東進ハイスクール「林 修さん」の講演を聴きました。
できる子どもをどう伸ばすか ~林 修~ 浜松アクトシティ 2014・1・11
学問を身につけるためには、批判精神が大切
私の授業のシステムは、優秀な多くの東進スタッフに支えられている。
このスタッフは、東大に受かった学生から選ばれている。
このスタッフが、私の授業前に私の受講生にこう言った。
「林先生の言うことを、そのまま聞いてはだめだ。批判精神がなければ、学問は伸びない。」
私は、優秀なスタッフに恵まれ幸せだと思う。
私のスタッフなのに、私の講義を批判的に聴けと言うのだから。
人の言うことを素直に聞くだけの生徒は、社会に出ると使い物にならない。
学問に必要な精神は、常に疑問を持ち続けることだ。そういう気概をもって欲しい。
この講演も、そんなふうに批判的に聞いてほしい。
学校は考える(学ぶ)自由を保障しなければならない
私は、中学校で何かを身につけたことはない。
0だ。
勉強はできたが、学校の先生に教えてもらっからではない。
自分で考えたり、参考書で調べたりして、自分で学力を高めたのだ。
書道だってそうでしょ。
書写の授業で、字が上手になった人を見たことがない。
書道教室の成果を発表し合う時間になっている。
そう考えると面倒見のいい学校はいらない。
私の学校は、そうした活動を自由にさせてくれた。
勉強が好きな子は、ほっといてくれれば自分でちゃんと勉強する。
灘高校は、自由な学校だ。
3時半になると、先生はいなくなる。
先生は、自分の好きなことをやるのだ。
だから、学生は自分で学び学力を高めることができるのだ。
勉強の基本は、自分で考えることなのだ。
考える自由を確保してあげることが大事だと思う。
家庭が大事
以前、高校の授業に関わったことがある。
こんなに、問題が起きるのかと驚いた。
先生が生徒指導にこんなに時間を割いていれば、学習指導は難しいと感じた。
学習指導と生徒指導の両立は無理だと思った。
生徒指導の心配がなくなれば、教師は学習指導に専念できる。
生活指導なんてのは学校でやるべきではない。
家庭でやるべきことだ。
人を見るとだいたいどんな環境で育ってきたか分かる。
東進ハイスクールのスタッフはみな東大生だ。
その共通点は、行儀がいい、姿勢がいい、挨拶ができる、時間に正確などだ。
家庭の教育が原点。学校に期待しすぎない。
大事なことは親から子へ伝える。
すると自ら学ぶ子へと育っていく。
自分の「学び方」を苦労して見つける
放課後にも長々と補習を行っている学校がある。
これはやるべきではない。
一人で考えさせる。
この時間が大切なのだ。
この時間の中で、自分の学習の方法論を確立することができる。
自分のやりかたで考え、自分のやりかたを見つけるのだ。
これは、デカルトの考え方だ。
自分が、幸せになるための方法をまず考えるのだ。
方法が見つければ、その方法を実践することで幸せに到達する。
学習もこれと同じだ。
自分の学び方を苦労して見つけることで、学習の効率があがる。
人に勧められて行う学習方法では、身につかない。
勉強で一番大事なことは「勉強のやり方」を自ら考える事。
予備校のカリスマ講師と呼ばれる人たちが「こういうやり方で勉強すれば東大に受かる!」と教える。
しかし、それは嘘っぱちだ。
人のやり方は参考にするが、最終的には自分自身で編み出した方法でしか最高の効果は得られない。
例えば、マーカーで参考書を色分けするとか、赤いマーカーと赤い下敷きを活用するとか、語呂合わせで覚えるとか、様々な学習方法が紹介されている。
しかし、私はまったく関心がなかった。
小さな単語カードに大事なことをまとめ、肌身離さず復習する友人がいたが、私はこれも否定した。
私は、図に書いてみて、全体の体型を理解し、ストーリーとして頭に入れることで覚える方法をあみだしていた。
英単語なら、頭の中でスペルを書き、その像が見えたらOKとしていた。
自分にあった、自分の学ぶ方法を見つける。
それは他人から押しつけられるものではない。
方法を、自分で開発するのだ。
学校でこんなことを教えて欲しかった
次の2点について、学生時代に教えてほしかった。
①なぜ勉強をしなければいけないのか。
②全体の中でのその勉強の位置・他の科目とのつながりを、どう考えるのか。
すばらしい英語の先生がいる。
英語の教え方が、すばらしい。
しかし、英語を全体の中でどう位置づけるかを教えて欲しい。
英語は他の教科と違って手段・道具だ。
思考力は高めない。
英語だけ学んでいると、思考力が落ちる。
全体の学習の中で、英語をどう位置付け、つなげていくかが大事だ。
受験勉強を、英語の先生に聞くと、英語のアドバイスしかしない。
数学の教師も、古文の教師も同じだ。
どれも、とても大切なことだ。
しかし、色々な先生に、あれこれアドバイスしてもらったことを、全てこなそうとすれば、時間が足りなくなる。
情報をもとに、ベストな時間の使い方を考えなければならない。
社会に出てからは、こうした頭の使い方をするはずだ。
学生時代から、こうした意識を身につけさせていきたい。
縦軸と、横軸だ。
縦軸で現代文を学んでいるとが、将来にどうつながるのか。
大学受験は、ゴールではない。
高校の勉強は、社会に出て役に立つ基礎を育てているのだ。
社会に出ると、毎日考える。方法論を考えることになる。
分からないことが思考力を鍛える
分かることにそれほど意味はない。
分からないことが、尊い。
分からないことに出会ったときに、こうしたらどうだろうと考えることが、思考力を鍛える。
こうした作業は、自分一人で行う。
分からないことを楽しむのだ。
社会に出ると必ず分からないことに出会う。
答えは一つでないのだから、考えることが役に立つのだ。
勉強は、ほっておいて本人が勝手にやるものだ。
ああしろ、こうしろと指図しても伸びない。
難しい問題と出会ったとする。
ほおっておいたら、30人ぐらいの中の1~2人しか分からないかもしれない。
しかし、その分からないという体験が後々生きるのだ。
1度触れたことに後々出会うと、今度は分かるようになる。
子どもたちは、種を植えられるのだ。
いつか芽が出て分かるときがくる。
すぐわかってしまう問題をいくらやっても頭は良くならない。
わからない時間を楽しむくらいでないといけない。
私は、数学の難問を朝頭に入れて、通勤のバスの中でずっとそれを解いている。
「独りでわからない時間を楽しむ」これが自分の能力の源になっている。
実社会に出たら毎日が問題だらけ。
しかも答えが一つとは限らない。
学校でわからないことに出会うことは、実社会に出てからの問題解決能力の基礎として重要だ。
教育にはシステムがなく、個の力量に任されている
教育とは何かという問いに対する答えをよく聞くと、結局は「ドラッガー」だなと思う。
経済・企業では、システムが構築されている。
おかげで普通の人間が優秀な仕事ができるようになっている。
優秀な人間だけが、優秀な仕事ができるわけではない。
人間が変わっても、同じことができるようにシステムが作られている。
教育は、普通の人間でも優秀な仕事ができるためのシステムがない、唯一の仕事だ。
個人の力が、優秀な教師かどうかを決めるのだ。
その教師が、どういう教育を受けてきたのか、どういう教育を受けた人間と関わったかが問われるのだ。
人は、自分の専門は分かっても、全体像は分からない。
人は、自分自身の経験と、つきあった人からの経験から、考えるようになる。
教育することも、自分が受けてきた教育と自分が関わってきた人から得た情報をもとに行われるのだ。
それぞれに合った学習
これは学力の分布図だ。
青い部分の人が教師になる。
しかし、青い部分の人たちは、自分が学習した経験しか分からない。
自分の成功例があるから、自分のやってきた学習方法を押しつける。
時には「やればできる!」と情熱的になる教師も多い。
しかし、この青いグループに属する人たちは、赤いグループに属する学力の高い人たちの学習方法は分からない。
学力の高い人たちへの扱い方が分かっていない。
この学力の高い人たちの学習方法は、ばらばらだからだ。
みな、自分で自分の学習方法を発見しながら学んからだ。
教えられて、勉強ができるようになったわけではないのだ。
学習のできる子どもたちは、ほっておいてあげればいい。
そうすればあ、自分で学び方を見つけ学んでいく。
だって、勉強が得意で、勉強が好きなんだから。
反対に、教師は黄色い人たちのことも分からない。
勉強のできない人にも、人の持っていない能力がある。
勉強も、そうした能力の一部に過ぎない。
この黄色の部分の子も、何か特技があるはずだ。
無理に、教師の成功体験を押しつけずに、その特技を見つけ、認め、伸ばしてあげたらいいのだ。
それなのに、もっとやれ、もっとやればできると価値観を押しつけている。
人には必ず何らかの能力がある。
そこを引き出して伸ばしいて行く「場」を作るのが親や教育者の役目。
どこまで伸びるのかは子供に委ねる。
できる子をさらに伸ばす
勉強ができる子は、自分で方法論を考え、突き抜けるまでになると実力がつく。
青の範疇の教師が、青の範疇の子どもたちを再生産している。
赤のできる子たちにも、黄色のもっと別の得意分野で生きるべき子どもたちにも、一つの方法を押しつけている。
黄色の子どもたちにも、絵のうまい子、足の速い子がいる。
私は勉強はできたが、彼らにそれらの分野ではかなわない。
勉強ができる子は、どうして自分が勉強ができるかなんて分からない。
考えたこともない。
絵がうまい子、足が速い子だってどうして自分がそうなったかきっと分からない。
気づいたらそうだったと言うことだと思う。
赤い勉強のできる子たちを伸ばす方法は、同じレベルの子どもたちと関わることだ。
同じ勉強の得意な子たちと一緒にいると楽しい。
一緒にいると、自分たちで情報交換をし、刺激を受け、伸びていく。
またそれが楽しく感じる。
東大生や京大生は、学問が好きな集団だ。
だから、互いに仲間と受験の話をする。
勉強はこうすればいい、こういう方法で勉強したから学力が高まったと話し合う。
自分の体験と、まわりの成功者の体験を合わせて持つようになるのだ。
今後の日本のために、このトップレベルの子どもたちをもっと伸ばしていきたい。
このところ東大の学生のレベル低下が激しい。
上位の人間たちは変わらないけど、そうでない人たちの学力が低下している。
それは当然で、受験生の数がピークの120万人から60万人に半減している。
東大の募集人数は3000人で不変。
当然ボーダーラインは下がる。
さらにその中で、理数を目指す頭がいい子が医学部を目指すようになった。
景気が悪いから、安定志向で医者を目指すのだろう。
日本は元々は理数が得意で、ノーベル賞をもらうような多くの学者を輩出している。
トップレベルの子どもたちに、もっと化学や物理のおもしろさを伝えていきたい。
自分の適性を見だして、ノーベル賞をとるぞという気概を持って学習し、研究の道に進んでほしい。
失敗することは罪ではない。失敗しないような低い目標を持つことが罪なのだ。
トップを目指さなければならない。
子どもたちにトップを目指せという以上、こちらも緊張感をもって授業を行っている。
教師には、そういう気迫がほしい。
こういうことを生徒に伝えていかなければならない。
感覚を麻痺させろ
どの大学に入るかで、ほぼ人生は決まる。
自分よりもっと高いレベルの連中を見ると、感覚が麻痺するからだ。
基準が変わるのだ。
東大に合格する。
友達とどれぐらい受験勉強をしたかと情報交換をする。
自分が、高校時代1日7~8時間勉強してたとする。
しかし、東大の友人たちはもっと勉強していた子がざらにいる。
すると、感覚のインフレが起こる。
1日7~8時間なんて、そんなに勉強している方ではないのだと思えてくる。
東大を合格した生徒たちに「数学の勉強はどんな感じだった?」と聞くと、こう答えが返ってくる。
「数Ⅲは中学二年で終わりました」
(他のスタッフが)「それは早いなぁ!普通中学三年だよね。」
彼らは中学の時から高校の参考書を買って勉強している。
だから高校に入っるころには、高校の学習は自分で終えている。
だから、高校の数学の授業がつまらない。
ただただ3年間が早く過ぎないかを待っている。
勉強に対する基準がどんどん変わって行くのだ。
こうしたインフレ感覚が身につくから、その後の人生で成功を収めることができるのだ。
友達なんかいらない
受験に一番いらないものは、群れること。
話を合わせて、たむろするような友達は無意味だ。
男性にその傾向が強い。
友達なんかいらない。
合わせるだけの友達がいても、実力はつかない。
本当の実力がつけば、自ずとつきあうべき人たちと出会うことができる。
仕事のできる人に友だちの多い人はいない。
自分の頭でやり方を考えるのだ。
だれかに、「こうしろ。」と言われても、はねつけるのだ。
こうすると、責任をもって自分で考える。
「どうしたらいいのですか。」と方法を聞くのは情けないことだと思う。
これでは、高いレベルの勉強はできない。
異端のすすめ
自分が人と違っていいのに、皆と同じでないと心配な子ばかりだ。
異端は勇気がいる。
友達と群れている間は、時間の無駄。
なれ合いの時間は無駄なのだ。
みんなと一緒だからと安心してしまう。
一人力を高めたい。
一人でいたっていいじゃん。
だいたい人間は一人でいたって、一人でいられない生き物なのだ。
そうすると、本を読むようになる。
すると、過去の人物と会話をしたり、作者とかいわしたりと、知り合いが増える。
一人で考えている時間が大切なのだ。
出る杭をのばす
出る杭は自由にどうぞではなく、がんがんやる。
がんがんやってもそれに抗って出てくるのが、本当の出る杭だ。
想像力
受験は想像力を育てる。
人間には、想像と、解決が必要なのだ。
どうしたら問題を解けるのだろうと想像し、試行錯誤して解決する。
だから、受験こそ想像力を伸ばすことができるのだ。
想像力を育てるには、小さい頃から「本物」や「自然」に触れることだ。
自然には名前がない。ラベルもついていない。
自分の頭で分類指定のだ。
たとえば、草を見て、これはたんぽぽ、これはレンゲ、これは分からないから雑草という具合だ。
・最後に、私の講演を素直に聞き入れないでほしい。
批判的に聞いて考えてほしいと思う。
39回 | 2014年1月18日 | 土 | 9:00 | 12:00 | 天竜壬生ホール | 第2会議室 |
40回 | 2014年2月15日 | 土 | 9:00 | 12:00 | 天竜壬生ホール | 第2会議室 |
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