つながりあそび・うた研究所二本松はじめ

二本松はじめ(ピカリン)の活動予定や活動報告、日頃、考えていることなどを書きます。研究所のお知らせも掲載します。

抱っこ通信1220号 金子みすゞ②

2021年12月08日 | 抱っこ通信
金子みすゞも素敵だが、みすゞを蘇らせた力の方がもっと素敵!②
もっと「自分」を磨くことが大事なのと
金子みすゞを歌いこむことが大事

ひとりの感想から
 さて、「星とたんぽぽ」が自分でも気に入った創作曲になったこともあり、98年はこりゃ一丁金子みすゞ探しの旅(金子みすゞ作品を世に出した矢崎節夫氏の好きな?フレーズ。教科書にも同じ題名の文が掲載されているらしい)にも出かけるかと本屋さんを巡って、童謡集や関連の本を集め読みまくりました。あ、そうそう、その中にはサマー・カレッジに参加している金子みすゞファンの福井県鯖江の保母さんからいただいた「日めくり・金子みすゞの世界 朝焼け小焼けだ 大漁だ」なども入っています。ありがとうございました。
 この中から自分で気になった詩に曲をつけはじめたのが昨年の10月頃からです。CDにも入れた「わたしと小鳥とすずと」「土」の他は「ぬかるみ」「このみち」「積った雪」…。
 ところがショックなことがありました。ショックなことというよりも「これもありかな」と思ったことですが…。

 今年の1月の京都でのたんぽぽサークル主催のコンサートでの感想文の中に、合唱経験もあり、金子みすゞファンの方から「金子みすゞのイメージが壊れるから歌わないで・・・」という感想があったからです。ほとんどの方の感想が好評だった中に一人ですが、このような感想があったのです。
 初演だったこともあり、歌が自分のものになっていなかったことも事実ですし、私自身、うたも表現もあまり上手くはないことも事実です。ですからその人の金子みすゞのイメージを壊してしまったのも事実なのでしょう。
 それはそれぞれの人の感性の問題だからといって「みんなちがってみんないい」とは片付けられないのです。
 
 この方の感想文を通して考えさせられたのは、金子みすゞ作品という完成された詩に、曲をつけるということの意味と難しさです。多くの人が詩を目でよみ、声を出してよみ、読み手自身のイメージと感性で、その作品に共感を寄せている中に、あえてメロディをつけ、リズムをつけ、聴かせて、うたわせて、さらに共感を広げていくという作業、その歌の楽しさというか、うたう必然性というか、私の感性や音楽的力量が真に問われているということです。一生の課題として、いつも肝に銘じているつもりですが…。
 
 それ以上に、感想文に書かれた方が「もっと金子みすゞのことを知って。作品も、彼女自身のことも、その生涯も」ということを伝えたかったのではないかと考えたのです。またまた金子みすゞ探しの旅です。今度は作品集だけでなく「童謡詩人 金子みすゞの生涯」なんてお硬いい本を読んだり、金子みすゞが生きていた時代の社会的文化的背景を、昔、学習した懐かしい硬い本などを取り出して、あれこれ探ったりしたのです。 
 しかし、その中で気づいたことは、「金子みすゞ」を知ることも大事だけれど、もっともっと「自分」を磨くということが大事なのではないか、ということと、もっともっと金子みすゞをうたう、歌いこむということと、みんなに歌ってもらうということでした。
 
 それを気づかせてくれたのは、やっぱり私の金子みすゞ作品を聴いたり歌ってくれた仲間たちでした。「つい口に出てきちゃのよね。♬見えぬけれどもあるんだよ♬のフレーズ」「♬すずと・・・♬のところからの転調するところがいいね。何か明るくなって希望が持てて」「金子みすゞの童謡とつながりあそび・うたと思いが重なるところがあるね」等々の声でした・(次号に続く)
【『手と手と手と』第58号 199年12月20日付より】
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