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授業は、子どもたちが、教師・友だち相互、それから教材と出会う場所です。
何事も、当たり前だと思っていては気づきや学びはありません。
立ち止まって、「おやっ」と思うところから、追求が始まります。
私たちの身の回りの全ての物は、立ち止まってよく見てみると、実は味わい深いものです。
おもしろい形をしていたり、質感が他の物と違ったり、見る方向によって見え方が違ったりします。
しかし、その「ちょっと立ち止まる」ことが、日常生活ではなかなかできないことです。
授業こそが、日常を切り取って、「おやっ」と思わせることができる場なのです。
一人では、自分の独りよがりな見方しかできません。
せっかく興味深い対象と出会っても、いつも通りの感想を抱くだけです。
教師や友だちの一言が、その概念をゆさぶります。
それができるのも、また授業ならではのことです。
そうした体験を重ねた子どもたちは、対象をぼんやり見ない、
何事も興味の対象として目にとめる賢い子どもに育ちます。
教師は、真に子どもたちが出会う場所となるように、
授業を構成し、
子どもの心を揺さぶっていきくのが仕事です。
出会いのドラマを演出し、
子どもたちのより深い学びを、意図的に仕掛けていきます。
このような、意図的な出会いは、人間の日常経験をゆさぶります。
人間の深層を覚醒させるものと考えます。
そうだとすると、図工では、題材=教材は必要不可欠な要素であると同時に、命であるとさえ言えます。
この題材との出会いによって、子どものが本来持っているエネルギーが触発され、
感情や心情が開かれ、次第に造形意欲が動かされていきます。
ですから、子どもと題材は、授業を計画・実施する上からかけがえのないものです。
子どもたちの学習へのかかわり方や課題意識の持ち方の差には、
この出会わせ方、その題材によるところが大きなポイントです。
50回 | 2月14日 | 土 | 9:00 | 15:00 | 浜北文化センター | 第1会議室 |
51回 | 4月11日 | 土 | 9:00 | 12:00 | 天竜壬生ホール | 第1会議室 |
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