トシコロのありのままの暮らし


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日本の経済恐慌

2020-08-30 13:56:13 | 日記
長期間の0金利、去年の消費税引き上げ、コロナとトリプル・パンチならば、今の日本の経済恐慌も当然である。仮に、コロナがなくても、オリンピック後には同じ経済状況になったに間違いない。日本発の世界恐慌になったと。少子高齢化のため、日本とヨーロッパはもう資本主義経済はムリになっているわけである。
 恐慌の原因を単にコロナに見るのは余りにも短絡的である。
 (その他、90年代以降の非正規雇用の増加もありますし)

これからの経済構造

2020-08-29 11:34:15 | 日記
「所得の高い人や、消費税から税金を取って、景気対策や福祉に回す」というこれまでの経済構造はとっくの昔にダメになっている。安倍政権の前の民主党政治も「財源」で福祉などが挫折したし、小泉政権前の自民党政権も同様に冷気対策が挫折。すでに「高額所得者」は日本とヨーロッパには少なく、高齢化時代で消費も伸びないから、消費税もダメである。日銀の「インフレ・ターゲット」も元々ムリだと。根本的な社会・経済構造改革が必要。
 ヨーロッパのどこかの国では、紙幣を印刷して、人々に「生活必要費」として渡して生活させる社会実験が行われているという。いわゆる「仕事」は社会活動として行なって。ヨーロッパも総需要が少ないから、悪性インフレにはならないわけである。
 これからの日本もそのような経済構造に変えるしかないし、介護などの必要経費もその方式しかないわけだ。10年後に急速に高齢化社会になる中国もそうするしか、ありません。
  また、以上の経済構造ならば、税金を軍備に使う事もないです。世界中が平和にもなります。

福祉と資本主義

2020-08-28 13:47:32 | 日記
   「致死性100%の社会的業病」の補足である。


   2000年から6年までの日本の小泉改革。福祉関係も「官から民」への切り替えが目立った。ところが、その「民」とは会社とか資本主義の意味であった。「介護や福祉に資本主義はなじまない」と、各地の身障運動家たちが散発的に反対運動を繰り広げた。僕もその数人の反対文を読んだ事があった。「資本主義は搾取的性格を持つから、介護には合わない」みたいな事を、「資本論」を引用して説明していたが、難しい内容で当時の僕には理解できなかった。更には、反対者たちも「対案」は出していない。それゆえ、2007年ごろ、一ヘルパーさんに「対案を出さないで、反対するのはおかしい」と僕も言った覚えもある。別に、国営ヘルパーを求めているわけでもないし、又、当時からそれはできないだけ、国の力も衰えていた訳だし。それに、19世紀の資本主義と今の資本主義は違うし、資本論を持ち出しても相手にされないだろう。

  とは言え、僕も何かおかしさも感じていた。何がおかしいのかは、まだ判らなかった。

  その後、僕は船井幸雄の経済予測の本をたくさん重点的に読んだ。引き寄せられるものもあったし。その中、19世紀の資本主義とは違った、スケールが大きくなった資本主義の矛盾や、ソ連の経済構造には資本主義以上の矛盾や資源浪費の事を知らされた。予測として、「資本主義も長くない。2020年には滅びる。その時に世界的なショックがあるかもしれないが、後は本物主義・弥勒の社会になり、お金ではなく、心や自然を大切にした社会になる。人々は連帯し、利他の愛に生きるようになる。丁度、縄文時代のように。そのころの日本人は愛の遺伝子が盛んで、他の民族もそうだったが、何故か、利己的な遺伝子が活発になり、分断の世界になった。...。その果てに資本主義になったが、それも終わりに近付いている」と。

  船井幸雄氏の言う通りならば、福祉関係も非常に良くなるわけで、その考え方を支持したわけです。また、「本当は日本は東日本大震災後に、世界よりも早くに弥勒の世になるはずだった。でも、安倍政権が再びでき、その移行は遅れた。残念だが、それも2020年までである」とも述べていた。

  船井幸雄はともかく、2005年以降、資本金不足の関係で倒産する介護会社や施設、通所が出始めて、問題にもなっていきました。僕のお世話になった介護会社もすでに2つ倒産しています。0金利時代の2010年代は福祉関係の倒産が増えていくなど、介護保険と障碍者支援法はすでに行き詰まっています。国営福祉には戻れないし、それには「らい予防法」などの邪悪な過去もありました。それが良かったとも到底思えません。かと言って、小泉改革の延長でやれる訳もないし。

   ならば、今後は「真の民=連帯愛と利他」の福祉を作っていくしかないでしょう。2005年ごろに小泉福祉改革に反対した身障運動家たちも、実はそのようなものを求めていたのかもしれません。でも、当時はまだそのような発想が出るような社会状況ではなかったから、対案は出せず、マルクスの古いものを引用するしかなかったのかもしれません。僕も今だから、「連帯愛」を言える訳だし。...。


致死率100%の社会的業病

2020-08-28 11:18:26 | 日記
 それは資本主義である。「死」の定義にもよるが、人は何らかの収入によって生きているので、解雇され、賃金収入を絶たれた労働者は社会的な死を意味するわけである。19世紀ヨーロッパはその問題が深刻だったため、マルクスは気にして、「資本論」の中に何度も書いた。当時の資本家=社長、会長に当たる人たちが生き長らえる不公平も。


   ところが、特に第二次大戦以降はその企業も組織化が進み、定年の時は退職金が支払われる事になったが、もし、使い切れば、終わりだから、それも「社会的な死」には違いない。更には、社長や会長もクビになる事も戦後はかなりあるから、19世紀とは違い、資本家も死にさらされている。また、障碍者やハンセン氏病患者は元々働けない例が多いから、最初から社会的な死が言い渡されているに等しいかもしれない。資本主義の穴を埋めるべく、高齢者や障碍者への福祉年金制度も作られてはいるが、資本主義中心の中には入れない構造には変わりがない。さらに、いくら働いている人たちでも、いつかは高齢になり、体も弱り、働けなくなるから、まさに「致死率100%」である。それが日本とヨーロッパでは、ここ10年近く、0金利やマイナス金利になり、資本主義の力も衰えているから、その「致死性」が目立ち、失業者も増えている。そこにコロナで、今年はもっと増えたわけである。

  コロナの致死性は5%に過ぎない。単純比較はできないにしろ、人々は資本主義の方を注目し、批判もし、適度に恐れるべきである。コロナはその20分の1で良い。

  思えば、世界の社会構造は多様で人々が自由に選べるようにしなけれは真の民主主義とは言えないが、多くの国々では資本主義しか選択肢がない。または、昔あったソ連みたいな官僚主義の国家やファシズムとか。その2つはろくなものではなく、潰れた。そして、好まざるに、資本主義の鋳型の中に人々は無理矢理はめて生きてきたようである。それもかなり破綻しているわけである。その資本主義の根は、キリスト教崩壊過程から生まれた個人主義らしい。そのヒントがM・ウェーバー著の「プロティスタンティズムと資本主義」という分析著に書かれている。更に言うと、その根は「個人主義・利己心だけの心」ではないか。プロテスタントに関係がないはずの社会の日本や中国にまで今は広まっているわけである。

   新しい価値観による共生社会出現を切に望む。


連帯を欠く差別

2020-08-23 15:34:13 | 日記
  80年代。教会関係で行った長野の知的障碍者施設の僕の書いた報告書。神学校を卒業したばかりの若い伝道師。当時の言葉で「精神薄弱という面ばかりが強調されている。そうではなく、『同じ人間』という視点が必要。神の下の同じ人間という意識が。また、人間関係は横中心でないといけない。連帯しないと。でも、この教派は連帯を欠いている。だから、トラブルとか孤独感になる。イエス・キリストは連帯を説いた」と手紙に書いてありました。連帯できないその教派を嘆きつつ、早くに病気なり、40歳の若さで天国に行ったわけです。
  キリスト教の愛は連帯愛なのか。判りません。教派によっても、一つ一つ違う。愛の解釈も無数にありますからね。他の教派の解釈を「インチキだ」と決めつける例も非常に多いし。「インチキだ」からは何の連帯もできません。
  以上はともかく、思い出し、当時の僕の知的障碍者への見方もおかしかった事を再発見する訳です。連帯の事を知らなかったかから、知的障碍の面ばかり見たわけですね。まさに、僕のしていた無意識的差別。見るべきものは、他人の命です。対動植物にも言えますね。連帯なき行動や社会活動はマイナスです。例えば、僕が対ヘルパーさんに介護だけを見ても、差別に当たるわけですね。以上思い出せてよかったです。