トシコロのありのままの暮らし


  世田谷カフェとの交信の必要性で、登録しました。それ以外の皆さんもよろしくお願いします。

高齢者詐欺被害の根の一つ

2015-05-30 10:45:58 | 日記
  昨日(29日)夜、NHKテレビで高齢者詐欺の特別番組が放送され、電話で巧みにだまされる例も紹介されていた。詐欺する人は悪いに決まっているし、そのような人たちの事を論じても当たり前の事しか書けないので、それは書かずに、被害に遭うような人たちの事を少し考えたい。

  そのような高齢者は今は大体年金生活だが、昔は男性は会社員、女性は専業主婦が多かった。会社員だが、今は色んな会社を転々とする人たちも多いが、昔は若い時に入社した会社一筋が多かった。転勤するとして、その子会社とか。いわゆる「企業秘密」も尊重し、会社自体が閉鎖的な村みたいな体質であった。それと自分の家庭(和製英語で、「マイ・ホーム」。その言葉は日本にしか通じない言葉らしい)との往復。又、その妻も自分の家庭と、子供の学校くらいしか生活範囲はなかった。夫婦共、「世間知らず」なのである。そのような人たちは視野がどうしても狭くなるから、人の言葉を簡単に信用して、だまされ、果ては大金を取られる。そのような例が多いと僕も聞いた事もある。

  昔話になるが、インターネットはなかった時代だし、会社員たちの生活を思い出すと、世間が狭く、以上みたいにもなるわけである。日本で言われた「マイホーム主義」は非常に狭かったと思う。その弊害の一つでも以上はあるはずだ。

その番組では取り上げなかったが、今は身体障碍者が詐欺に遭う例も増えているようである。やはり、社会経験に乏しいから、だまされやすいのだろうか。

  とにかく、悪い奴はいつの時代でもいるのだから、皆さまも詐欺には気を付けましょう。

女性は子を産む機械なのか・

2015-05-27 09:44:55 | 日記
  2009年、アメーバで目にしたブログです。当時、30代の離婚した女性。かつては愛し合って、結婚しましたが、結婚後は夫は母親べったりになったとか。いわゆるマザコンですね。元々そうだったかもしれません。
  結婚後は姑はその女性に冷たく当たるように。後、妊娠して流産。姑は「子を産めない女には用はない」と。夫もはっきりしない態度で、別れた。
  そのブログを要約すれば、以上です。姑はもちろん、夫も「イエ存続のための結婚」という意識が強く見られます。
  あと、その人はウツにかかり、そこでブログも途絶えました。
  「両性の合意の下」という戦後の憲法下になっても、大家族制が崩れても、依然として日本人の間にイエ意識は残り、人々を縛り続けています。マイホーム主義下で育つとマザコンにもなりやすく、成長や自立もできないわけだし。
  又、オウム真理教が麻原を頂点とした大家族制を模したように、カルト団体はイエ制度を再生産しているように思われます。そのような事も絡んできます。根が深いです。
  以上の女性ですが、プライバシーに関わる事をよく流したものだと思います。よくは判らないものの、背後には非常に大きな問題があったと察しての事でしょう。
  僕はただ伝えただけです。それしかできないわけですね。
  因みに、流産がなく、子供が数人生まれても、その夫はマザコンではっきしなければ、先行き、子供に見捨てられますよ。そのような例も増えているし。イエ制度は男性たちも束縛する事を知らなければなりません。

伊藤まつさんとの初外出・その4

2015-05-23 10:11:33 | 日記
  タクシーに乗って、職員さんが予約しておいた清瀬市の中華料理店の一角に行き、まつさんも、僕も車いすを降りて、ソファみたいなイスに座る。二人共、その方が楽だから。ジャスミン香の水とメニューが運ばれてきた。とは言え、まつさんは料理の種類を知らない。サポーターたちと僕が柔らかい物を選んで決める。その時、まつさんは

  「シュウマイは嫌い」

と言ったので、それは頼まなかった。もう30年以上も前の事だし、食べた料理名は残念ながら、僕も忘れた。一つ、マーボー豆腐を頼み、仲間の一人が「これは日本各地で食べられている料理です」と説明したのを覚えている。後、ジャスミン茶も。

  当然、多くの人が同様にその店で中華料理を食べていた。彼らは明らかに僕の方を向いていた。行く前に話していたような、まつさんをジロジロ見る事はなかった。そうだろう。僕は歩けないうえに、腕が脳性まひ特有の緊張した姿。まつさんと並んでも、僕は非常に目立つ。注目されるのも当たり前である。でも、思い出すと、他の場所よりも注目の度合いが強かったように記憶している。清瀬市は多磨全生園に近く、当時は脳性まひの事は知られていなかった。ならば、多くの人に僕はハンセン氏病元患者だと思われていた。当時は気が付かなかったですが、そんな気もするわけです。昔の事だし、その事についての感想を述べる事はできないにしても、貴重な体験だったかもしれない。療養所の中ではあり得ない経験です。被差別経験を語る元患者は多いかもしれませんが、経験談=差別でもないし、具体性も乏しく、話からは差別の事は正確には伝わらないわけです。更には、脳性まひ者の書いた脳性まひの本を読み、脳性まひを誤解した例があった事も知っています。「ボランティアは福祉関係の本を読むな」と多くの福祉関係者から聞いた事があります。それはともかく、脳性まひ問題にしろ、ハンセン氏病問題にしろ、言葉や文にする事は元々不可能なものですが、以上からそれらの問題のさわりだけでも掴めてくれたら、幸いに思います。

  思い出し次第、伊藤まつさんの事を書いていきます。

新緑を訪ねて

2015-05-22 14:11:37 | 日記
  昨日(21日)の東京は晴れて、すがすがしい空気。午後1時から外出。電車に乗り、三鷹市にある井の頭公園。京王・井の頭線の井の頭公園駅でおり、ヘルパーさんと、井の頭公園に入った。余り人の行かないその公園の南東の端の方にまず行き、その周辺の景色を見物。そこには、どこかの幼稚園の子供たちがたくさん来て、小川に降りて、水遊びしていた。その後、その辺の住宅地を少し散策。そうしたら、見事なバラが咲いていた。それだけでも来て良かったと思った。

  再び公園に入り、井の頭線の鉄橋の下を通り、北西に向かい、池を目指す。池の西側を更に北西に進む。この公園の中では一番木の多い所であり、小高い場所でもある。池をよく見下ろせた。その後、小さな動物園と水族館に。多くの種類の鳥が飼われていた。盲目になるなど、障碍を持った鳥もいた。野生の中では生きていけないが、飼育員の介護の下、大事に飼われているそうである。動物福祉とでも言うべきものだろう。あと、そこでは、特に丹頂の姿が印象的であった。

  水族館は諸々の魚、蛙、カメなどがいた。

  そこを出て池の北西端に着き、先とは逆の側を南東に進む。途中に売店があり、バラのソフトクリームとお茶を買い、食べたり、飲む。バラの香りと味のするソフトクリームは初めて。普通のアイスクリームは非常に冷たく、腹が冷えるからこの時期はまだ僕は食べられないが、ソフトクリームはすぐ溶けるから、大丈夫である。おいしかった。

  楽しい時間は早く過ぎる。いつの間にか、時が経ち、帰宅の時間。そのまま帰った。

  「多くの命」にふれた貴重な外出でした。この経験は、子供向け科学の文のヒントになっていくと思います。公園に行く事も、そのような文を書く事も僕にとっては社会参加。二重に社会参加した事になりますね。良かったわけです。

伊藤まつさんとの初外出・その3

2015-05-20 11:16:21 | 日記


  当日は日曜日。H会の他、YVCという福祉団体の人たちも来て、伊藤まつさんの生い立ちについての講演会を全生園の集会場で行なった。その話自体は覚えていないが、伊藤まつさんは八王子に1908年に生まれ、小さい時から体が弱かった為、母親が病院にまつさんを端から連れていった。12歳の時、大病院でハンセン氏病にかかっている事が判り、その母は「お前はこれからは神様の子です」と言い、全生園に入院させ、以降、会っていない。入院前の事を普段から多く語っていました。母親との関係が非常に印象的だったから、そうなるのでしょう。

  それから、療養所内の事で一番語っていたのは、終戦直後の食糧難の時期。全生園にも食料配給が減らされて、伊藤まつさんは一部の有志と一緒にアメリカ進駐軍に「全生園の人たちは飢えている。食料を増やしてくれ」という手紙をたどたどしい言葉で書き、増やしてもらった事、及び、早くに天国に行った夫の事でした。その2つを若い人たちに話してくれたのは当然だったでしょう。でも、それ以外の療養所の生活の様子は余り話さず、世間の事を逆に聞く事が多かったわけです。昇天後、ある人から「伊藤まつさんは、若い時には療養所内で保母さんをしていた」事も聞いて知りましたが。確かに、こっちは外部者であり、療養所の詳しい様子を話されても話が通じませんから、その辺の所も察して余り話さなかったのかなとも思います。

  伊藤まつさんは本当は社会に出たかった。でも、体が極めて弱く、医療ケアが欠かせないため、その面だけでも在宅生活は難しかった。あと、当時はヘルパーが極めて少なく、介護面からも難しい。本人の言うように「顔が醜い」から、その面でも在宅生活は気が引けるはずです。でも、一番の壁は、今の僕が気が付くに、お金。長い療養所生活ならば、金銭感覚はゼロに近くなり、お金の使い方も判らない。本当に在宅生活すれば、欲望のまま、お金をあっという間に使ってしまい、非常に困るわけです。それは長年施設生活をしている身障者の問題にも言えると思います。介護や医療ケアはできても、お金が。極めて難しい問題です。

  とは言え、ハンセン氏病後遺症者も、その他の障碍者も、価値観・性格・生き方・やりたい事と、本当に一人一人違うから、「ハンセン氏病」とか「脳性まひ」ではくくれません。実際は一人一人違った人間です。それゆえに、一からげに療養所やコロニーみたいな所で暮らす事を強いるのは本当におかしいです。隔離福祉を徹底したら、多くの人は障碍を持つ人の事は知らないようになるわけです。その場合、「多様性」を人々は学べず、社会も多様性や柔軟性を失い、社会も、政治や経済も硬直化してしまいます。そのような国は滅びます。良くないと。

  今日はここまでにしておきましょう。