そのような時に経済が発達したから、お金第一主義の世界になったわけである。1970年ごろの日本は世界から「エコノミック・アニマル」と言われて叩かれたが、何も当時の日本に限った事ではなかった。「資本論」の通り、19世紀のイギリス人も「エコノミック・アニマル」だった。どちらも、人格・人権の未発達の時に経済が急速に成長したから、エコノミック・アニマルぶりが目立った点はあったと思うが。
勿論、資本主義発達以前にもそのような問題はあった。端的な例は女性の性労働である。悲惨極まりなかった。特に、女性の人格・人権が歴史的に見て認められていなかったから、このような事も起きたわけである。他にも経済矛盾はあったが、近代ヨーロッパになり、労働者搾取という形でそのような問題が表面化したようである。
未来社会はどうなるであろうか。このまま人格・人権の観念が発達すれば、資本主義の矛盾も次第に少なくなるはずだが、何かの理由で人格・人権の観念が後退するような事があれば、各国が経済利害から激突し、核兵器や気象兵器が使われ、人類は絶滅する事も考えられる。どうせ未来を作るなら、人格・人権の観念が発達した社会が良いと思うが。戦争の未来だけは御免である。
勿論、資本主義発達以前にもそのような問題はあった。端的な例は女性の性労働である。悲惨極まりなかった。特に、女性の人格・人権が歴史的に見て認められていなかったから、このような事も起きたわけである。他にも経済矛盾はあったが、近代ヨーロッパになり、労働者搾取という形でそのような問題が表面化したようである。
未来社会はどうなるであろうか。このまま人格・人権の観念が発達すれば、資本主義の矛盾も次第に少なくなるはずだが、何かの理由で人格・人権の観念が後退するような事があれば、各国が経済利害から激突し、核兵器や気象兵器が使われ、人類は絶滅する事も考えられる。どうせ未来を作るなら、人格・人権の観念が発達した社会が良いと思うが。戦争の未来だけは御免である。