トシコロのありのままの暮らし


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全学連の挫折の一因

2015-06-05 14:49:48 | 日記

  全部がそうではなかったが、かなりが資本主義に反対するものとして、マルクスの旗を掲げた点もあったと僕は見ている。「マルクス主義の下、心豊かで、人間らしい暮らしを」と。

  では、当のマルクス氏は何を述べたのだろうか。資本論を読めば判る。当時のヨーロッパ、特にイギリスの徹底した経済分析である。くり返し、似た事も出てくる。数式も多く取り入れて。又、当時、特にイギリスに入ってきた中南米やアフリカ、インドなどからの物品とかも。その下で働かれていた労働者の問題も冷徹に描いている。19世紀最大の経済学者であり、その点では敬意を表さなければならないと思う。経済分析の他は、「資本主義の発展の為、労働者への搾取が強まり、それへの反発から労働者革命が起きて、搾取のない社会主義社会ができる」という予測である。その具体的なビジョンははっきりしないが、どう見ても物質中心の価値観の社会には違いない。産業を管理する者が資本家から労働者に交代するだけで。「物を追及して、人は幸せになるか」という事には言及していないし、又、社会思想や革命思想も述べていないのである。

  言わば、資本主義と社会主義は経済システムが違うに過ぎない。物質的追及に価値を置く点では一致している。資本主義の反対=マルクス主義ではない。この件は日本人の経済関係の著作を多く書いた船井幸雄氏が繰り返し、述べていた。

  1950年ごろ、当時のソヴィエト・ロシアに対抗するため、アメリカでは大規模なレッド・パーチ(赤借り)が行われ、「資本主義の反対=マルクス主義」だと世界的に宣伝したが、ほとんどの日本人もその説を信じ込み、その後の若者たちの多くもそのように信じ込んでしまい、資本主義に対抗すものとして、マルクスの旗を上げてしまった。一部の若者はムリやりマルクス主義に自分たちを合わそうとして、ムリとも思われる行動や理論を振りかざした。ムリをすれば、どんな人たちでも行き詰まる。そのような事もあった気がする。

  因みに、元々川本兼氏はマルクスの旗は上げていなかった。そのような学生運動家もたくさんいたわけである。
 (赤狩り=共産主義者への弾圧)
   (労働者が産業を管理できず、役人王国にソヴィエトはなっていったのは周知の通りです。でも、それを書くと本題にそれるから、今日は書きませんでした。)