平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。
第11回は中村真也(体育4・専大松戸)と中村大聖(体育4・札幌日大)です。
是非ご覧ください!
平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援のほどありがとうございます。
4年の中村真也です。

普段、逆張りをする事が多いですが、今回は本心を綴っていきたいと思いますので、最後までお付き合いいただけると幸いです。
18年間の野球人生もついに節目を迎えるということで、幼稚園から振り返りたいところですが、字数がすごいことになってしまうので今回は大学入学からお話したいと思います。
人生で3度目の受験である大学進学の際は、ずっと甲子園出場が目標だったので、野球を辞めようと考えていました。
薬学部進学なども考えましたが、筑波大学に合格する事ができたので、今まで通り文武両道を貫くことが自分にとってプラスになるのかなーという感じで、正直なんとなく続けました。
なんとなく始めた大学野球でしたが、振り返ると自分にとってあまりにもしんどいものでした。
高校までは大した挫折もなく、割とうまいこと進んでしまっていたことで、大学で壁に当たるたびに部をやめたいと考えていました。
特に、1年春から何だかんだ7期ともリーグに絡んでいますが、1度もまともな結果を出せておらず、この結果に何度打ちひしがれたか分かりません。
打てない事でチームに貢献できていない無力さを感じ、応援してくれる人達には引け目を感じていました。
また、指導者の方達に特に申し訳なさを抱いており、プレーで返す事ができていない事が悔しいです。
こんな挫折ばかりの大学野球でしたが、ついにラストシーズンを迎え、ここからという時に私の体は動かず、もうプレーで返す事は叶わなくなってしまいました。
これまた情けないです。
そこで、プレイヤーではない立場で迎えたラストシーズンにどのように挑み、どんな貢献が出来るのかをよく考えてみました。
出た結論は今年のスローガン「繋ぐ・絆ぐ・つなぐ」を体現する事です。
一周回ってというやつですね(笑)
何をつなぐかと言うと、野球を通して学んだ上下関係をつないでいきたいと思っています。
上下関係と言っても、先輩を敬えとかそういうことを言いたいわけではありません。
先輩から貰ったものを後輩に繋いでいく、これが本当に大切だと思っています。
野球を通して自分は、とんでもない数の先輩達に良くしてもらっています。
野球人としての先輩である、今まで指導してくださった指導者の方々、小中高で良くしてくださった先輩方、お世話してくれるキング今井、お友達しみずひろうみさん、ここにあげればキリがないほどに多くの先輩方から受けた、ありがたいご指導と恩を後輩たちにつないで行きます。
後輩たちにつないでいくことで少しでも恩返しになれば良いなと思います。(もちろん直接恩返しにも行きます)

さて、ここまでラストシーズンに懸ける想いを綴ってきましたが、暗い話や説教が偉そうに書いてあって嫌なので、最後にこの場を借りて同期、後輩に感謝を伝えたいと思います。
まずは同期にむけて
なんだかんだ楽しく、そして成長できる環境だったと思ってます。
特に涼世はこんなに頑張ってるので、褒めてあげます。
胴上げは腰が痛いので、ビールを多めにかけてあげたいと思います。
あとは航大、自分の成長は航大から来てるものが多い気がします。ありがとう。
あとは名前は出しませんが、O.S君、いろいろあざした(笑)
次に後輩達、最後に4年一同必死にやるので、ついてきてください。
なんとか後輩達につなぎます。
あとはよねと国本、これからも対戦よろしくです。
最後に両親へ。
かなり甘やかされてきた気もしますが、なかなかに優秀に育ったのではないでしょうか?(笑)
ここまで成長できたのも、何不自由なくサポートしてくれた両親のおかげだと感じています。ありがとう。
優良投資先としてでかいリターンができるように頑張るのでご期待ください。
毎年うまい酒が飲めるように家族一同長生きしましょう。
文章上手く纏まりませんでしたが、言いたいことを一通り言いました。
すっきりしたので、あとはビールかけを目がけてみんなで突っ走りましょう!

中村真也 体育専門学群 専修大学松戸高校
平素より筑波大学硬式野球部への多大なるご支援、ご声援誠にありがとうございます。
4年元外野手の中村大聖です。

真也君と同じ苗字ということで僕は「大聖」登録になったので、先輩からも下の名前で呼ばれ、なんだか心地よさを感じていたらあっという間に4年生になってしまいました。
幼い頃から人前に立つのが嫌いで、修学旅行の班長ですら無理やり友達に押し付けていた自分ですが、今や部員約130名の主務を一丁前に務めています。
立場柄、過大評価されることも多いですが、研究学園と新大久保が大好きなただの平凡大学生です。
母からは「あんたが主務なんてチームが崩壊する」とまで言われてしまいました。
そんな自分ですが、今の部員の大半は「金払え」ばかり言う奴としか思っていないと思うので、これまでの野球人生からお話させてもらえたらと思います。
お手すきの際にご一読いただけますと幸いです。
生まれは100万$の夜景で有名な北海道函館市、3歳から英会話教室に通い、小学校までに陸上、水泳、サッカー、公文、塾、アトリエと英才教育を施されて育ちました。
野球は小学校5年生から市内最弱と言っても過言ではないチームで始めました。
小学校2年間で、勝利数はたったの1です(しかもサヨナラパスボール)。
中学校では、軟式野球部に入部し、本格的に野球一本に絞りました。
今では間違いなく体罰で訴えられるであろう当時の監督に徹底的に鍛えられ、また北海や明徳義塾に進学したレベルの高い同期とプレーしたことで、私も一丁前に「甲子園に行きたいな、強い所で野球したいな」と思うようになりました。
そして、なんやかんやあってシルバコレクターと揶揄されていた例の高校へ進学することになります。
ここでの3年間を話すと試合後のミーティング以上の長さになってしまうので、辞めておきます。
そこから一年間の浪人の末、筑波大学硬式野球部の門を叩きました。
そして、始まった新人練、帽子の裏に「漢になる」と書いてるやつなど今までの野球人生で出会ってこなかったタイプの人ばかりで、浪人生活を共にした福島出身のO君とよく小馬鹿にしていました。
性格悪いですね。みんなごめん。
そんなこんなでスタートした大学野球ですが、正直楽しいと思ったことはほとんどなかったです。
当時野球への情熱は高校野球で完全に燃え尽きていたし、野球を続けようと思った原動力は高校3年でセンター試験に失敗した日に「野球だけは辞めないでくれ」と言われた父の言葉だけでした。
そんな気持ちで野球をしていたので、わざわざ硬式野球部で野球をやる意義を見出せず、2年の夏には本気で部を去ろうと決心し、またそれを周囲に負の形で伝播させてしまいました。
反省しています。
そんな奴がなんで4年間も部を続けるに至ったのか、それは当時の先輩方がどうしようもない自分にも本気で向き合ってくださったからです。
どうしたら選手として結果を出せるのか、選手ではなくても硬式野球部を続けた先でなにが得られるのか、を親身になって伝えてくださりました。
傳谷さん、洲嵜さん、村井さん本当にありがとうございます。
今の自分があるのは先輩方のおかげです。
そして、榊原さん、たくさん反抗してしまいすみませんでした。
色々ありましたが今となっては415事件も良い思い出(?)です(松尾は睡眠障害になったらしい)。
そこからとりあえずスタッフミーティングまでは本気でやり切ろうと決意し、野球に打ち込みました。
あの数カ月は自分のためというよりも先輩方に少しでもプレーで恩返しがしたいという思いが強かったかもしれません。
関甲信で傳谷さんを胴上げできなかった時は、とてつもなく悔しかったです。
そうして野球と向き合ううちに「退部」という考えは自分の中で自然と消えていきました。
その後スタッフミーティングを迎え、マネージャーへ転身。
同じく今野と健大がマネージャーになりましたが、皆さんもご存じの通りそれまでの先輩マネージャーとはキャラクターが真反対で何度心配の声が上がったかわかりません。
「来年が心配だ」と3年生の頃はBOSSからもよく怒られ、翌年のスタッフミーティングでは「適切な人員配置を」と首脳陣から釘を刺されたほどです。
そんなこんなで、時折怒られながらもここまで大きな問題を起こすことなくやってこれたのは、どんな仕事もスマートにこなす健大と最低限の労力と最大限のスピードで定時には仕事を終わらせるこんちゃんの支えがあってこそでした。
ありがとう。
(ちなみに固まったコーヒーシロップを来客に出したのは僕らではありません。轡水さんです)
そして後輩マネージャー達、今の社会なら間違いなくパワハラで問題になるくらいに接してますが、毎日本当に助かってます。
たまにはまともなことをいうと、外部では良くも悪くもマネージャーの振る舞いでチームの評価がくだされます。
身だしなみ、表情、受け答え一つひとつに自信を持ち、滞りなく業務を遂行するためには、心に余裕を持って常に自分を客観視することが大切です。
私もまだまだ不束者ですが、この2年間で身を持って学びました。
この経験を中島と大沼には引退するその日まで徹底的に教育する所存です。
覚悟を持ってついてくるように。

「書くことねー」とか言いながら結構な分量になってしまいました。意外と内にアツいものを持つタイプです。「ラストシーズンに懸ける想い」しばしお付き合いください。
軽く「優勝」と口にするのは好きではないですが、大学生という貴重な時間をこれだけ野球に費やしてきたからには負けたくないです。
人生で全国の舞台を経験したことがないので、一度はその景色を観てみたいと思ってます。
私ができるのはバスを手配して、試合会場へ連れてくまでです。
その先は選手にかかっています。
選手全員に期待してるけど、最後は4年で勝とう。
これまで積み重ねてきたものを糧にグラウンド、ベンチ、スタンドの4年が一体となってつながっていこう。
ベンチで最高の景色を見せてください。
そして、隼瀬、最後は意地を見せてくれ。
p.s.永戸キャプテンの坊主にも期待します。
最後に両親へ
スタッフになってから選手を辞めたことを連絡した時の落胆ぶりは今でも忘れられませんが、二人のおかげで貴重な経験をすることができました。
浪人させてくれて、そしてここまで野球を続けさせてくれてありがとう。
筑波に入ってよかったし、やっぱ野球大好きです。

体育専門学群4年 中村大聖
札幌日本大学高等学校
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