トシコロのありのままの暮らし


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初めに揺らぎありき

2017-02-28 14:03:58 | 日記
  ホーキング博士によると、今から120億年くらい前に何かの「揺らぎ」が起き、そこからビッグバンが生じ、時空も生まれ、この宇宙が形成されていった。何とも摩訶不思議な科学学説である。


  真の友人関係や恋愛、結婚縁も、何かの創作活動もそのようなものかもしれない。早い話、例の初童話の「お餅を食べたクマさん」も心の中のゆらぎが最初にあり、それから急に筋も浮かび、即興的に書き上げたわけである。「ゆらぎ」を明確に説明しろと言われても、できないわけである。「ゆらぎ」は揺らぎだと言うしかない。揺らぎがない状態で、いくらクマの写真を見たところで、あの童話は書けなかった。

  大事な人たちとの深い付き合いも「揺らぎ」が双方の心の中にまず浮かび、関係・絆ができている。昨日はその短歌を御紹介させていただいたハンセン氏病元患者の伊藤まつさんとの出会いの時もそうである。今でも僕は明確に覚えているし、伊藤まつさんも昇天するまで覚えていたと。何も伊藤まつさんに限らず、大切な人たちとの出会いの時は必ずそのようなものが起きているわけである。

  新約聖書の中に「初めに言葉ありき。言葉は神」という箇所があるが、それは「誤訳」だとラジオで聞いた事がある。聖書の原典のその個所は「初めに想念ありき」だったそうだが、昔のローマには想念という言葉はまだなく、言葉というものに置き換えられて、代々伝えられているとか。確かに、言葉を発する前に誰でも想う。その面から考えても、「初めに言葉ありき」はおかしいと思う。でも、想念以前に「揺らぎ」があると考える事もできる。「初めに揺らぎありき。揺らぎは神」という文句も成立すると思うようになっている。

  いずれにしろ、伊藤まつさんとの出会いの最初の気持ちを述べられて良かったし、精神障碍を持つ例のX君との出会いでも同じ事があったわけである。「揺らぎ」は言葉にはならないが、大切である。

伊藤まつさんの短歌の紹介

2017-02-27 13:51:26 | 日記
 八王子に四十七年ぶりに訪づれし、苔むす父母の墓に涙とまらず。





 これは1984年11月に作られたものです。ハンセン氏病元患者のまつさん最後の短歌でしょう。まつさんは八王子市で生まれ、ご両親のお墓も八王子のお寺にありますが、そこに84年11月、学生ボランティアに介護を頼んで連れて行ってもらい、そこで詠んだ短歌です。八王子と全生園は比較的近いですが、ずっと行けなかった。何でしょうね。ライ予防法もあれば、世間の偏見の目もあり、行けなかったわけですね。


 僕はその時は同行出来なかったですが、報告話をしてくれた時のまつさんはうれしそうでした。念願がかなったと。その後、拒食症になり、85年4月24日に天国に行きました。

  以上の短歌と事実を、国会議員含む、多くの人たちに伝える事ができて、僕も光栄に思います。ただ、その短歌を噛みしめて下さい。




番組の推薦

2017-02-25 11:37:16 | 日記
  ETV特集「人知れず、表現する者たち」。


  25日午後11時から0時まで。NHK教育TV。


  再放送=4日午前0時(3日24時)から1時。

  アート・ブリュット、つまり、美術教育を受けていない人たちの作品作りを紹介した番組。知的障碍者や精神障碍者の作品も取り上げられています。そのような人たちの福祉にも関係するから、ご覧になるか、予約録画して下さい。

S園は巨大な育児ノイローゼ状態だった

2017-02-20 11:56:54 | 日記
  S園をご存知ない人は、アメーバ・ブログの「S園」の題の多くのブログをご覧ください。


  それで一切が説明できます。僕が行った時は園長、各部長、医者、職員、後援会の人たち、身障園生たちと情緒障碍気味でした。一園生は話がクルクル変わり、当時の僕も「精神病ではないか」と思ったものです。職員たちも暗い話ばかりしていた。クリスチャンのその関係者の中には「我々は神に選ばれた義人。我々に反対する人は悪魔」と公言していた人もいました。キリスト教ではあり得ない発想です。義人か、どうかは神様しか決められないのに。

  S園の隣はゴルフ場があっただけでしたが、近隣には多摩ニュータウンがありました。でも、そこの人は僕の見た限りでも、誰も来ていなかった。無関心だった。大体、多摩ニュータウンは高級役人の立案で人為的に作られたところ。抽選で入ってきたものばかり。特に当時は近隣の関係は非常に悪く、住民同士は大体が無関心。関わり合うとケンカになっていた。ケンカが多かった。殺人事件や暴力事件も報じられていたわけです。住民同士が付き合えなければ、その近くのS園に関われない。無関心になると。それ故、S園も孤立して、社会性を欠くようになり、園生たちが絵や詩を作っても公表のしようもなかった。非常に内向きになり、暗くもなった。社会性を欠けば、園生たちの自立の事も考えられるはずもない。園長も元々は小児科医。脳性まひ医学に乏しく、その関係の情報も外部から入らず、医療用麻薬で緊張を緩和したり、炎天下の日光浴というおかしな事ばかりしていた。これが真相でした。

  1960年代から首都圏では近隣から孤立した母親が育児ノイローゼになる例が激増し、大変な事になっていましたが、それと同じメカニズムでした。因みに、今は日本中がそのようになっており、又、高齢者への介護ノイローゼや、離婚の前段階である結婚生活ノイローゼも非常に多発しており、S園はまともになったものの、日本全体は当時よりも深刻な状態になっていると言えましょう。