平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。
第16回は南原二良(生物資源4・県立浦和)です!
是非ご覧ください!
皆さんこんにちは。
南原二良です。
普段はB、Cチームで野手コーチをしており、ライブ配信の実況をやったり応援で前に立ったりもしています。
リーグに出ていない割には顔が広いかなと思います。間違えました。顔がでかいだけでした。
本題に入る前に突然ですが、この「南原二良」という名前が来年からは祖父母と養子縁組を組むにあたり「石井二良」となります。
複雑な事情とかではないので「みなみはら」、「いしい」、「じろう」と好きな呼び方で呼んでください。
ラストブログはふざけようかなと思いましたが、古賀君の「そういうのは冷めます」という言葉を思い出したので、まじめに書きます。
僕は小さなころからほとんど変わっていません。野球以外は適当で野球だけ頑張っています。
小2の冬に兄の影響で野球を始めました。
小学生の頃はすべての試合がコールド負けでしたが楽しかった記憶しかありません。
中学では監督さんにいっぱいの愛を注いでいただき、野球と生きるのがうまくなりました。
高校では投げすぎで肩を壊したり、ラグビーで足首を怪我したり、数学進路室で野球談議をしたり、十数年ぶりに県大会に出場したりと忘れられない思い出がたくさんでいっぱいです。
高校までの野球を通して多くの友人に出会いました。
海馬並みに遊戯王カードを持つ安野君(実力はインセクター羽蛾)、「下ネタの父」清野君、シンガーソングライターのたけし君などなど紹介しきれません。
高校まで野球が楽しかったのは友達のおかげです。
大学まで野球をやりたいと思えました。
ありがとう。
大学時代の思い出は2年の春先から書きます。
やるしかないんだよ。
言わずと知れた松尾君の名言です。
僕と松尾は2年の春先、Cチームで活動していました。
その頃のCチームの2年は完全に腐っていました。
やる気はなく、飲み会を楽しみにし、みんなでもうやめようとさえ話していました。
その中で唯一頑張っていたのは松尾です。
チームの誰よりも練習をし、オフ明けのトライアウトで結果を残し、Aチームへ昇格していきました。
腐っていた僕には必死になって結果を残す松尾がかっこよく見えました。
必死になれることが羨ましかったです。
腐っていた自分を恥じました。
それからはそれなりに練習をしたと思います。
それまで肩が痛くて守備をしていませんでしたが、打席をもらうため守るようになりました。
バットはチームの誰よりも振ったと思います。
「やるしかないんだよ」だけで頑張りました。
そのおかげもあり、オープン戦、天王台、新人戦と結果を残せました。
松尾、本当にありがとう。
うまくいき始めた矢先にやってきたのがスタッフミーティングです。選手を続けるか、スタッフになるかを選ばなければなりませんでした。
選ぶと言っても誰かが選手を続けるということは他の誰かがスタッフになるということを意味し、単純なものではありません。
悩んだ挙句、スタッフを選びました。
後悔していた時期もありましたが、スタッフをやって良かったと思うことが大きく2つありました。
1つ目は、結果を気にせず野球と向き合えたことです。
同期や後輩の練習に付き合うことで沢山の気づきを得られました。
他人をうまくさせるのは難しく根気がいりますが、その分学びも多く、自分の野球観や技術も向上しました。(選手で今悩んでいる人は参考にしてください。)
2つ目はチームへの愛が生まれたことです。
正直に言うと、2年までは筑波に所属している感覚がなく、チームへの愛などまったくありませんでした。
しかし、4年でBCチームのヘッドコーチをやるようになり、責任感が生まれ、その責任感が筑波への愛へと変わっていきました。
本当にスタッフをやって良かったと思います。
この2つとも「やるしかないんだよ」と思ってからの出来事です。
どうせスタッフになったんなら一人でも多くうまくする、代わりがいないなら俺がやると自分に言い聞かせ始めてからうまくいくようになりました。
結局選手時代もスタッフ時代も腹を決めてから何事もうまくいくようになりました。
理論派と思われがちですが、精神論派です。
恥ずかしく感じる人もいるかもしれませんが、パフォーマンスでも自分をだましてでも本気になってみてください。
この秋も全員が腹を決めて本気になれば優勝できると思っています。
ついてきてください。
「やるしかないんだよ」
同期へ
ほかのみんなと同様、この代でなければ最後までやり切れなかったと思います。
楽しい4年間でした。
特にいつも飯塚の家でパーティーをしたメンバーには助けられました。
これから卒業までいっぱい遊びつくしましょう。
友達がやるからやるみたいなメンバーが多く、一見弱そうですが、誰かが頑張りだしたらみんな頑張ります。
これまでリーダーシップがないとかいっぱい言われてきましたが、逆手にとって最強の代になって見せましょう。
妥協せず、走り切りましょう。
最後は笑って飯塚の家で桐の葉を歌いましょう。
菅原へ
浦和高校の後輩であることはまだ認めていません。
もっと練習をしなさい。
素質はあるので努力でどうにかしなさい。
女の子に国家権力をちらつかせる前にやることがあるはずです。
あと、教師になって浦高を甲子園に連れて行ってください。
甲子園で浦和高校校歌や第一応援歌「八重雲起こる」を歌えることを楽しみにしておきます。
ラグビーやろうぜ!!浦高魂。
家族に正面で感謝を伝えるのは恥ずかしいのでここで長めに書きます。
まずは兄。
結婚と就職おめでとう。
去年より生活が楽しそうでなによりです。
浦高や筑波に合格できたのは間違いなく兄のおかげです。
ありがとう。
次に姉。
3人の中で一番自由で生きるのがうまいです。
僕がオーバーヒートせずに生きてこられたのは姉のおかげです。
ありがとう。
次に、母方の祖父母。
幼稚園、小学校と祖父母の家から通っていました。いろいろ迷惑をかけていた記憶があります。
忘れてはいけないのは浪人時代です。半分家出していた僕の面倒を見てくれました。
二人のおかげで筑波大学に合格できたと言っても過言ではありません。本当にありがとうございました。
そんな二人の苗字をもらえることは大変光栄です。
これまで以上に精一杯生きていきたいと思います。
これからも健康に楽しく長生きしてください。
最後に両親、兄弟3人の中で一番手のかかる子供でした。
言うことは聞かず、目を離したら交通事故に遭い、当然かのように浪人する、二人が心配するようなことしかしていません。
謝ります。ごめんなさい。
また、二人が野球をやっている僕を心から応援し、楽しみにしていてくれたことは感じていました。
選手をやめる際に何も相談しなかったことを後悔しています。
選手をやめたことを伝えた時の声は忘れられません。人生一番の心残りです。
スタッフになった後も最後まで応援してくれありがとう。野球部を辞めずに最後までやり切れました。
これからも多くの迷惑をかけるとは思いますが、よろしくお願いします。
仕送りが増えると幸いです。
(榊原さん、本編で紹介できず申し訳ありません。これまでしていただいたたくさんの御恩は字数の関係上書ききれません。今度つくばにお越しになる際はご連絡ください。焼肉とマックとスタバを予約しておきます。ありがとうございました。)
生命環境学群生物資源学類 南原二良 埼玉県立浦和高等学校