トシコロのありのままの暮らし


  世田谷カフェとの交信の必要性で、登録しました。それ以外の皆さんもよろしくお願いします。

天国の話の続き

2020-07-31 16:03:25 | 日記
先日の続きですが、近年は日本でも胎児やその前の記憶を持って生まれる子も増えていますね。後者ですが、「お母さんの体に入る前は、お空の上にいたの」とか言っています。天国でしょうか。本当に我々の魂は、地上と天国を往復しているのでしょうか。
 以上の子供が多くなった理由としては、日本の出産技術が向上した事もあると思います。脳が圧迫されずに出産できるようになったからだと。脳圧迫出産は人類の宿命にしろ、死産・脳性まひ・知的障碍の原因にもなっていたわけです。
 「天国にいた」という証言の子供が増えれば、科学もそれに合わせて、そっちの方に伸びていき、死後生・生前生、さらには、霊魂の組成検証にもなり、科学的に天国みたいなものが確認できるかもしれません。そのような事があれば、それは21世紀最大の出来事になり、我々の人生観も大きく変わるわけですが。確かに、コロナは今までは21世紀最大の事件でしたが、21世紀はまだあと80年あるから、コロナがずっと最大の事件になるとは思えないわけです。

床屋行きから

2020-07-30 15:41:36 | 日記
床屋に行きました。本当は明日行く予定で、電話を掛けたら、「今日は雨も降っていないので」という事で、すぐ迎えに来てくれました。床屋に行くまでの町の様子ですが、春ほどではないにしろ、店が閉まっている所も目立ち、相変らず、バスには人はほんの少ししか乗っていない。開店している大きな洋服屋も客は来ない。不景気そのものですね。例えば、リーマン・ショックの時もこれほどはひどくなかったわけです。これから新患者数が増えたら、更に不景気になりましょう。今の不景気を作っているのは、別にウィルス自体ではなく、「かかると死ぬ=死の恐怖」ですが。それで人々の気持ちが萎縮しているわけです。死を見つめる事を近代以来、ずっと怠ってきた地球人のツケみたいなものがあるわけです。


 死後生以前に、我々は死を見つめていない・知らない・知ろうとしないわけです。良くなかったと思います。これからは死も見て、知ろうとしましょう。

 





フェイスブック投稿から・天国

2020-07-29 11:38:17 | 日記
かなり前にテレビで伝えたアメリカの話。手話で話せる男のゴリラ。彼に「死んだ後はどうなるか?」をその関係者が試しに聞いたら、彼は上の方を指さし、更に手話を使い、
 「上の所に行く」
と答えたそうです。
 無論、彼は聖書を読んだわけでも、神父から教えられたわけでもないのに。人間の一部が経験する臨死体験を知っているとしか思えないわけです。また、生まれる前も霊魂が天国にいたならば、彼はその事も知っていたと思われます。
 人間の出産時は頭脳が圧迫されますから、それで前世や生まれる前に天国にいた事も忘れるのではないかと僕は前から察していますが、本当に死後生や生まれる前の意識があれば、例えば、死後も再会できるから、他人や他の生物を虐待・いじめたら、死後も恨まれ続け、まずいわけだし、一方では、例えば、シマウマがライオンに、イルカがシャチに殺される事も同情する必要もなくなるなど、ものの見方が変わるかもしれません。肉体が朽ちる事も鮮明に意識できて、身障差別もかなり減る事も考えられる。死後はお金は持っていけないから、資本主義も崩れるわけでもありますが。無論、かつてのハンセン氏病差別みたいに、特定の病人を迫害するような愚かな事はしなくなるわけです。...。

フェイスブック投稿から

2020-07-28 17:12:06 | 日記
命=心ではないか。命自体にすでに心があるという見方に立つと、ものの見方も変わってくるわけですが。今までの脳中心の見方は唯物論の延長で、もう古いようです。
それから、日本では、戦前・戦後とハンセン氏病患者たちの心を国と世間が無視したのは、戦前は軍事中心、戦後は経済中心の社会だった事と大いに関係ありましょう。全ての国民の心が軽視され、その中でも特にハンセン氏病患者の人達の心が無視されたわけです。国と世間の両方にハンセン氏病患者を追いやった罪があると思われます。

日本のコロナ差別からハンセン氏病差別の事も感じられてきました

2020-07-28 11:13:54 | 日記
   若い時、ボランティアや友人の力を借りて、盛んに多磨全生園に行った時は、元患者たちの寂しさは感じても、日本のハンセン氏病差別特有の嫌らしさ、複雑さは知る事はできなかった。そうかもしれない。日本のその差別は、日本の世間の中にあるわけだから。各地にある「ハンセン氏病療養所」なるものは、その患者たちが差別され、追いやられた結果に過ぎず、そこをいくら見ても「差別する」側の事は出てこない。一番大事なことは「差別した側の罪業」だから。差別された側の寂しさみたいな事だけを伝えても、差別した側の罪業を伝えなければ、似た問題が起きた時に差別は復活するわけだし。本当に今はコロナを通して、復活しているわけである。


  僕がそこに行った1980年前後は首都圏ではその差別は息をひそめていた。多くの元患者たちにすし屋やラーメン屋が当たり前のように出前をしていたし。「ハンセン氏病差別は消えた。良い世の中になった。一緒に酒でも飲んで楽しくやろう」と言っていた元患者さんもいたわけだし。でも、2002年ごろには、熊本県で元患者たちが旅館に宿泊を拒否される事もあったし、伊波敏明という元患者の作家の本には、自らの身障リハビリ所の経験として「身障者たちに自分の茶碗に黒いバツ印を付けられた」とか、不可解な事も書いてあった。今思うと、世間にハンセン氏病差別は伝えられ、身障者の中にも加害者になっていた例もあったわけである。そして、今は。ハンセン氏病差別がコロナに投影された気が僕にはしてならない。今回は医者やナース、その家族もが。規模が広がっていると。ハンセン氏病も、コロナ肺炎も一つの病気に過ぎないのに、そこから人格までもが差別される。おかしい。

  以上の2つの差別の最もおかしい面を言おうか。患者や元患者の「心」が無視されている点である。菌やウィルスを撒き散らす物体としか見ていない点。医者やナース、その家族への差別も同じである。人間は物ではない。ロボットとは違うわけだが。でも、我々はそれらの患者抜きにしても、どれだけ他人の心を大切にしているだろうか。今の文明の欠陥の現れかも知れない。根は深い。(因みに、「日本の」とあえて述べたのは、外国には違った事情があるからです。韓国では、1960年にハンセン氏病隔離は止めていますし、他の多くの国々も。日本は遅れています)