春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

水の街、三島市の散歩の前に・・。三島神社 ②-②

2020-09-10 22:01:38 | 関口文治郎/神社仏閣

蜩の声はまだかと、
呟く9月2日、雨空から晴れ間がのぞき、
水の街、三島市の風景を撮ろうと・・。
旧東海道と、下田街道の分岐点の、
伊豆半島の神様92座のてっぺんに座する、
三島神社をお参りです。

松尾芭蕉の句に今日のような、
空の日に詠んだ句だと思いながら、





840年三島神の皇后を祭祀した三島大社、
三島大社の今日までの歴史が記載されている、
冊子は西暦、年月日がきっちりと記載されていて、
朝廷が関わり、
源頼朝さん、北条さん、足利さんたちが奉納した、
品々や、朝廷への上申など、
事細かく記録されていて、
読むにつれて、息苦しささえ感じる。
もし、息抜きが出来たと、いえるなら、
1194年頼朝さんのお嬢さんが病に伏し、
祈願に訪れ、奥さん北条政子さんが、
蒔絵手箱を献上した辺り。
娘さんの病名は何だったか・・・。
1200年の略史には、
伊豆国府を知るためには貴重な資料では、
あるのでしょうが、
三島に住む、庶民の動きは、
日々の願いに手を合わせる市井の、
記録はなく、
何か取り残された気分になる。







総門の彫刻は、伊豆の海鼠壁で名を知る、
松崎町に住んでいた、
小澤半兵衛さん。
幕末に活躍した方で、相当の売れっ子。
系図等、文献も沢山あって、
容易に知ることが出来ます。


👇舞殿から拝殿を・・。






👇拝殿、本殿の彫刻も、小沢半兵衛さんで、



👇蟇股彫刻3部作は、
右から、漢学者で遣唐使の吉備真備さんが、
唐で初めての囲碁を挑まれ、生か死か、
一目で勝って、死を免れたという、
吉備野真備の図の一部で、
中央は、天照大神の岩戸の神話、
左は、平家物語、
猿の顔、狸の胴体、虎の手足で、尾は蛇 、
夜中にヒュー・ヒュー、不気味に鳴く、
妖怪「ぬえ」を退治する図柄。






👇境内に、鹿の園、30頭はいたでしょうか。







この後、市内に向かうのですが、
空模様が・・

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2 コメント

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こんばんは (猫の誠)
2020-09-12 23:42:56
母が沼津の生まれなので、子供の頃三島大社に行った記憶があります。記憶といっても、夜店にいろんな色の大小のだるまさんを見たことだけですが。三島大社という名前だけで懐かしさがあります。
返信する
おはようございます (とよ)
2020-09-13 05:52:11
猫の誠さん、おはようございます。

名前だけで、懐かしさを感じる。
ちょっとだけの清涼感さえ感じるものですね。

なつかしさにお母様を浮かべ、
安らげたのでしたら、投稿した甲斐があります。
返信する

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