トシコロのありのままの暮らし


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日本の政治の鋳型の推察

2015-01-27 17:10:05 | 日記



  1603年、徳川幕府が作られた。「大名」なる地域の支配者が細かく日本国土を分割支配。その大名には、支配者に徳川の姻戚である所の親藩、幕府以前から徳川家の家来だった人たちの支配者の譜代、それに、徳川家とは関係のない外様の各大名があり、今の国会のように大名たちは将軍の前に集っていた。幕府=日本の政治は将軍家やその下の大老、老中の他は、親藩と譜代の大名が実権を握っていた。幕末になり、外様の鹿児島の島津という大名が国政に絡んでいったが。まさに、万年支配体制であった。

  高校生の時からだろうか、僕は以上の国政の様子が戦後の日本の政治の構造と非常に似ている事に気が付き始めた。つまり、将軍が総理大臣。自民党が親藩と譜代、諸々の野党が外様。それで、諸外国とは違い、自民党はいつまでも与党、野党はいつまでも野党。1868年の明治維新で新たな政治体制を創り出したはずなのが、諸々の戦争などを経て、1955年から、徳川幕府に似た政治体制を日本人は無意識的に作り出してしまったのかもしれないと。後、1993年に細川連立政権ができ、その体制は崩れるかに見えたが、続かず、そして、数年前も民主党政権が誕生したが、これも続かなかった。徳川幕府の作った鋳型が今も形を変えて、生きているのかもしれないと。

  徳川の万年体制では、幕府の役人に賄賂を送れば利益を配分してもらえると多くの人が考え、汚職が多く起きた。自民党政府が長期化して、やはり、同じ事が起きた。何だろうと。歴史は繰り返すのだろうか。

   因みに、過去と似た政権ができたもう一つの典型例にロシアがある。かつては、イワン雷帝などの独裁的皇帝が生まれたが、1917年のロシア革命でそれが生まれ変わったはずなのに、スターリンという、イワン雷帝の再来みたいな人も輩出している。それでも、ロシア革命では国民の教育と医療が向上し、今日のロシアに結びついている。日本も明治維新後は教育が普及し、戦後は医療も普及したなど、進歩した面も忘れてはならない。

  僕は予知能力を持っている訳でもないので、これからの事は一切言わないが、確かに政権交代が稀など、特殊な政治状況があるのは事実なので、歴史に対比してみるのも良いだろう。
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小学生向け随筆1月号

2015-01-26 10:57:06 | 日記
 佐久のみなさんへ.     2015年1月

 一月。そちらは雪が毎日ふっている事でしょう。雪だるまやカマクラも作る事があると思います。かわいらしく、雪パンダとか。さむくなったら、ストーブに当たり、ときどき体を暖めながら、して下さいね。
 
東京ではあまり雪はふりませんので、冬の子供たちの遊びは江戸時代からたこ上げでした。色んな絵のたこを作っては、糸をつけて、そのまま風の力を利用して、空高く上げるわけです。大人になってからですが、ぼくも一度だけたこを左手に持って上げた事があります。1978年1月、板橋区の高島平団地という所の子供会に行った時のことです。その時は団地の広場で、車いすに乗り、学生ボランティアの人にそれを押してもらって。周りにいた小学生たちも注目して、見ていました。本当にたこは揚がった。おもしろかったです。そのたこの絵はざんねんながら、おぼえていませんが、いっしょに見た空がものすごく青く、きれいだったことはよくおぼえています。さいごまで、タコの糸を手からはなしませんでしたが、北風の強い日だったため、手をはなしたら、遠くまで飛んで行った事でしょう。
 
タコは世界中にあります。1752年には、アメリカ大陸にいたベンジャミン・フランクリンという人が、あらしの中でタコを上げ、その糸に電気が落ちるようすを見て、雷の正体は電気だと発見しました。タコは科学の発展にも役立ったわけですね。なお、くわしいようすは知りませんが、フランクリンはその実験(じっけん)の時も感電事故がない工夫をして、タコを上げたそうです。その後、同じ実験をして、感電して亡くなった科学者もいました。あぶないですから。みなさんも雷の時や台風の時には、タコは上げないようにして下さい。(1752年はまだアメリカ合衆国はできていませんでした。だから、「アメリカ大陸にいた」と書きました)
 
今回はこれで終わります。また書きます。
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岡田民主党代表へ

2015-01-22 11:51:27 | 日記



  岡田民主党代表に初メールを書きました。時期がイスラム国日本人人質事件と重なったため、「自分が総理大臣ならば、どのような対策を取るのか、冷静に考えて下さい」と書き、さらには「今回の件に限らず、常に自分が総理大臣ならば、と考えていないと、民主党が再び政権を取った時にはまた失敗する。アメリカやイギリス、韓国などの野党は常にそれを考えていますが、日本の野党は伝統的にそれをしていなかった。だから、数年前に民主党政権が出来ても、腰砕けになり、果ては中国に甘く見られた。再び民主党政権ができても、その繰り返しは困る」と書きました。

  以上です。何故、日本の野党がずっと以上の状態だったのか?の理由の一つの推察は来週のブログに書きます。
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「社会事始め」の追伸

2015-01-06 16:54:44 | 日記


  社会への真の関心は「生活」に絡んだことをしないと誰でも持てない。また、自分でも気が付かなかったが、ヘルパーさんとの関わりから少しずつ書く文も変わっていったようだ。誰でも生活に絡まないことをしなければ、文もまともなものはかけないのかも知れない。
  もう一つ。異性への手紙やメールもそうだと言える。今の僕が独身異性たちにいろいろな話ができているのも、根はヘルパーさんとの関わり合いである。生活感覚のない男女交際は成立しないはずだと。
  とにかく、僕の人生の流れは良いものになり、良かったです。
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社会事始め・ミクシー日記から

2015-01-06 10:27:14 | 日記
  (前略)、僕が社会に目を向けるきっかけとなったのが、2006年以降のヘルパーさんたちとの関わりだね。それから、少しでも自分の世界を広げたいと思うようになり、又、それまでの文通縁では狭い事に気が付き、パソコンを2007年12月から始め、その半年後にはミクシーも始めたわけだから。
  
2006年以前の僕は、旅行会と施設や療養所訪問の会くらいしか交友がなかった。旅行は遊びだし、施設や療養所訪問からは社会に目が向かなかった。自分の生活には絡まないし。
  
「福祉」と言っても、今の日本ではどうしても施設・療養所型と、在宅型に二分されると。前者は園生・元患者・職員の狭い共同体になり、内向きでもあるので、行っても話も通じない。在宅型だが、そこに勤務するヘルパーさんたちは一般のサービス業に近い感覚である。いわゆる聖職なんかではない。生身の労働者だと。それ故、その生活を保障するための賃金改善をこれからも政治家たちに僕は働きかけていくわけである。これが僕のすべき社会活動だと。また、そのような話は一般の労働者にすると通じるわけである。ヘルパーさんとの関わりにより、僕も一種の社会人になれたわけである。
 
因みに、こんな話を複数聞いた。「施設身障者への食事介護は次に何を食べるか、介護者が察しなければならない。気を遣う。でも、在宅の人たちは、何を食べたいか、積極的に言ってくるから、楽である」。個人差はあると思うが、そこからも生活の違いが見えてくるわけである。
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