つながりあそび・うた研究所二本松はじめ

二本松はじめ(ピカリン)の活動予定や活動報告、日頃、考えていることなどを書きます。研究所のお知らせも掲載します。

抱っこ通信1112号 なにかな なにかな

2020年05月14日 | 抱っこ通信
今号もジャンケンについてです。
  抱っこ通信1109号で「相手がいるからに学び続けて」というレポートの中に、学生さんたちのジャンケンのイメージがありましたが、どうもマイナスイメージが多いようです。このことはレポートの中の学生さんだけに限ったことではないようです。
 
 負けるのが怖いとか、負けると嫌な役回りがくるとか、ともかくジャンケンで勝ち負けだけでなにかをさせられるということしか経験していなかったのでしょうか。
 
 他人と競争させられて、評価され、その結果、格差も生じ、自己責任をも問われ続ける中で、自分自身や他人を信じられない、好きになれないような社会では、勝ち負けや、順位をつけられるようなあそびは心から楽しいと思えないのでしょう。
 
 また、そういう楽しめる、いろいろ発見できるあそびに出会っていないのでしょうね。レポートの中でも、つながりあそび『相手がいるから』などを楽しんだ後の学生さんたちの感想の中にもジャンケンを「嫌いだったが好きになれた」「なんて奥が深くすばらしいあそびだろう」等の感想が多かった。
 
 そして大事にしたいことは、「久しぶりにジャンケンってすごく楽しい!」を通して、「ぐーちょきぱーな人間関係」についてや「子どもに何をつたえていくのか」「あそびの質を考えていきたい」「遊びの中で育つものが少し見えた」「遊びについて考えていくことが大切なのだということに気づけたことが嬉しい」などなどの発見があることです。それは、頭金さんが保育学生に伝えたいことなのでしょうね。(もう一度、抱っこ通信1109号を読み返してみて)
 
 
 さて、今号の『なにかな なにかな』は、かれこれ40年前位に、公立保育園の「生活あそび」研修会で創作したあそびです。ジャンケンあそびだけではないのですが、子どもだけでなく、先生自身の方が遊ぶ中で勝ち負けや順位にこだわっているように感じていたのです。
 
 そこでグー・チョキ・パーの形を勝ち負けのあそび(道具)ではなく、一つの形(ポーズ?フォーム?ジェスチャー?)として遊んでみたらどうだろうかと考えました。ほとんどその場で、口から出まかせでしたが・・・。
 
 勝ち負けだけのルールだったら年長さんしか遊べないだろうし、乳児さんも参加出来て楽しめるためを考えました。
 もう一つ、「先生といっしょが嬉しい」「○○ちゃんといっしょが嬉しい」という子どもの心に寄り添えるかなと思いました。
 
 遊び方は簡単。最後のじゃんけんでリーダーとおなじもの(「あいこ」)が出たらポイントを獲得できるだけです。4~5回戦で、何ポイントを獲得できたかを発表し合うだけです。
 
 同じくジャンケンを形として捉えて『このゆびとまれ』(ジャンケンをして、同じ形で集まる。例えば、グーはグー同士で集まる)なども後からつくりました。
 
 また、形(ポーズ)を出すだけのあそびですから、ジャンケンの形(ポーズ)にこだわることはないのです。当時は♬ビーシュワッチ!♬なんて叫びながら『ウルトラマンジャンケン』(同じポーズだったらポイント)が流行っていましたし、♬じゃんがいも にんじん 豚肉入れて カレーライス♬と『カレーライスジャンケン』(同じポーズだったらポイント)をつくって遊んでいました。2~3歳児は『カレーライスジャンケン』の振りだけを楽しんでいました。
 
 さて、今年は新型コロナウイルスの関係で中止になってしまいましたが、毎年、桜花学園大学保育学部新入生セミナーに参加していて、この『なにかななにかな』を楽しみます。リーダーには先生たち全員になってもらいます。一回ごとに先生たちが相談して出すジャンケンを決めます。その間、学生たちも近くの友だちとジャンケンの何を出すかを相談します。
 
 時間の関係で3回繰り返しますが、最初はグーが多いようです。2回目はチョキが多いかな? 別に統計は取っていませんが・・・一期生からのお付き合いですから。
3回目の前に途中経過を確認します。「1回だけ先生たちと同じだった人?」(私は手を挙げながらです)。「2回先生たちと同じだった人?」。「まだ、1回も同じじゃなかった人?」。
 「最初はなんだったっけ? 2回目は?」「最初はグー、2回目チョキ。最初はグー、2回目チョキ。最初はグー、2回目チョキ、3回目は?」。学生たちはニヤニヤしながら「パー!」と元気よく答えてくれる人もいます。
 いよいよ3回目です。「いくぞ!オー!いくぞ!オー!いくぞ!オー! ♬なにかななにかな なにかな グーかな チョキかな パーかな グーチョキパー グーチョキパー グーチョキパーでジャンケンポン♬」。ほとんどの人がパーです。勿論、先生たちも。
 
 「良かった。きっと君たちの大学の先生は素敵な先生なんだよ。ちゃんと学生たちの期待に応えてパーを出してくれた。これがパーじゃなかったらどうしようかなと思ったよ。きっと大学生活も、先生たちは君の期待に応えてくれるよ。楽しみだな」なんて冗談ではなく、本音を言ったりします。
 
 子どもだって1回は「先生といっしょ」になりたいのです。本当は全部ですけど。『なにか なにかな』をあそび始めた頃ですが、子どもが次は何がでるかを気がつかなければ、先生に気がついてほしいです。子どもはどんな気持ちで遊んでいるかをです。子どもが先生に近づいてこなければ、先生が子どもに近づいていけばいいだけの話です。ま、そう保育は、現場は単純ではないと思いますが、そんな気持ちが大事だと考えます。
先生が子どもの期待に応えてくるかな、大人が期待を裏切らないから子どもは安心してあそびを楽しめるのでしょうか。子どもが遊べるためには、そして子どもたちが生きていくには安心の世界が必要です。そんなことも楽しめる『なにかな なにかな』です。

(イラストは全レク一座の大ちゃんです)


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