トシコロのありのままの暮らし


  世田谷カフェとの交信の必要性で、登録しました。それ以外の皆さんもよろしくお願いします。

幼少の地に行く

2017-10-31 16:26:30 | 日記
  僕は6歳まで品川区の西大崎という所に住んでいましたが、そこを27日に4年ぶりに訪ねました。


  午後1時に家を出て、タクシーで。まず、目黒不動の石段の下に。目黒不動は江戸時代からある有名な寺ですが、幼少期は父母に連れられてそこに行ったものです。そこの石段下の様子は覚えていますが、寺の事は全く覚えていません。どっちみち、車いすでは石段は上がれないし、記憶がない所に行っても意味がないから、そこだけにしました。縁日の前らしく、模擬店の準備みたいなものがたくさん出ていました。でも、石段下ははるか昔の光景。懐かしかったし、行って良かったと思いました。


  そこから西南西の方向に行き、林業試験場の公園。僕の幼少期にはなかったです。1989年にできたとか。木にはまだ緑がたくさんあり、気持ち良かった。目が不自由な男性が、女性のサポートで来ていたのも印象的でした。

  林業試験場の出入り口には「万古坂」というやや急な坂がありますが、それを上がり、西に少し行くと、僕が昔住んでいた家。今は印刷工場。あたりはすっかり変わりましたが、地形は昔のままです。懐かしかった。話が少し戻りますが、万古坂の下には、昔、「おばけ屋敷」と呼ばれた廃屋がありました。子供たちの遊び場にもなり、僕も母に連れられて行きましたが、そこは今はマンションです。

  さて、昔の家から南南西に行き、昔の目蒲線の線路に。今は地下鉄になり、線路があった所は遊歩道になっています。その辺も覚えているので行きました。後、遊歩道を通り、武蔵小山に出て、おいしそうな焼鳥を買い、その後はまたタクシーで帰りました。よかったです。写真は後日公開します。

北朝鮮史から日本人への警告

2017-10-30 15:59:35 | 日記
  まともな政治家がいなかったから北朝鮮は戦争や飢饉が起きた。


  一方、日本は民主主義ながら、国民のかなりは国政選挙に棄権。今回の衆議院選挙では、約半分が棄権。

  コースは違っても、日本もまともな政治家が育たず、北朝鮮みたいな国にならないとも限らない。現に、1930年以降もそのような道をたどりましたね。


  北朝鮮から日本の姿も見えてきます。政治無関心や棄権はいけません。


北朝鮮指導者の成り立ち

2017-10-30 14:47:36 | 日記
 北朝鮮指導者の成り立ち


  これも池上彰の放送によるものですが、第二次世界大戦の直後、旧ソ連が自国の言いなりの国を朝鮮半島北部に作ろうとして、それまでソ連軍の一員だった金成柱(グーグルでは、「金聖柱」)をいきなり北朝鮮のトップに据えて、名前も日本軍を破った伝説の人物の金日成に変えて、その国を急きょ作ったとか。金日成は政治や経済の事を知らないから、1950年にいきなりあのような戦争をしたわけです。まともな政治家ならば、まだ国民が飢えている時だから、日本の残したダムを使い、農工業を発展させる所でしたが。今の北朝鮮の飢饉の根も以上かもしれません。以後、北朝鮮では、政治家や経済通は育っていないわけです。


  以上は僕も知らなかったので、驚きました。多分、日本には知らない人たちも多いでしょう。隣国でもあるし、成り立ちは特に知らないといけません。

  

朝鮮戦争関係の補足

2017-10-30 13:23:12 | 日記
  池上彰氏がテレビで「65.3万トンの爆弾が朝鮮戦争の時にアメリカから北朝鮮に投下された。その量は第二次世界大戦の時のアメリカ軍の全爆弾の量を上回る」と述べていました。「特に、植民地時代に日本が作ったダムや水田を破壊した」とも。

  想像もできない爆弾の量だったわけですね。ならば、非常に悲惨な状況が現地ではあったわけです。

  アメリカ軍もかなり殺された。特に、当時の黒人は経済格差もあり、軍隊に入るしか生きられないひともかなりいたから。生き残っても、手足が損傷されたり、精神病や麻薬・薬物中毒になったり。後年のベトナム戦争や湾岸戦争でもそうでしたね。(中国軍も50万人が殺された事も忘れてはなりません。)

  戦争には勝者も敗者もなく、多くの人たちが深く傷つくだけです。それを北朝鮮指導部は勿論、全世界の人たち全部が悟って欲しいものです。また、過去に戦争もあったアイルランドの問題も。「壁」も戦争につながる愚かなものです。

 



風化しつつある大震災の時の絆と、今後の展望

2017-10-26 11:36:24 | 日記
 日本中のかなりが大揺れした東日本大震災。東京でも震度5の揺れが5分間続き、怖かったのを覚えています。北日本の人たちはもっと怖かったですね。被災地は勿論、日本全国から「助け合い」とか「絆」という言葉が聞かれて、お金を寄付する人や環境問題に関心を持つ人も増えました。さらには、「世界中に連帯の輪を広めよう」という言葉も飛び交いました。本当に国境や民族を越えて、そうなれば、世界平和も近くなるわけですが。以上の気風は震災後1年くらいたっても続いたと思います。


  でも、いつの間にか、以上の声は世間でも、ネット関係でも、新聞やテレビからも聞こえなくなった。それに変わって、学校関係ではイジメ、世間でも親子殺人みたいな事も多発しています。聴覚障碍者や精神障碍者が差別される事件も聞こえます。更には、大阪では森友学園事件が起きてしまった。本来なら市民がコントロールしなければならないのに。国政選挙も連続して、約半分が棄権する有様。何故、棄権するのでしょうか。政治に対して、社会・世の中に対して、無関心な人が多いのでしょうか。お金を第一に考える人たちも多い。果たして、お金が第一でしょうか。高齢者の孤独死も多い。

  以上は人々が連帯していたら、ありえない事ですね。では、大震災直後の連帯の機運は何だったのでしょうか。僕が見るに、それはムードだけが先走り、連帯の根拠が見出せなかったからだと思います。根拠がないと、人々はすぐ忘れますね。とは言え、どんな根拠でも良いわけではない。かつて、ナチスは「ゲルマン民族性」を根拠にドイツ人の連帯を訴えましたが、民族性を根拠とするのは危険である事はナチスの例からもよく判りますね。

  今の科学に照らすと、「人間の遺伝子は99%以上が共通しているから」しか、連帯の理由はないと思います。一つでも、連帯の理由があれば、大いに噛みしめ、連帯していきましょう。そうすれば、高齢者の孤独死も、学校のイジメも、親子や夫婦不和も、離婚も、殺人も非常に減り、政治無関心も激減し、更には、人間とエコ中心の経済構造に変わっていくわけです。どこの国でも良いから、そのような連帯社会ができて世界に広まるきっかけが今後は作られて欲しいです。