トシコロのありのままの暮らし


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天皇陛下のフィリピン慰霊のテレビ中継を見て

2016-01-29 13:59:02 | 日記



  フィリピンの日本人慰霊碑に両陛下は深々と頭を垂れ、祈られていた。

  そこは日本とアメリカの軍隊が激しい戦闘を行なった所である。日本軍、アメリカ軍は勿論、それらをはるかに上回る、当時のフィリピンの人民の全員が戦闘に巻き込まれ、多くの人々が死傷した。当時のフィリピンは独立国でもなく、勿論、戦争当時国でもないのに、それを上回る犠牲者を出したわけだから。戦争は当時国だけで済むような問題でもないと思う。ベトナム戦争の時もその隣国のラオスとカンボジアが巻き込まれ、多くの犠牲者を出したわけだし。思わぬ国々からも犠牲者が出る。これが戦争である。絶対に起こしてはならない。

  日本が戦争の道を歩むようになった大きな原因の一つには、政治家の力が1920年代後半くらいから弱まり、特に陸軍の暴走を止められなくなった事にあるわけだが、政治が弱くなった理由の一つは政治家に賄賂を渡す人が増え、汚職が多くなり、政界全体が狂っていった点もあると言われている。それから90年近くたった今だが、皮肉な事に、天皇陛下慰霊の前日には、大臣が汚職で辞めている。このまま汚職が増えていき、与野党の別なく、政治の力が衰えれば、日本は「かつて行った道」をまた歩かない保証はないのである。政治家の自覚は勿論だし、国民も私利私欲に捕らわれての賄賂送りは一切やめるべきだと思う。情報が瞬時に世界を駆け抜ける今は、政治汚職は世界の人たちに対して恥ずかしい事でもあるし。
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昔の障碍児者施設、コロニーの実際

2016-01-26 11:41:29 | 日記



  僕が見た障碍児施設のS園では、障碍別に分かれていたが、一つの部屋に20人くらいの障碍児者が住み、数人の職員が介護などを担当していた。

  しかし、「障害児者の介護」と言っても、その仕方は本当に一人一人違う。着替え・食事・トイレと。特に、食事の場合は、介護の仕方を間違うと食べ物がのどに詰まり、窒息死にもなりかねない。他の障碍児者の要領では介護できない。大体、一様である牛などの世話とはわけが違うのである。それゆえ、介護する職員たちも非常に大変で、次々と心が燃え尽きて、止めていった。同時に複数の障碍児者の介護をする事は誰でも無理な事である。間接的に聞いた所、S園の職員でもそのような意見が出たそうである。同様な問題が日本各地の公立コロニーでもあったと聞いた事もある。

  1980年ごろ、ある身障者から「厚生省の役人の中には、障碍者をコロニーに入所させて、効率的に介護させることを考えている」という情報を聞いた事があった。でも、真偽はともかく、それは障碍者の人権無視だし、職員たちもそれではかなわないと。机上ではそのような計画は作られても、実際は不可能でもあった。障碍を持つ人たちも社会の中で生きられるようにすることがムリがないし、神様と言おうか、自然もそのように障碍者を作っているように僕には思われる。

  「施設職員の問題」は見落とされがちだが、それも大事な事だと思う。

  もう一つ、大事な点。障碍者を集めて生活させると、自我と自我が衝突し、ストレスも絡み、園生同士が必ずケンカする。どの施設もそうだったらしい。その仲裁は職員も、医者もできず、その面でも職員たちも辛かった。ムリである。詳しくは言えないが、S園を訪問し、僕もそのようなケンカに巻き込まれ、ひどい目にあった事もある。1年でS園を退いた理由の一つにもなっている。

  ついでに述べると、ハンセン氏病元患者の場合、死ぬ間際にならなければ要介護にならない例ばかりで、以上の介護問題は起きなかった。食料さえ供給すれば、機能するシステムにハンセン氏病療養所はなっていたようだ。あのような内向きな生活がずっと続き、「ライ予防法」も長く続いた理由の一つかなとも思われる。元患者の多くが要介護ならば、そのシステムも早くに壊れたはずだと。もっとも、やはり、元患者間のケンカの問題はあったようだ。何も障害者関係だけではない。軍隊関係内はもっと深刻なケンカがどの国でもあるわけだと。人為的に多くの人が集められると、ストレスも生じ、ケンカになるわけである。学校内の「いじめ」にも関係するかもしれない。

  以上である。
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日本の1970年代以降の障碍者コロニー建設の考え方の根

2016-01-25 11:55:34 | 日記



  1月16日に放送された「戦後証言プロジェクト」の通り、1972年に発足した田中角栄政権以降、日本では障碍者コロニーが多く作られていった。それは「障碍者の親たちが、自分たちの死後の介護などの事を心配して」のものだったが、親たちや、それに協力した福祉役人、政治家たちはどのような発想でコロニーを作ったのだろうか。当時の一部の身障者は「障碍者を世間から隔離するため」と言っていたが、脳性まひなどは感染性の病気でもないし、隔離の理由はなかったはずだ。それゆえ、僕はその説は取らない。(例え、感染性の病気持ちであっても、隔離は人権に反するから、極力避けるべきだと僕は考える)。

  結局、障碍者をコロニーに住まわせて、介護ケアを十分保証させて、国の予算を多く降ろしてもらい、「御馳走を毎日食べさせて、昼間は遊ばせ、夜はプロ野球でも見て、楽しく過ごしてもらう」という生活ビジョンを親や福祉役人たちは障碍者に与えようとした。それが本音だったと見るのが自然だろう。やはり、その15年くらいに作られた、ライ予防法でも、福祉役人たちは元患者たちにそのような生き方を与えようとしたわけだから。

  そして、極めて大事な事として、以上は親たちや役人たちの価値観でもあり、更に大きく考えれば、戦後の日本人たちが持っていた人生目的でもあったと。お金をより多く儲けて、それで御馳走を食べたり、楽しく過ごしたり、夜はプロ野球を見て楽しみ、老後も安定したものにするという。ただ、障碍を持つ・ハンセン氏病後遺症のある人たちは金を稼げないから、それを国の力でしてもらうという。でも、その価値観はその子供たちが意思表示したものではない。いつの時代でも、親と子の価値観は違う例が多い。「価値観」なるものは誰でも自分で作るものだし、生き方もその上に作るものである。それゆえ、与えられたコロニー生活コースに、多くの障碍者は猛反発した。最初は身障者だけだったが、80年代以降は知的障碍者にも及び、反コロニー、バリアフリーの運動になった。これが真相だったようだ。

  以上の「御馳走を食べ、楽しく生きる」という価値観を求めた人達が日本では特に終戦10年後の1955年あたりから増えて、圧倒的価値観になったのは事実だが、それ以前はそのような価値観を持つ人は日本では少なかった。江戸時代、開国以降と日本には様々な価値観があったし、哲学や信仰を求める人も多かった。第二次世界大戦中も軍部により、戦争一色の価値観にさせられたものの、巷には様々な価値観があった。それが1955年ごろから、あのようなもの一色になっていった。おかしかったし、日本の歴史から言っても、そのような価値観は本当は日本社会は受け付けないものだが。この件は別の機会に述べるべきものかもしれない。

  いずれにしろ、コロニー建設の根をたどると、大きな問題も出てくるわけです。
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「戦後史証言プロジェクト・障害者関係」の補足

2016-01-18 11:18:55 | 日記



  その番組は戦後日本の障碍者関係の歴史を非常によくまとめてあったと思います。番組を作ったスタッフたちに感謝します。

  その番組では、かつての障碍者施設の一つの「府中療育センター」を取り上げていましたが、施設に入所した人たちに限らず、日本の障碍を持った子供たちは「就学猶予」になり、特に1970年以前はその90%くらいが、養護学校にも入れず、教育を受けられなかった点を補足したいと思います。中には、そのような身障児たちに無料で勉強を教えた先生とか、独学や父母に教えられて、字を覚えて、学力を付けた人たちもいましたが、多くはまともに新聞も読めず、簡単な手紙も書けないまま、施設の中で一生を終えた例も多かったわけです。そのような人たちは記録に残らないため、「歴史に埋もれた存在」になっているわけです。そのような身体障碍者も多かった事を頭に留めておいて下さい。

  又、その「府中療育センター」の園生の一人が字を覚えようと、小学1年のクラスに行こうとしたところ、「年齢制限」の理由で学校側は排除して、その様子が新聞の都民版に出ていた事もありました。その結末は知りませんが、当時は反響を呼びました。大体、1980年代前半ではなかったか。

  知的障碍児者に関しても教育は大事です。昔は全くそのような人たちへの教育がなされなかったため、施設の中で隔離されて一生を終える例が多かったですが、そのような子供たちへの教育も進み、絵や工作、作曲など、独特の能力を生かした作品を今の知的障碍者たちは多く作り、人々の心を癒してくれているわけです。

  以上、補足まで。(再放送は1月23日午前0時からです)
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テレビ番組の推薦・障碍者関係

2016-01-15 16:27:04 | 日記




  16日(土)午後11時からNHK教育テレビ

  「戦後史証言プロジェクト・日本人は何をめざしてきたのか・未来への選択6回目」

  戦後の日本の障碍者問題の歴史が放送されます。それまでは障碍を持つ人たちは日本でも大体「座敷牢」、つまり、家の中にだけいて、他人や社会とのつながりが欠けていました。それへの対応の為、最初は障碍者だけを集めた居住地=施設とかコロニーと呼ばれるものも行政や民間の人たちは作りましたが、隔離の色彩が強かったため、それも障碍者たちは否定して、今あるようなノーマライゼーション=共生社会を目指す運動を展開していきました。その貴重な記録番組です。

  ぜひ、御覧下さい。













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