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鐔鑑賞記 by Zenzai

鍔や小柄など刀装小道具の作風・デザインを鑑賞記録

秋草図三所物 信壽

2010-03-02 | その他
秋草図三所物 玄亀斎信壽




秋草図三所物 銘 玄亀斎信壽(花押)

 金無垢魚子地に秋草図を高彫し、赤銅、銀、素銅を用いて過ぎるほど華麗に表現した小柄と割笄、目貫の三所物。作者は幕末の江戸金工、玄亀斎信壽(のぶとし)。信壽と銘する工は数名を数える。先に紹介した信清の弟子にも同銘工がおり、信清の作風に似たこの小柄笄目貫三所物を重ね合わせると、師弟関係を研究する余地があるように思える。刀装金工事典(若山猛著)では信清の弟子とは別人と記している。同銘作者の作品が多数みつかるとありがたいのだが。
 さて、多彩な植物を題に得たこの三所物の魅力は、写実を極限まで追求したところにある。拡大鏡なしではとうてい彫刻が不可能であろう、細部まで精密に描写しており、葉や花の量感、柔らかさを見事なまでに再現している。技法は、後藤家に見られるような鏨の痕跡を活かした古典的彫刻と異なり、面は抑揚変化のある曲面、葉脈の量感も自然で、葉花の縁端部の表情も複雑である。また、本来は高彫を施さない小柄笄の裏板にも植物の端を高彫で描き表わしている。この点から、装飾性がより強く追求された作であることが分かる。目貫の構成と高彫の質感を鑑賞してほしい。花弁や葉の表情、多彩な色金の配色なども美しいという言葉が陳腐に思える作品である。題に得ている植物は、萩、菊、桔梗、撫子、薄の秋草に、朝顔、百合、芙蓉、蓬、その他植物図鑑を繰らねば分からないものまである。
 金地に色絵は難しい。多くは別の地金で別彫した塑像を金地の上に据え、ロウ銀などで固着する技法を用いる。この際にロウに含まれている銀が噴き出し、地に広がることがある。本作の、植物の背後に広がる灰色の色叢がその例であろう。ただし、本作では敢えてこの銀が広がることを想定し、あたかも霧がかかっているかのような表現を試みたのではないだろうかと推測している。美しい作品である。

雉子に狐図縁頭 利壽

2010-02-15 | その他
雉子に狐図縁頭 奈良利壽

 
 
雉子に狐図縁頭 銘 利壽(花押)

 元禄頃を活躍期とする金工で、その後の江戸金工の活性化、芸術性の発展の基礎を築いた一人に、安親及び乗意と共に奈良三作(ならさんさく)と呼ばれて崇められている奈良派の利壽(としなが)がいる。後藤の家彫に対抗するように正確で緻密な彫刻技法を展開し、高彫、色絵、象嵌、更に平象嵌などを駆使して独特の彫金空間を創案した名工の一人である。その、雉子を狙う狐の図の縁頭を紹介する。野に繰り広げられている自然味のある風景を題に得たものながら、その意味するところは武士が備えておかねばならない心構えにある。空間を演出するために配しているのが秋草で、菊と薄であろうか。
 奈良派の遠祖を辿ると、江戸時代初期の寛永頃に利輝が塗師として幕府の御用を勤めており、その子の利宗が金工細工物の飾職人として幕府に使え、この次の利治と共に奈良派の基礎を固めたといわれている。その弟子が利壽、安親、乗意などである。だが利宗や利治の時代に如何なる金工の影響を受けたものか、あるいは古作を手本に独創を高めたのか不明な点が多い。この作品を見る限りでは、江戸時代の美濃と極められるような美濃彫様式や、肉の低い高彫など古金工のいずれかに分類される様式を備えており、いずれとも判断し難い。古作を参考により写実的な表現を目指し、独特の世界観を抱くようになったと考えるべきであろう。江戸時代後期に隆盛した華やかな花鳥図などと比較して華飾を抑えた作風から、古武士の美意識が遺されているようにも思える。桃山時代あるいは江戸時代初期の秋草図と、奈良派のそれの違いなどを比較鑑賞されたい。 
 この作品の詳しい解説は、古美術雑誌『目の眼』3月号に掲載しました。ご参照下さい。

撫子唐草図縁頭 美濃

2010-02-10 | その他
撫子唐草図縁頭 美濃


撫子唐草図縁頭 美濃

 時代は少し遡るが、江戸時代初期の縁頭の資料があったので紹介する。Photo①は唐草に構成した秋草撫子図。赤銅地を鋤き下げて深彫とし、彫際を削ぐように古典的な技法を駆使して文様を際立たせている。線の描写が前回紹介した秋草に虫図よりも繊細で、文様が引き締まっている。この風合いが時代の上がる要素と捉えてよいだろう。この手の縁頭で、古美濃極めの作もあり、極め所は彫刻技法だけでなく、腰の高さや肉取り(地金の厚さ)、縁の長さ、幅などが考慮される。網目のように配された唐草に浮かび上がる撫子の花と葉。それぞれが金の露象嵌で装われており、濃密な金色というわけではないが、魅力ある構成である。線の切り口、花弁の隙間などにも、目貫でいうなれば抜け穴のような趣があり、これも見どころ。

秋草に虫図縁頭 光政(美濃)

2010-02-09 | その他
秋草に虫図縁頭 光政(美濃)

 
① 秋草に虫図縁頭 美濃住光政作

 
② 牡丹獅子図縁頭 美濃住光曉

 美濃彫、あるいは古美濃の呼称について。極端な深彫手法になる特徴顕著な技法になる作例が多くあり、これらに、光暁、光伸、光仲、吉長などの作者銘と共に美濃住と居住地銘が刻されていることから美濃彫と呼ばれている。まずこれが分類呼称の基礎にあり、同じ趣の作、即ち深彫顕著にして、しかも意匠構成などから桃山時代以前の作と推測されるものを古美濃と呼び分けている。古美濃の作品の時代に、果たして美濃にいた金工が同趣の作品を専らとしていたか否かは判明していない。むしろ文化の中心である京都近隣に職人がおり、この影響を受けた金工が各地に移住したと考えたほうが良いだろう。
 以下に江戸時代中頃の美濃住○○と銘された縁頭を紹介する。銘の遺されているのがほとんど縁頭であることから、鐔、笄、目貫とは作風を直接比較することはできないのだが鑑賞されたい。
 Photo①は光政の秋草に虫図縁頭。赤銅地を極端な深彫とし、その奥の地面には魚子を打ち施し、ほぼ一定の高さとされた高彫による文様の表面には鏨を切り付け、金の色絵を施している。文様の立ち上がり部分は削がれて切り立ち、まさに古美濃極めの鐔に似ている。密な構成も古美濃だが、構成線の繊細さは、図柄が大胆であるが故に乏しい。
 Photo②は秋草図ではないが牡丹に獅子の図。①と同様に極端な深彫の魚子地に、高彫表面には金の色絵を濃密に施している。手法は全く同じ。
 これらの古い時代を彷彿とさせる金具が、戦争も遠い過去のものとなった江戸中期に、如何なる理由で製作されたものだろうか。殊に金の色絵を濃密に施した②の縁頭は、桃山時代の拵に好適な風合いであり、桃山頃を偲んでの、時代を想定しての作だろうか。復古意識が生まれたのだろうか。その流行があったのだろうか。桃山風の拵が、文化史的な桃山時代よりも長く続いた、即ち装剣具に関しての桃山時代と文化史的な桃山時代とはギャップがあると考えるべきなのか。容易には結論が出そうにもない。

山椒図三所物 古金工

2010-02-02 | その他
山椒図三所物 古金工



山椒図三所物 無銘古金工

 時代の上がる諸金工の分類は、未だ深く為されていない。深彫の特徴のある美濃様式や太刀金具師などは別として、その他については特徴も何も分類の対象とせず、大きく古金工として捉えているのが現状である。作者はもちろん金工群についてすら記録がないということが理由で、美濃彫については、江戸時代中頃に「美濃住○○」などと銘された作品が存在することから、その流れを遡る金工を「古美濃」と呼び慣わしているに過ぎない。即ち、「古美濃」の「美濃」は江戸時代中期の「美濃住○○」と同じ美濃国という意味ではない。もちろん桃山時代以前の美濃の国に栄えていた金工という意味でもない。それが故に時代の上がる系統の不明な諸金工の作品は、興味深く面白いのである。
 そのような中で、数少ない伝承とも言いうる記録の残されている金工の作品が、この山椒図三所物である。作者は、この趣の山椒図を得意として幾つかの作品を残していることから「山椒太夫(さんしょだゆう)」とも呼ばれた与右衛門(よえもん)。記されているのは、武家金工の名流として知らぬ者のない後藤家の記録『後藤家彫亀鑑』で、活躍の時期は室町時代後期から桃山時代初期と推測され、山城国京都。これも伝説的な面が強く、正確な記録とは言い難い。とはいえ、このような記録が残り、伝承されるほどに特徴を強く示した金工が存在したことは想像の存在という以上に確実に近い存在と言え、古金工の分類研究の大きな指標となることは間違いない。
 赤銅魚子地を美濃彫風に肉高く彫り出し、山椒の実を実体的高彫にし、光沢のある種は赤銅を球状に磨きだし、種を包んでいる皮は素銅で、その割れた様子まで正確に彫り描いている。金銀素銅の色絵を施した葉や枝は、唐草状に構成して古典の風合いを強く残している。魅力はその風合い。独特の樹質や種、皮の質感描写に他ならず、江戸時代の作品群の基礎が、すでにこの頃にあったとは驚きである。これまでのような時代の上がる作品は稚拙であるという意識は捨てるべきである。本作が三所物で伝えられたことも大きな魅力である。時代の上がる三所物は少なく貴重である。
 作品の表面が微細な点の連続で、しかも揃っているためにモアレが生じ、モニタによっては見難い場合があります、ご容赦下さい。

筒井筒図縁頭 加納夏雄

2009-11-20 | その他
筒井筒図縁頭 加納夏雄                 


  
筒井筒図縁頭 辛酉冬日夏雄
 我が国の古典文学の一、『伊勢物語』の『筒井筒』に取材した、夏雄の縁頭を紹介する。

  つついづつ井筒にかけしまろがたけ
   過ぎにけらしな妹見ざるまに
  くらべこし振り分け髪も肩過ぎぬ
   君ならずしてたれかあぐべき

 この歌を素材に能『井筒』を生み出した世阿弥は、主人公を在原業平とその妻である紀有常の娘に定め、両者に交わされた細やかな愛情を、有常の娘の霊が思い浮かべるという筋立てとしている。
 夏雄は幼い頃の記憶の中の一場面を採り、ほのぼのとした空間構成としている。しかし、素材は極上質の赤銅地を微細な石目地に仕上げ、薄肉彫ながら立体的で奥行き感のある図とし、衣服には得意とした金の平象嵌による繊細な文様を加えて華やかに描き出している。夏雄らしい演出である。

三条大橋図縁頭 一宮長義

2009-11-04 | その他
三条大橋図縁頭 一宮長義                      


  
三条大橋図縁頭 一宮長義
 一宮長常の門人一宮長義(ながよし)の洛中洛外に題を得た風景図縁頭。元禄頃の京都金工細野惣左衛門政守(まさもり)の作風に似た、毛彫と平象嵌を駆使した作品。縁に描かれているのは肩が触れ合うほどに多くの人が行き交う三条大橋、その下を流れる鴨川に生きる者。頭には京都への入口の一つである粟田口辺りの旅人の様子。東山を馬で越えてきた御大尽らしき人物が、ここでも人の往来の激しい様子と共に描き表わされている。
 線に強弱をつけた片切彫と鮮やかな平象嵌を組み合わせるを得意としたのが長常だが、長義のこの作品にその家伝の技法が覗えないのは、画面の大きさが関連していよう。わずか2センチほどの図幅の中に複数の人物を描き分けるという技術は驚異のもの。題は市井の風景で、長常が求めた現実の世界をスナップ写真のように切り取ることと同じだが、異なるのは、主題に近寄って動きのある瞬間を捉える表現ではなくワイドな視野で捉えているところ。このような現実の街の様子を描いた作品は、風俗史的、あるいは歴史的な視点から興味を抱くものである。
 敦賀市立博物館にて《一宮長常展》が開催されています。古典的作品から、このような市井に題を得た作品まで、広く楽しんでいただきたい。