日本では、全学連と新左翼を混同している人が非常に多いのではないだろうか。僕も近年までそうだった。でも、両者は関係はあるが、違うものである。
全学連の「連」は日本特有の言葉で、目的を同じくする人たちが自然発生的にできる集いを指す言葉である。江戸時代、俳句の連みたいなものが盛んにできたらしい。中国に「連」の字を同じ意味に使う習慣があるか、僕は知らない。ないだろう。それはともかく、その「連」から取った言葉であり、特に憲法や人権について関心を持つ人たちが党派などの隔てがなく集まり、論議して、友人・仲間になっていったものである。1960年少し前から始まったようだ。その時は日米安保条約も盛んに論議された。
でも、人間は世間に無視されたり、叩かれると傷つき、他人に恨みを持ちやすくなる人もいるようだ。70年ごろになり、行き詰まり、ゲバ棒をふるっても効果がない事が判ると、その中には世間に恨みを持つような人たちが生まれた。その中には、世間への恨みで頭が一杯になり、連合赤軍のように世間に過激な事をたくらむ人たちも出てきた。更には、社会変革方法についても、新左翼同士で対立が生まれた。世間に叩かれ、当事者たちは心が傷つくやすくなっていたので、仲間の批判も叩きだと思いこみ、叩き返そうと。新左翼間も分裂し、多くの派閥ができ、異なる派閥で殺し合いすらもやるようになった。もっと恐ろしい事もあったようだ。自分たちの理想とする社会を作る為に、障碍児を将棋の駒みたいに使うとか。派閥争いにも障碍児や障碍者が利用された事もあったと聞いた事がある。
以上ならば、人権も何もない。当初の目的は見失い、他人への憎しみにこだわるようにも。
それはともかく、全学連と新左翼は違うものである事を述べるわけである。人生は長く、歴史はもっと長い以上、焦って事を進めなくて良かったのに、とも僕は残念に思う。悲しいと。