トシコロのありのままの暮らし


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差別がいけない理由

2022-07-29 13:10:13 | 日記
「自分が人間として尊厳を持ち、立派に生きて社会生活したいように、どんな人たちもそのように思っているから、他人の尊厳は傷つけてはいけない」が差別禁止の理由です。いとこの川本兼氏は多くの著書に「人権」という言葉を使い、説明しています。興味のある人はアマゾンなどで検索してお買い求めください。
  とにかく、同情や正義感での反差別は「自分」が入らないかからあやふやになります。
  日本にくくって考えても、在日ロシア人や韓国・朝鮮系に生まれたのも、精神障碍者やハンセン氏病元患者、その他の障碍者、ろうあ者などに生まれたのも運命に過ぎない。自己選択したわけでもないのに、差別とかバカにされることはおかしいわけです。プーチンのイメージを在日ロシア人に当てはめることは、何の根拠もなく、ナンセンスですね。外国に行き、日本人がオウム真理教の麻原のイメージを当てはめられたらイヤでしょうが、それと同じです。
(因みに、小中学生段階では尊厳や人権の観念がまだわからないからいじめや差別も起きる。マイノリティの子を皆で一緒に差別して仲間意識を楽しむとか。いくら先生が教えても、生徒たちに尊厳や人権の観念がない内は難しいわけである。僕も尊厳を理解できたのは高校時代である。同級生たちもそうだった。)

差別解消の基礎

2022-07-28 11:48:22 | 日記
まず、自分が「私個人」になりましょう。それから、付き合う人も「別の私個人」と見て。それを徹底させ、さらに経済格差の問題も考慮すれば差別は消えるかもしれない。自分も自由で楽しい気持ちになれると。
 自分が日本人だとか、○○会員とか、身障者とかは事実にしろ、付録みたいなものですからね。誰でも「私個人」でしかない。私の仲間は厳密にいえば、私だけ。これで良いし、これが心の自立。それができた者同士だけが真の友情とか、男女なら真の恋愛ができる。
 以上は在日ロシア系とか障碍者差別以前の基礎問題ですね。日本文化にほこりを持つのは良いですが、日本人としての仲間意識にこだわるとどうしても外国系やアイヌを差別するようになりますからね。みんな「かけがいのない私」です。






人種差別と障碍者差別

2022-07-27 10:50:21 | 日記
日本ではウクライナ戦争の影響で在日ロシア人への嫌がらせが増えたと時々報道。でも、背景は伝えていませんね。中途半端です。この戦争のはるか前から差別はありました。
大体、どの民族も、人種と言おうか、肌の色が同じ同士は差別はあっても仲間意識を持ちますが、色が違うと持てず、差別とか冷たくする。そこに歴史や政治的な因縁が絡み、特にひどくなる。前者は上べだけ。愚かの極ですが。
日本とロシアは、20世紀初めの日露戦争、シベリア抑留、北方領土ともつれる要因はある。とは言え、在日ロシア人には罪はないし、そのような人たちを歴史的因縁から嫌うのはおかしいわけです。愚かです。そうではなく、相手の個人の人格を認め、個人と個人で付き合うべきです。人種単位の仲間意識は捨てて。
民族単位の仲間意識が強まり、異民族系の人たちへの差別が強まる時は、どの国でも、障碍者やハンセン氏病元患者への差別意識が強くなっています。差別も。関係ありそう。健全者は障碍者に窯意識を持つことはあり得ないから。障碍者側から見てもそうです。ろうあ者はその双方に仲間意識は持てません。人種差別と同じ構図がある気がしてなりません。ミクシー関係で聞いた話ですが、公立学校で精神障碍者がいじめられ、つらい思い出を複数の精神障碍者から聞きました。子供の時から差別意識はあるようです。確かに、何かの仲間意識を持てば、そこから外れたり、規格外は差別。そうなりますね。
差別意識が強まれば福祉関係に人が来なくなり、福祉は後退する。人種差別と大いに関係あるわけです。悪く言う相手は独裁者のプーチンだけで良いわけです。
因みに、解決策は仲間意識をはるかに超える大きな愛だけです。人種差別も、福祉も。

昔の施設

2022-07-26 17:16:04 | 日記
1970年代の首都圏では、身障者による反施設運動が盛んだった。今はその運動はない。身障者の僕も今は反施設は唱えない。なぜ、昔の身障者は反施設だったのか。「昔の施設は個室がなく、雑居状態だったから」に尽きる。島田療育園なども身障室、知的障碍室で雑居状態を強いられていたし、多くの施設では、身障も、知的障碍も一緒くたに雑居。内、知的障碍者は個室だと生活が成り立たない例も多いらしいので、置いておいて、身障者の場合、個室がなければ、何もできないからね。健全者たちも自分が雑居した場合を想像すればわかるが、社会活動も、芸術創作も、恋愛も、学問も、好きな音楽を聴くことさえもできない。雑居仲間との歩調合せにも苦労し、皆疲れる。本当に食べて寝るだけ。日本国憲法の「基本的人権」も履行されない。ひどいものだった。
  昔はそうだった理由は2つだろう。個室作る福祉予算が下りなかったこと。行政の問題ですね。もう一つは、福祉関係者の知的障害と身障の混同。区別が付かず、同じに扱った。若者ボランティアならともかく、福祉役人や福祉職員にもそうだと。今から思うと、僕も、ろうあ者の一旧友も知的障碍向けの扱いをされたことも推察されます。例えば、一緒に何かをして仲間になるとか。知的障碍者には有効ですが、身障やろうあ者には不向きです。「個人と個人」で対応しないと何もできません。
 昔の身障運動家たちは、「明日は親が倒れ、雑居施設か」という恐怖感があったため、それがダメな理由は説明できず、感情的に叫んでばかりいました。悲しかったわけです。

第27章「みじめ」を書いて

2022-07-25 10:38:03 | 日記
    ストの後半。職員の気持ちは本当に複雑だった。もちろん、経営陣も。石油危機後のインフレという、どうにもならない 問題があったわけである。園児たちも。身障園生の反応も二分。僕が行った時は園生間は険悪だったが、その亀裂はそこから始まった。

  あと、懸案のお金の問題は「悪魔の解決策」が浮かび、それで解決していくわけである。もっと恐ろしいことも出てくる。ストも真の山場ではないから、あっさり書いた。これから僕の見た島田療育園になっていくわけである。

  ここまで書けたのは皆さまの応援のおかげ。厚く感謝します。