昭和35年、東映フライヤーズに入団、43年に読売ジャイアンツへ移籍、翌44年に出戻りするも登板なしでその年を限りに引退した右腕投手です。37年も登板なしの為、実働年数は8年になります。写真は嵯峨健四郎投手が唯一出場した46年のオールスター戦でのものです。投球回数、完投数、防御率等キャリアハイであり、彼にとって21勝を挙げた39年のシーズンと共にベストの状態の時と言っていいかと思います。右腕の後方への引きが非常に大きい大掛かりなフォームながらも、球速はさほどでもなく、球の切れや伸びも今一つでした。体の柔軟性に欠けている事もあり、腕が遅れて出て来る事はなく打者に正対した投球フォームでした。この投球フォームの投手に多く見られるのが三振を奪えないという事です。このシーズンでの1試合当たりの三振奪取率は2.95と非常に低いものであり、通算でも3.62と、現在より三振奪取率の低い当時でも、三振の奪えない投手と言えるかと思います。
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