次の理科の授業の準備をするために、3年生の教室の前を通りかかりました。
ちょうど音楽の授業でした。
森島先生の声が聞こえてきます。「いまから、茶摘みを歌うよ。立ちましょう。」ざわざわと子ども達が立つ音がします。
すると先生が「今の、立ち方はだめでしょ。もっと、『歌いたいな』、『きれいな声を出したいな』っていう気持ちで立たないとだめでしょ。やり直しましょう。」と毅然とした声で指示されます。この言葉で私の足は止まります。
普段から、例えば体育館に移動する際には、「話さず美しい姿勢で歩きなさい。」などと指示しますが、こちらも根負けしたり、(まあ全てきちんとやらせると子ども達も大変だからここはよしにしようかな)などと甘く考えて指導の手をついついゆるめたりしてしまいます。
しかし、森島先生は、誰も参観していない普通の授業でも、常に子ども達により高いところを要求しているのだなと感じました。これは、子供が大変なのではなく、実は先生が大変な労力を要します。
さらに、歌がはじまると、こんなふうに全身を使って指揮をします。「ほらこんなに大きく息をすって!!」「おなかに入れるんだよ、息を。」と自分でも大きな息を吸いながら指示を出します。「目はまん丸だよ。」といいながら、先生のめがねの奥の優しい目が本当に大きくまん丸く見開きます。子ども達も、私もどんどん森島先生の世界に引き込まれていきます。
一度歌わせてみて、森島先生は、子ども達が『口を開けたつもり』になっているけれど、まだ精一杯の努力をせず、適当なところで歩留まりしていることが気になります。
そこで、「あの口」を指導します。一人一人、ほめたり、こんな風にほほを持ち上げてほお骨を意識させたりしながら、丁寧に基本を繰り返して教えます。「口の中の柔らかいところをさわってごらん。そう、そこ。そこに声をぶつけてごらん。」そんなふうに熱心に教えてくれる先生に子ども達も答えます。1分でも、2分でも「あ~」「あ~」と繰り返しながら、どうやったら先生みたいに言い声が出るか探ります。
みるみる、子ども達の口の開け方が変わっていきます。見てください、この気持ちよく開いた、口、口、口...
教室から、とっても素敵な茶摘みの歌が、廊下に響いていきます。