波に壷透図鐔
波に壷透図鐔 無銘平田
製作は江戸時代初期、肥後国平田と極められている。山銅地を質朴な技法で処理し、耳には小田原覆輪を廻らしていることからの極め。ところがこの毛彫の処方を見ると、時代の遡る工法を採り入れていることが想像される。拡大写真を見てもらうと判るように、線描写は決して線ではないのである。奈良時代の仏具などに見られる、蹴り跡を連続させたような点線描法。波の文様は青海波とは異なるものの整っており、波頭の崩れ落ちる様子もなく、大海原を印象付けている。上部には雲。透の壷が意味するところは、目出度い席で演じられることもある謡曲「猩々」、その留守模様。この画題の意味を背景とすると、波は穏やかである方が合っている。73ミリ。□
波に壷透図鐔 無銘平田
製作は江戸時代初期、肥後国平田と極められている。山銅地を質朴な技法で処理し、耳には小田原覆輪を廻らしていることからの極め。ところがこの毛彫の処方を見ると、時代の遡る工法を採り入れていることが想像される。拡大写真を見てもらうと判るように、線描写は決して線ではないのである。奈良時代の仏具などに見られる、蹴り跡を連続させたような点線描法。波の文様は青海波とは異なるものの整っており、波頭の崩れ落ちる様子もなく、大海原を印象付けている。上部には雲。透の壷が意味するところは、目出度い席で演じられることもある謡曲「猩々」、その留守模様。この画題の意味を背景とすると、波は穏やかである方が合っている。73ミリ。□
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