人『金子みすゞの世界』展」が開かれます。私も今年1月全国合研のオルグで福岡に入っている時に下関での開催を知り、ぜひ行ってみたいなと思っていたのですが、この8月東京会場へ出かけることができました。知っている小学校の先生にも出会ったり大変な人出でした。
 癒しの時代だからこそ金子みすゞや相田みつをが受けとめられているのだという声もありますが、それだけでなく金子みすゞ作品は、やはり現代人が共感する部分がたくさんあることは間違いないところです。
 私が、初めて金子みすゞ作品に出会ったのは、つい最近のことで97年12月です。ある保育雑誌の編集長と連載の打ち合わせをしている時に、その編集長がその雑誌の特集号を持っていらして、金子みすゞのことが記事になっていました。詩は「星とたんぽぽ」を含めて三編でした。この「星とたんぽぽ」にはなるほど童謡ということであって、その日のうちに曲ができました。それも一発で、です。何回も練り直しをしなくても良かったのです。「見えぬけれどもあるんだよ 見えぬものでもあるんだよ」のフレーズがやはり一番気に入りました。
 それまで金子みすゞの名前は知っていても、作品を知らなかった私にはとってもわかりやすく、新鮮な感動を覚えました。後になってこの詩を歌えば歌うほど、詩の持つ意味や深さがじんわりと広がってきたのです。

みんなちがってみんないい?
 教科書に「わたしと小鳥とすずと」が掲載され、「みんなちがってみんないい」というフレーズが子どもたちの心をとらえていると聞かされていても、その詩さえ全文を読んだことはなかったです。
 ちょっと横道にそれますが、その「みんなちがってみんないい」のフレーズが一人歩きしてしまい、何か違うことが良い、と言ことだけが強調されているような風潮がはびこっているような気がして、特に文部省・マスコミが先頭に立って個性の時代という掛け声と相まって、「ちょっと待てよ」と思うところもあって、また、神戸での児童殺傷事件など、子どもだけではないのですが、人権軽視、命軽視に危機感もあって創作したのが『みんな違って』(CD『ラララ・ラッセーラ』に収録)です。「もしかして、からだの大きさや人としての輝きやめぐみ(地球的歴史的役割)はみんな違うけれど、もっと遊びたいとか、わかるようになりたいとか、愛されたいとか、愛したいとか等々、生きていること、そして、より人間らしく生きていきたいという命はみんな同じだよ』ということをうたいたかったのです。違うということも素晴らしいし大切だけど、同じということも素晴らしいし大切だよということも伝えたいです。
 もちろん、後から金子みすゞの「わたしと小鳥とすずと」を読むわけですが、世間で言うような「みんなちがってみんないい」ではない、金子みすゞの「みんなちがってみんないい」の世界はもっと深いところにあるように思いますが…。(次号に続く)
    (『手と手と手と』第57号 1999年11月1日付より)

 
コメント
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