トシコロのありのままの暮らし


  世田谷カフェとの交信の必要性で、登録しました。それ以外の皆さんもよろしくお願いします。

S園の著述予定

2016-02-22 10:45:24 | 日記


   これから少し休んで、3月にはその医学面を書いていきたいと思います。園長は医者でしたが、医学面でも色々とおかしかったです。
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S園の基礎知識

2016-02-18 17:06:36 | 日記
  S園の基礎知識








  S園=養護施設の障碍児版と考えれば、判りやすいでしょう。父母がいても、何かの理由で育てられない場合も養護施設に入り、育てられますからね。1960年代の日本では障碍児の療育知識がまだ世間に広まっていなかったから、その穴を埋める為に作られたと。時は経て、1980年ごろの日本では、障碍児の療育知識も世間にすでに広まっていたから、身障・知的と在宅で育てられる親が非常に増えたため、そのような施設の必要性もなくなり、発展的解消をしたと。障碍児も在宅で育てられるに越した事はないですからね。行ける養護学校・公立学校も増えたし。S園は文字通り、子供用施設でした。

  以上は基礎知識です。

  「子供用施設」なのに、大人になっても居続けざるを得ない身体・知的障碍児が多数いたから、おかしくなっていったわけです。明らかに、法整備の不備でしたね。大人の障碍者の受け皿が用意されていなかったので。
 





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絶望的な恋愛・結婚状況の根・S園から

2016-02-16 11:29:44 | 日記
  S園は各種障碍児者がいたが、身障部屋の話である。そこは一応は「障碍児施設」なので、大人の障碍者は法律上はいない事になっていたが、身障部屋に限って言っても、成人した園生が何人もいた。むしろ、僕の行った所は未成年は13歳の者が一人いただけである。それ自体も「法の不備」であり、当時の福祉行政の欠陥の現れだが、それに伴い問題が噴出していた。

 その一つが恋愛や結婚である。人は10代後半以降になれば、恋心を持つ。特に、状況の狭い所で純粋培養的に育てられた者ほど、一途な恋心を持つわけである。僕とよく会話をした重度脳性まひのM氏もそうであった。口に小さい棒を加えて電動タイプライターは打てるが、手足は全く動かせず、室内移動もできない身体である。直接、氏に聞いたわけではないが、そこを訪れたルポ・ライターの手記本に書いてあった事を簡単に紹介すると、M氏が22歳くらいの時だから、僕が訪れる5年前、一人の女性職員が好きになり、カタカナの電動タイプライターでラヴレターを書いたそうだ。その職員は驚いたが、結婚生活を想像し、当時はヘルパーもいなかったため、それ以前にM氏の在宅生活も成り立たないと考えたらしく、その職員は断った後、退職し、行方をくらましたそうだ。二人共、非常に心が傷付いたのである。S園側はそのような事は全く想定していなかった。そのルポライターの本を読み、僕も心痛んだし、又、僕の5年後くらいにS園を訪れた一身障運動家U氏はは嘆き、「S園では特に性と愛の問題が抑圧されている。...。人間は何のために生きる? 男は女のために、女は男のために。それ以外の目的、私は信じない」とまで断言している。その事をミニコミ文に書いていたわけだ。ただ、U氏はその原因については考えもつかなかったらしい。当時の日本は在宅で、かなり軽度な身障者でも、結婚差別みたいなものが強くあったから、U氏も原因について判らないまま、88年に病死している。冥福を祈りたい。

  いつまでも障碍児者は子供だと園の人たちは思っていたようで、恋愛対策とか、結婚生活の準備をしなかったわけである。もし、子供と大人に施設が分かれていたら、対策は難しかったかもしれないが、考慮くらいは行われていたのではないかと思う。

  僕と親しかった園生の野口栄一氏は恋愛や結婚について手記文を書いている。「昔は障碍者でも結婚できた」という文言があり、僕は首をかしげた。でも、大正デモクラシーの頃の日本では障碍者運動も盛り上がり、身障者でも活発に婚活し、かなりが結婚したそうだ。その事を指していたのではないかと後年思った次第です。

  以上は何も園生たちに限らず、この僕の大きな問題でもあると。過去に交際した女性もいましたが、いまだに独身。今の僕は恋愛と結婚の根本的な違いを思う次第です。恋愛は感情の絡みですが、結婚は生き方や人生の絡みから生ずるものだと。そのように解釈すると、問題のM氏の生き方自体が確立に程遠い状況だったから、氏と結婚できる女性はさがしても見当たらなかったのではないかと考えられます。確かに、S園では園生一人一人の生き方の模索も考えられていない状態でした。

  もう一つ。全く別の事ですが、当時の世田谷区では、在宅身障者が同年代のボランティアたちに子供扱いばかりされ、恋愛や結婚の対象にされないという、おかしな事がありました。僕もその事については、S園以上に謎に思っています。

  今はスピード離婚も増えているなど、障碍の問題を越えて、愛と性の問題が問われている時代ですね。それも非常に大事な事です。皆様も考えてみて下さい。
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その生活は清原氏の望みだったのか?

2016-02-12 11:31:09 | 日記



  昨日のブログを書いた後、大事な事に気が付きました。

  かつての清原氏の豪華な生活は社会=多くの人々に支えられて成立したものです。草野球の例の通り、野球ばかりしても、豪華な生活にはなりません。日本プロ野球機構があり、12球団があり、清原氏の所属していた西武ライオンズや、東京ジャイアンツがあり、それを見に来る、テレビやラジオ観戦する何百万人ものファンがあって、それを伝えるマスコミもあって、巨額な収入や豪華な生活が成り立っていたのです。そのくらいは清原氏も判っていたでしょう。そのような生活を本当に望んでいたら、本人の心に自然に感謝の念が起き、多くのファンなどとつながっている事も悟り、常にテレビなどで「ありがとうございます」と言うはずです。選手引退後も強い感謝の念を社会に持ち続けるはず。それならば、寂しさや空虚感もなく、妻子ともうまくやれ、離婚もなく、又、覚せい剤にも手を出さないと。おかしいですね。何分、現役時代から覚せい剤を使用していたそうですから、もっとおかしい。

  人間は自分の意に本当に沿う事を人々からされた時だけ感謝するものです。人から意に沿わない事をされた時は感謝の念は絶対に起きません。皆様も覚えがあると思います。ならば、あのような生活は本当は清原氏の望むものではなかったのではないかと推察しました。まだ高校生の時に野球で騒がれ、自分の気持ちを見失ったまま、プロ野球に入り、走り続けたのかもしれません。

  大きく見れば、経済大国になった日本、韓国、中国などの多くの人達にも言えるかもしれません。日本に絞って述べると、敗戦で日本中が徹底的に飢えました。それで戦後の日本人は政治家・役人・庶民と経済成長に力を入れてきた。そうなりましたが、それは産油国が喜んで石油を売ってくれた事や、輸入した資源を基に作った製品を世界中の人々が買ってくれたお陰なのですが、僕の見た所、それらへの感謝の気持ちを持つ日本人は少ないように思えます。感謝すべきだし、感謝できなければ、経済中心から別の生き方を模索しなければなりません。

  個人にしろ、国単位にしろ、社会や世界に感謝できない生活をするようでは中途半端になり、後はろくなことは起きないと警告して、この文を終えます。
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その生活は清原氏の望みだったのか?

2016-02-12 11:31:09 | 日記



  昨日のブログを書いた後、大事な事に気が付きました。

  かつての清原氏の豪華な生活は社会=多くの人々に支えられて成立したものです。草野球の例の通り、野球ばかりしても、豪華な生活にはなりません。日本プロ野球機構があり、12球団があり、清原氏の所属していた西武ライオンズや、東京ジャイアンツがあり、それを見に来る、テレビやラジオ観戦する何百万人ものファンがあって、それを伝えるマスコミもあって、巨額な収入や豪華な生活が成り立っていたのです。そのくらいは清原氏も判っていたでしょう。そのような生活を本当に望んでいたら、本人の心に自然に感謝の念が起き、多くのファンなどとつながっている事も悟り、常にテレビなどで「ありがとうございます」と言うはずです。選手引退後も強い感謝の念を社会に持ち続けるはず。それならば、寂しさや空虚感もなく、妻子ともうまくやれ、離婚もなく、又、覚せい剤にも手を出さないと。おかしいですね。何分、現役時代から覚せい剤を使用していたそうですから、もっとおかしい。

  人間は自分の意に本当に沿う事を人々からされた時だけ感謝するものです。人から意に沿わない事をされた時は感謝の念は絶対に起きません。皆様も覚えがあると思います。ならば、あのような生活は本当は清原氏の望むものではなかったのではないかと推察しました。まだ高校生の時に野球で騒がれ、自分の気持ちを見失ったまま、プロ野球に入り、走り続けたのかもしれません。

  大きく見れば、経済大国になった日本、韓国、中国などの多くの人達にも言えるかもしれません。日本に絞って述べると、敗戦で日本中が徹底的に飢えました。それで戦後の日本人は政治家・役人・庶民と経済成長に力を入れてきた。そうなりましたが、それは産油国が喜んで石油を売ってくれた事や、輸入した資源を基に作った製品を世界中の人々が買ってくれたお陰なのですが、僕の見た所、それらへの感謝の気持ちを持つ日本人は少ないように思えます。感謝すべきだし、感謝できなければ、経済中心から別の生き方を模索しなければなりません。

  個人にしろ、国単位にしろ、社会や世界に感謝できない生活をするようでは中途半端になり、後はろくなことは起きないと警告して、この文を終えます。
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