トシコロのありのままの暮らし


  世田谷カフェとの交信の必要性で、登録しました。それ以外の皆さんもよろしくお願いします。

学齢前の恋愛から

2021-08-31 13:20:02 | 日記
  1961年(昭和36年)春から夏の初めに僕がいた身障幼稚園。そこでしきりに僕に「光明(こうめい)、こうめい」と話し掛けてきた同年齢の女の子がいた。おかげで、僕もその名を覚えられた。当時の養護学校はだれでも入れるわけではなく、僕が入れて、その子は落とされた。悲しい事だが。その子はこの僕に集中的に以上を繰り返し言ってきたわけである。今気が付くに、僕に恋心があり、「愛している」の代わりに、そのような事を言ったのではないかと。学校で僕と机並べて文字を習う姿も脳裏にあったかもしれない...。

   以上のような姿は幼稚園や保育園で当たり前のように見られる。また、今は高齢者ホームでも。幼児や高齢者は子供は産まず、そのための肉体性欲も弱いか、ないだろうに。ならば、男女の脳の違いに恋愛は根差す事と言う事になる。更には、援助交際の例の通り、恋愛に関係ないセックスも人間には可能であるし。恋愛の根は性欲、という見方は多くの例から否定される。

   でも、20世紀は勿論、今でも「恋愛の根は性欲であり、援助交際と同じもの」という見方が世間に強く残っている。それゆえ、恋愛に目をそむける人たちも多い。特に、見合い結婚が多かった世代はそう。島田療育園で恋愛対策がなされなかったり、恋愛を禁止した施設や福祉団体があった理由もそのような偏見が根にあるとも見ている。その見方は一面的で、おかしいわけだが。

   話を戻すと、その子は僕に真の言葉を投げかけてくれた。他人の言葉の真偽を見分ける目もでき、そのおかげでSNSでも、詐欺に引っかからないでいられるように。今に影響しているようです。ありがたいことです。恋愛は互いの心を生かし合うわけです。身体も丈夫にする。むしろ、高齢者や身障者ほど、必要なことです。

 教会が戦争体質を持った根

2021-08-28 13:43:27 | 日記
   十字軍戦争だったかもしれない。ホイジンガ著「中世の秋」には、中世前期のヨーロッパの諸教会は、のどかな農業共同体・病院・学校・福祉施設であったことが描かれている。戦争どころか、論争や理屈もなかった。それが十字軍戦争で殺気立ち、論争も始まり、理屈も多くなった。まだ輸送機関が発達していなかったのに、戦争の規模と地域の大きさは20世紀の第一次世界大戦を上回ったわけだし。しかも何度も続いた。それで教会の体質が変わり、カトリックから分派したプロテスタント諸派にも受け継がれた。

 ヨハネ黙示録によると、イエスから千年後に今のシリアのハルマゲドンと言う所に世界の大軍が集まり、激しい戦争をして、終末になる事が書かれているが、十字軍戦争はハルマゲドンだったと思いたくなる。

  無論、イスラム側も変質しただろう。今のアルカイダなどの根の一つかもしれない。

  間接的に見たにしろ、以上の通りなら、千年に渡る歴史の醜い巨大な姿に僕も触れた事になる。ハンセン氏病差別も、島田療育園も大きいが、歴史的に見ると明治以降や戦後昭和のものであり、教会関係の事には及ばないようである。しかし、「神」は僕に何故巨大な歴史を見せたのか。判らない。

 牧師レイプと戦争体質

2021-08-28 11:05:12 | 日記
   中学時代、ルター派の広報誌で、アメリカの教会のかなりがベトナム戦争に協力しているのを批判する日本人信徒の文を読んだ事もある。聖書の「殺すな」を根拠に戦争に反対する教会も昔から世界中に多いが、ベトナム戦争に限らず、相当昔からかなりの教会は戦争に協力してきた歴史は否定できない。内村鑑三は日露戦争は反対したが、日清戦争には賛成したし、日清戦争以降の日本のかなりの教会も政府の戦争政策に協力した経緯もある。

  一方、牧師夫婦は小説やドラマで見る高級軍人夫婦に何となく似ている。僕もそう感じたし、同様な事も聞いている。そうかもしれない。高級軍人も、牧師も、自宅に常に多くの人が来たり、会議する事も多いから。私ごとがない。そして、妻は落ち着かない生活の夫を徹底的に支える。世話する事がそれらの妻のすべてである。男女平等は建前だけで。実際、「牧師夫婦は不平等。軍人夫婦もそうだった。だから、教会内は女性差別がひどく、同様の体質の日本軍を協力した」と言っていた信徒もいた。        

  また、軍隊は必ずレイプをする。先日も第二次世界大戦の時にソ連の兵士がドイツ人女性を多くレイプした事がTVで報道されていた。戦争レイプには勝者も、敗者もないわけである。これまでの世界の全軍隊は、レイプ・ファシズムだと言えよう。

  軍隊と教会組織、高級軍人と牧師が相似形みたいならば、牧師レイプも自然に起きてきたのではないか。7月にも、僕の行った所ではない教派の神奈川県の牧師にレイプされた女性の投稿文が朝日新聞に載っていたわけだし。戦争体質は女性の人権は認めないから、レイプも起きる。検索すると、多くの教派の牧師レイプが出てくるし、戦争体質という最も大きな問題にもつながっているわけです。世界ではもっと教会関係のレイプは多いかもしれません。レイプが消えない限り、世界平和はありませんね。


 ヘッディングは危険である

2021-08-27 11:01:38 | 日記
   サッカーのヘッディングの事である。二つの点で重大だと思われる危険がある。

   一つは脳と脳神経への損傷の危険。

   もう一つは、頚椎とその関係の神経の損傷。

   硬くて大きいサッカー・ボールが頭にぶつかれば、以上二つに大きな力がかかり、損傷になりそうであることくらいは、物理学を知らない人たちでも判りそうなものだが。日本でサッカーのプロ・リーグができた1990年代に、医学博士でもあるドクター中松がラジオで繰り返し、「ヘッディングは頭に悪い」と警告していました。でも、世界中の多くの医者たちは警告しているのでしょうか。

   プロにしろ、身障選手にしろ、サッカーするのは大人は一部に限られますが、一番深刻な問題があるのは学校かも知れません。体育の時間にサッカーもするわけだから。脳や首の損傷は起きていないのでしょうか。

   脳神経や頸椎の損傷で人為的に身障者を作ってはいけないし、その本人の苦痛はものすごいわけだから、危険が大きなルールは皆で関心を持ち、変えていく必要があると思います。パラリンピックをきっかけに思いましたが、むしろ、五体満足の人たちに多い危険ですね。特に、小学生から高校生までの。

 がっこの会

2021-08-23 10:54:43 | 日記
  1970年代、世田谷区にあった統合教育推進の会。会長は秋田県出身の元小児科医。70年代には、東京都で就学前に障害診断をされるようになり、障害児と診断された子は養護学校や障害学級に振り分けられたが、それにその医者は「差別ではないか」と疑問を持つようになったのが運動の始まりだったという。僕も76年に会長の講演を聞いた。以下である。

  「本来は個性と名前を持つ子ばかりなのに、なぜ、障害児・健全児と分けられ、学校や学級も分けられるのか。差別ではないかと私は次第に思った。日本や欧米の学校史を見ると、元々は戦争や経済性のために学校は作られた。日本では江戸時代は盲人も大切にされていたが、明治維新以降は障碍を持つ者は障碍者と呼ばれるようになり、差別されるようになり、年々ひどくなっている。障害児とか障碍者という呼び方は止め、名前で呼ばないといけない」

  「明治以降は経済性が優先される社会になった。おかしい。それゆえ、障害児を公立学校に入れ、助け合いを学ばせ、仲良くして、その延長で仲良し社会を作らないといけない。江戸時代にあった社会を公立学校に持ってきて」



  他にも色々ありましたが、骨子は以上でした。江戸時代の庶民社会の事は非常に勉強されていたわけです。また、手足や目、耳に障碍を持つ者や、ハンセン氏病元患者は一くくりに見られることも多いですから、共鳴できる点も77年当時の僕にもありました。とは言え、「書けない」とか「聞こえない」という勉強上のハンディを持つ子が健全児と同じ教育を受けても理解できず、勉強が嫌いになりかねない点がおかしいと当時も思っていました。同じ批判を左翼系の会で一教師からも聞きました。がっこ会は左翼系と教師たちには不評でした。会長は教師経験がなく、教育には無知だったわけです。そのような人が教育改革運動した事がおかしかったと思います。

  また、一からげで見られるのは、何も障碍児者や元患者だけでもないですね。マイノリティだけでもない。全ての人間です。早い話、医者も、ナースも、先生も、会社員も、主婦も、相撲取りも、みな一くくりに見られているし、自分もおのおの見ているわけです。統合教育では解決できない深い問題です。まさに文明が根の。(特に、どこの国でも、外国人と異民族は一くくりに見られているわけである)

  後年の僕がおかしく思ったことは、「江戸時代の精神を学校に」と言っても、江戸時代には公立学校はなかった点である。寺子屋は学校とは性質も違うし。その点もムリがあった。しかし、一番ムリだった点は、医者であり、教師経験のない人が教育運動の会をワンマン的に推し進めた事だったように思われる。僕も教員経験はないし、第一、教育の事は判らないからその運動はしていないが、それで良いと思っている。

  会長の故郷の秋田には「いぶりがっこ」という言葉がある。ご飯と漬物だけの質素な生活と言う意味だが、そこから会名をつけたのかもしれない。ご飯は明治以降は白米。そのような生活をしたら脚気になるが、江戸時代は玄米だっただろう。玄米にはビタミン類やカルシウム、タンパク質も多くあり、それと漬物だけでもかなり生きられた。そこに味噌、納豆、豆腐と添えれば、世界最高の栄養食になり、免疫力も非常に付き、それこそ、今のコロナにも、その他の病気にもかからない体になるわけである。質素の中に世界最高の健康食があるわけだ。1970年当時の日本も食の狂いは深刻で、それで多くの人たちが病気になっていった。糖尿病やガンに苦しむ子供たちも増えていた。障碍児含めて。

  ならば、その会長さんは同名の食べ物を正す会を作れば良かったと思う。江戸時代の伝統食も徹底的に勉強して。伝統食を作り、食べ、継承し、世界に広める会を。そうすれば、医者の経験も生きた。会も拡大し、たくさんの後継者もできた。僕も賛同者になり、伝統食を食べたと思う。検索すると、会長に共鳴した人の文が少し出ているだけで、特に平成以降の事は判らない。食べ物関係も文明に根差す大きな問題。そこからも社会の問題がたくさん出てくるし、食べない人はいない以上、非常に広がるのに。そうしなくて、残念に思う。僕も畑違いの事はしない事だと。
  (追記.「仲よく」と言ったが、それは明治にできた教育勅語で広まった言葉。江戸時代にも似た言葉はあったと思うが、一般的な観念ではなかった。それもおかしかったかもしれない。その歴史的経緯から、日本のプロテスタント関係は「仲よく」を否定する傾向がみられる。複数のルター派の人たちから聞きました。その辺も会長さんは勉強不足だったかもしれません)