トシコロのありのままの暮らし


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下村理論と疑問点

2015-06-03 09:57:42 | 日記


  先週、NHKスペシャルの戦後日本の歴史の番組で、下村治と言う戦後活躍された経済学者の事が取り上げられた。その考えとは「日本が中国などを侵略したのは貧しかったからである。又、国民の幸福度=経済である。日本を今後は戦争させない国にするためにも、経済成長をさせなければならない」という事を1960年ごろ、時の総理大臣に提言し、そこから日本の高度経済成長が始まったわけである。60年代は日本人の生活が急速に向上したが、大気汚染なども深刻化した。1973年の石油危機でその成長はいったん終わり、下村氏も経済成長の終了を宣言した。

  さて、僕が疑問を持つ一番の問題は、中国侵略の原因は経済だけなのか?という事である。確かに、経済要素も無視できない。中国東北部にある石炭を求めて侵略した面もあったのだから。でも、広くアジアを見ると、日本よりも貧しく、1990年ごろまで街頭に餓死者がたくさん出ていた国々が多い。下村理論の通りならば、戦後のアジア・アフリカでは、侵略戦争を起こしてばかりいる国々がたくさん出そうなものだ。インドはその典型だったろう。でも、インドも侵略戦争は起こしていない。その他のアジア諸国も、そのような理由で戦争を起こした国はない。おかしいではないか。という事は、例えば、政治の腐敗とか、人々の連帯不足で、軍部の独走を許した事も戦争要因になってくるし、インドなどと比較すると、むしろ、その方が大きいのかもしれない。

  とは言え、「1960年」ではまだ戦争に至った経緯も掘り起こされておらず、飢えの記憶も鮮明だった時期。下村氏を批判する事はできないわけだが。

  経済成長の果てに、60年代末、当時の若者を中心に、経済=幸福と言う価値観に疑問を持つ人たちが増えていった。それは全学連運動の柱みたいにもなったが、早くに挫折した。その問題については、明日書きたいと思う。

  (インドだが、確かに70年代初め、隣国の東パキスタンがバングラディシュ共和国に変わる為の軍事介入はした。でも、そこにインド人が入植したりはしなかった。日本の満州国作りとは性格が違っていたわけである。)