totoroの小道

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研究授業

2008-04-24 06:38:56 | 国語

川村先生が、校内研究で国語のオリエンテーションの授業をしてくださいました。この時期に授業を公開するということは大変苦しいことです。しかも、この国語の授業=クラス作りでもありますから、その先生の力が見えてしまいます。それを、たった2週間で可能にするのですから、やっぱり研修主任はすごいのです。

今まで、研修で本校の研修について話し合いをしてきました。おそらく、新しく来られた先生方にはよく分からない議論だったろうと思います。しかし、実際に授業を見ることでイメージもわいたし、何より、分からないところが分かったのだと思います。

私は、残念なことに実際の授業を見ていません。1年生の教室で、自習の補助をしていました。ですから、放課後の事後研修について書きたいと思います。

 

まず、今年来られた先生方から、授業を見て疑問に思ったことを話してもらいました。

「大問題の作り方を、教えてほしい。」「今日は、長い単元の中の、この部分を黒板に貼っていたが、その意図を知りたい。」「子ども達がどうやったら、あんなにとぎれなく話し合うのかを知りたい。」「教師が意図した答えがすぐに出てきたら議論にならないと思うが、その場合どうしたらいいのか?」「話し合いはすごいけれど、発表しない子の評価を考えると、ノートにも書かせたいが、その時間はどうしているのか?」.........

次々に疑問が出てきます。昨年からいた先生達が、それに対して自分の実践やノウハウを話します。話すことで、自分の考えも整理されますし、周りの先生達もそれに対して意見が言えます。

大問題については、よく読むこと、あらすじ、初発の感想、場面分け、主人公などの物語の概要をつかんだ後、普通ならあり得ない主人公の言動から作る。時には、そのクライマックスから主人公の感情を読み取る問題も作ったことがある等が出されました。

また、問題を作る際は、類型化できる問題を作るべきだと言うことが指摘されました。例えば、このカレーライスの一番最初に「ぼくは悪くない。」と唐突に言い切る言葉があります。川村先生の課題は「なぜ自分が悪いのに悪くないというのか」となっています。これもいいのですが「ぼくは本当に悪いと思っているか、本心からではないのか?」とか「どんな意図で悪くないと言ったのか。」など、「悪い・悪くない」などとはっきり対立の出る問題にした方が、話し合いの焦点が絞られることが確認されました。このことは、「教師が意図した答えがすぐに出てきたら議論にならないと思うが、その場合どうしたらいいのか?」という疑問にも通じることも確認されました。きちんと対立する答えが見つかっていれば、たとえ30人対0人に分かれても、その根拠を探さなければならなくなります。

ノート指導の大切さは、互いに確認し合いました。ダイナミックに話し合いをさせる反面、それぞれがどこで書かせる時間を作っているのか、どんな書かせ方をしているのか等、実践を出し合いました。本時だけを見ていると、話し合いだけしているような錯覚に陥りますが、事前事後でかなり書くことを意識してそれぞれが実践している様子が浮かび上がりました。

また、この日の研修では、「1文に絞って、切りながら学習することのよさ。」について模擬授業を行ってみました。

 

教師役の先生に、「ぼくは、悪くない。」と唐突に言い切ったことはおかしなことです。では「ぼくは悪いと思っているか。思っていないのか。」という課題があったとして、その証拠を、その次の「だから、/絶対に/ごめんなさいは/言わない。/言うもんか、/お父さんなんかに。」から探しください。と切り出しててもらいました。

「言うもんか」と「お父さんなんかに」に分かれました。対立が生まれると自然に話したくなるのが人情です。そこから先生方の自由討論が始まりました。話していくうちに「なんか」という言葉が浮かび上がってきます。馬鹿にしているのではないかというのです。ここで、先生役の教師が「本来なら、こうした議論の流れになったところで「なんか」を辞書で引きなさい。と指示します。辞書を引くと、ヒントが出てくるからです。」と話します。

さらに先生役の教師が「皆さんが、あげないところから証拠を挙げるとすると『だから』なんかもおもしろいと思います。『だから』は、辞書に、後件が、前件の論理上当然の帰結であることを表わす。と載っているので、謝らないと言うことは、悪くないと思っている当然の結果と読むことができます。だから、ぼくは悪いとは思っていない......」と続けると、「それは、おかしい。だって....」「そうだよ。ここでは悪くないと思っているが時間の経過とともに.....」「それは、ここに.....」もう止まらないぐらい、先生達の議論が白熱します。

そこで教師役の先生が「ありがとうございます。このように、対立問題を作って、一つの文に絞って、さらにそれを切ることでさらに短く絞って話し合いを行うと、みんなの目がここにあつまるでしょ。すると、話したくて仕方なくなりますよね。こうした授業をしていきたいのです。」と話し、模擬授業を終わりました。

最後に、校長からは、何点か指示がありました。その後に「言葉に忠実に話し合う国語らしい授業だった。また、職員研修も久々に国語らしい研修ができおもしろかったです。」と話されました。おおむねこの方向で研究していけばよい示唆をいただきました。

 


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2 コメント

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もう研究授業したのですね! (ゆきの)
2008-04-28 00:35:16
すごい熱意ですね!
授業された先生の意欲に感服しています。
新城で少しだけ様子を見させていただき、クラスづくりが進んでいるなあ、すごいなあと言う感想をもちました。
新しくなったブログを初めから読まさせていただきました。その場面をtotoroさんがよく覚えていて、記録をきちんと起こしていることに感心しています。
斎藤喜博先生の文章に「記録は愛」というような部分があったかと思います。
子どもたちの一言一言をちゃんと残すことのできるtotoroさんの「愛」の深さに驚きです。
学ばなければいけないところです。
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凄い!みんながんばっているね (Mrヒデ)
2008-04-24 20:46:42
 もはや「授業研究」がされた。さすがだね。
 新しい先生方はもちろんですが、もう一度「追求方式の授業Q&A」を読まれることをおすすめします。昨年印刷して配布してあります。また、パソコンにも登録してあると思います。追求方式の意義がよく理解されていないと、それに取り組む意欲がなくなります。
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