
時間があれば、彫り物師・石川雲蝶が30歳代から移り住んだ、
三条市に足を延ばしたかったのですが、
限られた3日間の休日だったので、
南魚沼市、魚沼市を拠点に、近在の社寺を撮り終え、
三条市に足を延ばしたかったのですが、
限られた3日間の休日だったので、
南魚沼市、魚沼市を拠点に、近在の社寺を撮り終え、
最後の訪問地は、
雪国の南魚沼郡湯沢町土樽の瑞祥庵です。
本堂での参拝を・撮影もご自由にと、
雪国の南魚沼郡湯沢町土樽の瑞祥庵です。
本堂での参拝を・撮影もご自由にと、
快く承知くださって、
どこでもいい、山に登りたいなァ~なんて、
山を眺めて、一旦、軽く腹ごしらえ。
山を眺めて、一旦、軽く腹ごしらえ。

👇1847年落成の桜門。
ここに数年たってからの彫った、
石川雲蝶さんの仁王がいる。
ここに数年たってからの彫った、
石川雲蝶さんの仁王がいる。




👇堂内外陣の欄間は、雲蝶の彫り物ではありませんのでと、
住職に念を押されましたが、
誰もいないのをいい事に、優しい鑿裁きを撮ります。
住職に念を押されましたが、
誰もいないのをいい事に、優しい鑿裁きを撮ります。
















👇本堂側から楼門を。

👆👇 冬になれば、雪囲いで見ることができない、
石川雲蝶の仁王・2体。
石川雲蝶の仁王・2体。
継承する宗教然を切り離しながらも、
オマージュを捧げた、雲蝶独特な感性のフォルムは、
心を見透かすように、より宗教然として。
オマージュを捧げた、雲蝶独特な感性のフォルムは、
心を見透かすように、より宗教然として。
彩色は昭和の初めに、古千谷の彩色家が幾分変えたとはいえ、
没後150年が経って、心揺さぶる鑿裁きでした。

1814年に生まれて、1884年までの70年、
絵描きにして、彫り物師、
飲んべぇ~にして、賭け事好きにして、女好き
江戸生まれ、越後では異邦人ながら、
雪国に、孤高の骨を埋めた鬼才・石川雲蝶さん。
いつかまた、逢える日まで・・・です。
飲んべぇ~にして、賭け事好きにして、女好き
江戸生まれ、越後では異邦人ながら、
雪国に、孤高の骨を埋めた鬼才・石川雲蝶さん。
いつかまた、逢える日まで・・・です。


限られた時間の中で、雲蝶の携わった瑞祥庵を
拝見できて良かったですね。
雪国に残り、人人に幸運をもたらして現代でも
拝見できる迫力ある彫刻と像。
雪国に残した雲蝶氏の偉大さを知りました。
本堂からの楼門の姿も最高ですね。
とよ様の心の中の高尚さを見ましたよ。
鑿裁きなどとてもとても私にはわかりませんが、これまでもお写真とご案内をいただいて、
貴重なものを拝見させていただき、たくさんのことを教えていただきました。
ありがとうございます。
小さな楼門の向こうに、素晴らしく荘厳された世界を感じます。立派お堂ですね。
見慣れたものとは異なり、仁王さんの手の反りも見事。
越後の文化、とりわけ石川雲蝶を追いかけて?
よい旅をなさいましたのですね。
雲蝶の彫刻は数点しか見てませんが、
迫力ありました。
雲蝶、独特なフォルムは、どうやって生まれたのでしょうね?
木立の中の楼門もまた、孤高な雲蝶を思えば取れだ1枚でした。
仁王の作品は、たぶん40歳前後に彫られたものだと思いますが、しなやかさも感じますね。
浮世絵の役者版画を彷彿させます。
次回訪れた時には、もっと深堀りできるような、旅をしたいものです。