鐔鑑賞記 by Zenzai

鍔や小柄など刀装小道具の作風・デザインを鑑賞記録

芦雁図鍔 金家 Kaneie Tsuba

2019-08-16 | 鍔の歴史
芦雁図鍔 金家


芦雁図鍔 金家

雁もまた風情ある景色を造り出す。雁が画題として採られるようになったのは理由があるのだろうか。想像の域を出ないが、室町時代に隆盛した禅に通じる絵画が、その背景にあるのではなかろうかと考えている。瓢箪鯰の図が好んで描かれたように。
禅機画の意味するところは、江戸時代には茶席などに飾られる絵画類に対する知識…のような位置づけで捉えられていたように思う。だが古く室町時代にはどうなんだろう。戦国時代末期あるいは江戸初期から瓢箪鯰が鐔や目貫に描かれるようになる。室町将軍が提示した公案(御題)に如拙が応じて描き、同時代の僧が讃を記した超有名なあの水墨画に擬え、あるいは自らも公案に応じたものであろうか剣豪宮本武蔵も鐔を製作している。以降も、多くの金工が作品化しているのも、同じ意識が背後にあると思う。禅の題を示したのが禅機画で、またそれに応じたものも禅機画である。なぞなぞと答えとすれば余りにも簡単すぎるか。多々みられる瓢箪鯰図などは、答えを彫り描くことが目的であったのだろうか。違うだろう。思索する(題に対してだけではない)ことの大切さを意味しているのだと考えている。鯰をどうしたら瓢箪で捕らえることができるか、などはどうでもいいのだ。物事を考えることの重要性を意味しているのである。
 絵画類の多くは戦乱のさなかに灰塵と化してしまった。如拙の瓢箪鯰図が遺されていたのはとても幸運であった。ほかの禅機画も、あるいは本歌があったものながら後に失われ、写しものや公案に応えた図のみが遺されて伝わっている例が多いのではなかろうか。だから元の公案が判らない。この雁を題に得た図も、そのような一つではないだろうかと想像している。本来は何らかの意味があったのだと思う。芦雁図で最もよく知られているのは、延徳二年に小栗宗継が描いた大徳寺養徳院の襖絵だろう。これも火災に遭わず良く遺された。そしてそれ以前に、宗継が手本とした図があったのではなかろうか。
 さて、鐔工あるいは金工作品で比較的古い芦雁図というと、金家の作品になろうか。改めて語る必要はないだろう。鉄の素材が生み出す景色が鑑賞のポイントである。