トシコロのありのままの暮らし


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フェイスブック投稿から

2021-04-30 14:39:49 | 日記
「和歌山殺人事件」の文には、誤字があり、紀藤➔須藤と、各サイトやコミュニティのそれを訂正。御指摘、感謝します。
  訂正しながら、殺された野崎氏と映画に出てきた鹿野氏との共通点と違う点を考えていました。捜査を待ちたいですが、野崎は自分の世話する人を求めて須藤に接近した面もあるはず。映画の鹿野氏も同じ理由でミサキちゃんなる女性に接近。同じものを僕は見た感があります。違う点としては、野崎氏はお金を武器に相手を引き寄せたのに対し、無意識的かもしれませんが、鹿野氏の場合は同情が武器になっていた事です。
  介護者が欲しければ、もっとましな方法はあるのに。二人共、愛とは何か、考える事も、意識もしていないように見えます。どちらも須藤同様の短絡思考かもしれません。
  もっと恐ろしい事は、男女の別なく、明治以来の結婚制度は多くの人たちを短絡思考にして、結果的に政治に人々を無関心にさせたり、戦前のハンセン氏病強制隔離を黙認させていたのかもしれない。
  個人的な事ですが、今の僕が以上を考えられるのも、結婚制度に疑問を持つ東大法学部Aの話を多く聞いたおかげです。それがなければ、無関心でいたでしょう。

A氏の言葉と男女愛

2021-04-29 13:20:32 | 日記
  例の東大法学部Aの1979年の発言である。


  「資本主義も、共産主義も変わりがない。根の大きな一つは結婚制度である。それは人々を分断させ、資本家と権力者の都合の良い社会に仕立て上げている。中国の毛沢東体制も同じである」。

  内、「共産主義」というのは、スターリン以来のソ連の独裁体制を指していた。Aに言わせれば「レーニン以来の」になるだろうか。レーニンや毛沢東も大嫌いだと聞いた事がある。


  当時の新左翼や身障運動家たちも、そこまでは言わなかった。戦前の結婚制度批判止まりで、戦後の結婚制度は高く評価して、その下、「純粋な結婚と愛」を求める人たちばかりだった。一時、Aはそのような人たちにも接近したが、考え方が合わなかったらしく、すぐ離れていた。

  しかし、結婚制度が崩れつつある今の日本社会を下敷きに見ると、Aの言う通りであると思う。確かに、戦前・戦後と結婚制度は人々を分断させている。男女愛も弱めている。

  意図的に昔の官僚たちがそうしたかは僕は判らないが、男女愛のエネルギーはものすごいものがある。西郷隆盛と奄美大島の恋人、坂本龍馬とおりょうとの激愛も、明治維新の原動力の一つになるなど、社会を根本的に変え続ける力がそこにあるわけだ。消す事は出来なくても、何かの形で封じ込めれば、その社会は安定する代わりに、進歩や変化のないものになるわけである。そこまで男女愛の事をAは知っていたかは判らないが、上べは結婚制度は安定しているように見えた1979年の時点でそのような事を言っていた彼の頭脳はものすごいものがあるように思う。


  僕の見た島田の3人の身障園生は二人はあくなく男女愛を求め続けていたし、寝たきりの文士の野口栄一君は随筆や詩に求める心を書き続けた。だから、パワフルで僕も印象に残っている。でも、未婚・既婚の別なく、男女愛をあきらめた状態の人たちは非常に無気力になるのではないか。倦怠期以降も離婚しなかった既婚者の中にも無気力の人たちもかなりいると思われる。男女愛をあきらめると、異性を異性として見る事が出来なくなるらしい。愛も生せず、人と人もつながない。「男は女なしで、女は男なしではいられない」と旧約聖書の初めの方にあるが、その男と女をつなぐのも愛である事は言うまでもない。

   因みに、以上の「純粋に結婚と愛を求めた人」は僕の知る限り、全部離婚。結婚制度が合わなかったと言うしかない。それから、「お一人様のすすめ」を説いている知識人たちも「結婚=愛」の古い図式にとらわれているとしか、僕には見えません。

   しまいに、「恋愛は友情や仲良し関係の延長」と考える人たちもどこにもいるようだが、そのような人たちに島田とか、身障者の結婚問題を話しても理解されなかった。「友人関係から発展させればよい」一辺倒。今までの僕と一番合わなかった人たちもそのような人たちだったわけです。そして、マイホームに憧れ、そのような人同士で結婚。没落も、真の愛の輝きもない人生を歩んでいます。それも彼らの選択であり、自由ですが、「友人から発展させれば」のアドバイスは他人にすべきではないし、過去の僕が一番否定したのもそのような助言発言です。男女愛の力を認めないいわけだから、僕なんかとは根本的に価値観が違っていると言わざるを得ませんね。


和歌山殺人事件

2021-04-28 11:13:08 | 日記
「和歌山県のドン・ファン」の野崎氏を殺した容疑で、須藤という女が逮捕。警察もよく逮捕できたと思います。詳細はこれからわかりますが、やはり、須藤はお金を求めて野崎氏に近付き、野崎氏も顔の美しさと身体を求めて須藤に近付いたようですね。欲とエゴの絡み合い。殺された野崎氏にも僕は同情しません。
 「男は顔、女はお金で結婚相手を選ぶことが多い」と僕も、同級生たちも中学から気が付いていました。その後、同じ事を言っていた女性身障運動家の一人と意見が一致した思い出もあります。でも、そのようになる理由については、判りませんでした。
 「お金で選ぶ」はお金中心の価値観もさることながら、「夫婦で財産共有」という明治以来の結婚制度ならば、短絡思考しかできない女性からそのような人たちが出てもおかしくないわけです。又、お金中心の価値観とか、お金で相手を選ぶ女が多くなれば、それにつられて男も目に見える者ばかりに関心が行き、顔で選ぶようにもなる。明治以来の結婚制度が変わる・骨抜きにされれば、大きく変わると思います。結果的には、お金主義も変わるか、消えるでしょう。
 明治以来の結婚制度ができてからの日本人の集合無意識みたいなものが作り出した事件だと思います。誰も笑う事も、非難もできない。これをきっかけに結婚制度のウミを全部出し切れば良いと思いますが、ウミは膨大な量だから、どうなりますやら。
 (資本主義と近代結婚制度の最後のあがきだろうか)
  追伸して、世間の結婚生活はすでに崩壊状態なのに、国会ではまだ「夫婦別姓議論止まり」。40年遅い。今はすでに「ポスト結婚制度の男女関係」を模索し、発明して、愛の革命もしないといけない時期だが。無論、経済も。ポスト資本主義の発明と革命の時期ですね。

M氏も「求めよ、さらば与えられん」の通りになったようです

2021-04-27 16:11:18 | 日記
  島田の身障園生のM氏。一女性職員に結婚を求めて、失恋し、深い孤独に。本人もだろうが、僕も新約聖書にある「求めよ、さらば与えられん」の通りに、上べはならなかったため、40年以上、変に思ってきたし、僕は氏に同情もしてきた。でも、以下の通りだった。現行結婚制度の面も見ていくと、矛盾はしていない。聖書の通りになっている。


  現行結婚制度やその生活は、結婚後は夫婦がべったり顔を合わして暮らす事になっている。多くの夫婦はそうする。最初は幸福に感じる。でも、幸福のメッキは次第にハゲ、互いに煩わしさや反発をしていくという。結婚した人たちの100%はそうなるそうである。中学の時に習う初期物理学の作用・反作用のように。そのような法則は心理学にも当てはまりそうである。くっつき過ぎた人間関係は必ず離れたがるようになる。倦怠期とも呼ばれている現象が必ず起きる。多くの夫婦は子供がつなぎ役になるのと、世間体で離婚は踏みとどまる例も多いが、夫婦の心は「孤独」をむしろ選ぶ。子供の件を別にすれば、少なくとも、現行結婚制度では、結婚の結果の姿は「孤独」であり、求めた通りになったのではないだろうか。


  90年代に世界的ベストセラーになった「神との対話・ニール・ウォリッシュ著」によれば、「神」の言葉として「結婚生活は、施設生活みたいなものだ」という皮肉な言葉が出てくる。この場合、「相部屋生活」の意味である。日本では90年代の施設は個室化が進んだが、アメリカでは相部屋のままだったようだ。それはともかく、確かに夫婦はプライバシーもなく、何でも一緒くた。当時のM氏もいた島田療育園と大して変わらないようである。「一緒くた」の生活をイヤと言うほど、味わっているM氏ならば、当然、現行結婚制度にも気が付き、その上でまずは愛と結婚の問題を探れば良いのに。あと、本当に結婚したければ非常に重い障碍を持つ人でもできる結婚生活を考え出せば良いのに。それは五体満足とか聴障や各種マイノリティの結婚問題改善にもつながるし。あるいは、「神」はM氏にそのような事を求めたが、氏は気が付かなかったとも言えます。

  もし、M氏が結婚改善運動をしていたら、僕も共鳴し、一緒に加わっただろうし、明治以来の結婚制度に強い疑問を持つ、以前述べた東大法学部Aも、法律面の不備を色々と説明してくれて、その時点で僕はAの話も完全に理解できたのにとも思います。残念かもしれませんが、まだその時が熟していなかったのでしょうか。

  とにかく、以上に気が付き、M氏への同情も消えました。