新浦寿夫 最速年度 昭和49年(?) ランク 10
新浦寿夫がデビューした昭和46年以来、ある程度の成績を挙げるまでの間、読売ジャイアンツ贔屓と思われる評論家を始めとして、制球力こそ欠けるものの、球は物凄く速く、リーグ屈指の速球派という評価が多く、あれだけの球の速さがありながら、何故大成出来ないのだろうかという論評が多かったものです。その当時、彼の投球は数多く観ましたが、一度たりとも速いと感じた事はありませんでした。大きなカーブとの緩急の差で、直球を速く見せるという、晩年の金田正一に似た投球パターンしかイメージに残っていません。従って、最速年度に関しても解らないというのが、正直な答えかも知れません。
鈴木孝政 最速年度 昭和49年 ランク 6
昭和49年夏頃だったと思いますが、彼の投球を初めて観た時、浮き上がる様に異常な程伸びて来る高目の球の速さ、及び切れの良さにびっくりした事をよく覚えています。当時速いと言われ、造られた速球投手、前述の新浦寿夫とは比較の対象にすらならないものでした。決して大きくない体ながらも、肘の撓りが素晴し過ぎる為、逆にその点が諸刃の剣になってしまうのではないかと心配した位です。あの美し過ぎるストレートをもう一度観たいものです。
新浦寿夫がデビューした昭和46年以来、ある程度の成績を挙げるまでの間、読売ジャイアンツ贔屓と思われる評論家を始めとして、制球力こそ欠けるものの、球は物凄く速く、リーグ屈指の速球派という評価が多く、あれだけの球の速さがありながら、何故大成出来ないのだろうかという論評が多かったものです。その当時、彼の投球は数多く観ましたが、一度たりとも速いと感じた事はありませんでした。大きなカーブとの緩急の差で、直球を速く見せるという、晩年の金田正一に似た投球パターンしかイメージに残っていません。従って、最速年度に関しても解らないというのが、正直な答えかも知れません。
鈴木孝政 最速年度 昭和49年 ランク 6
昭和49年夏頃だったと思いますが、彼の投球を初めて観た時、浮き上がる様に異常な程伸びて来る高目の球の速さ、及び切れの良さにびっくりした事をよく覚えています。当時速いと言われ、造られた速球投手、前述の新浦寿夫とは比較の対象にすらならないものでした。決して大きくない体ながらも、肘の撓りが素晴し過ぎる為、逆にその点が諸刃の剣になってしまうのではないかと心配した位です。あの美し過ぎるストレートをもう一度観たいものです。
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