トシコロのありのままの暮らし


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過去にも共生模索はあったが

2021-01-29 15:09:03 | 日記
  例えば、1970年代の身障者や盲人、ボランティアの若者が繰り広げた統合教育運動、その後の宗教関係(既成・振興の別なく)も共生模索した。僕は両者から色々聞いた。それら以前の島田療育園もその一つだったかもしれない。でも、いずれも当人たちの意志に反していた。挫折も多い。宗教関係では、共生模索も利用した麻原も出ている。確かに、麻原の行為は許されない。


  でも、うまくいかなかった理由は、日本・世界と、社会の状況や人々の意識のひどさに気が付かなかった面もある。エゴや他人の無関心、欲望追及に小さい時から周囲やマスコミ、学校を通して深刻に洗脳されている事や、共生運動している人たち自身もその洗脳があること自体に気が付かなかった事も。僕も時代変わり目だろう今だから、気が付いているわけである。今更批判する気はないが、例えば、統合教育運動も盲人や足が不自由な人たち主体で、特に聴障児関係の教育が見落とされていた。聞えない子が公立学校でまともに学べるのかと。今でも聴障学校は盛んだし。聴障関係は一例に過ぎない。また、エゴが変形して現れ、自分たちが皇帝みたいに社会変革の主体だと思うようになったり、自分たちの仲間だけさえ良ければ良いと思うようになる例も。自分たちと違う意見の人を強く叩くとか。それでは、共生どころではなくなるわけである。自分含め、置かれた状況の深刻さが見えないとこうなるのかもしれない。

  ならば、共生模索の第一歩は、自分含め、人々の置かれた状況を知る事だと言えよう。日本だけでなく、世界の人々の置かれた状況を知る。地味だが、大切な事ですね。次は、常識を端から疑う事かも知れません。歴史を鏡にしてそうする。例えば、今は離婚が激増していますが、今ある結婚制度は明治憲法と共に作られ、戦後に改変されたものです。それ以前は違ったものであり、かなり自由で身体や目の障碍がある人たちも結婚出来ていたわけでした。歴史に学べばいろいろわかるわけです。(とは言え、学校で進歩史観。昔は野蛮、今は正しいという見方も洗脳されているからね。この常識も疑って当然だと思うが)。

  とにかく、今後の共生模索は過去とは違ったものになると思われます。


日本の認知症の多くも

2021-01-28 13:18:54 | 日記
  社会的病気と言えるだろう。全世代に渡る精神病も。愛や共生がなく、他人とまともに付き合えない状態では、脳は不活性になり、認知症や精神病になる。実に簡単な道理である。


  その結果、介護が認知症の人たちに偏り、多くの高齢者が必要な介護を受けられなかったり、精神病医療に多額の予算を費やして、国家財政の疲弊に拍車を掛けている。これも誰でも判るし、しわ寄せは社会全体に及んでいる以上は、日本に住む全ての人たちの問題である。無関心になる事は不可能でもある。

  ところが、道理は判っても解決策がまだ出ていない。今までの自分さえ楽しければいいとか、お金主義はダメである事や、旧ソ連などの例から見て、国家が権力を持ち、人民を管理するような社会でも解決できない事も判るが。「愛や共生がなく、他人と付き合えない」状態は、コロナ含め、どんな病気よりも本当は恐ろしいわけである。悲しいわけでも。何も聴障者などだけが悲しいわけでもない。

  とにかく、未来の姿は見えなくても、各自は自分の立場から共生を模索すべきである。模索から以上の事は始まり、解決策も出てくるかもしれないから。


介護保険の歪みも、聴障K氏の悲しみと同根ではないか

2021-01-26 16:54:56 | 日記
知る人は知る。日本の介護保険の最重度は「5」であり、重度認知症である。寝たきりの状態が「4」である。それ以外は3以前。例えば、洗濯さえもまともに介護者は派遣されない。お金がある高齢者は介護ホームに自費で行けるが、多くはお金はなく、どうしているだろうと思う。偏った制度はいつかは矛盾が表面化し、改変されるわけである。


  何故、重度認知症に偏っているのか。簡単である。そのような高齢者が今の日本に非常に多いからである。1980年ごろは「寝たきり老人」という言葉が流行るだけ、問題化していたが、寝たきり状態よりも認知症関係が問題に今はなっているわけである。

  これも当たり前の事だが、認知症は脳の機能が働かなくなるわけである。脳は使えば使うほどよくなり、使わなければマヒして退化する。高齢になっても脳を常に使えば認知症にはならないが、使わなければ、活性化しければ、かなり早くから認知症にもなる。他人に話しかける・掛けられる。手紙やメールを書く・読むと脳が活性化する事は科学的に確認されている。でも、今の日本はそのようにできる状況ではない。隣人に無関心が当たり前。下手に話しかけるとケンカにもなる事が多い。話さない。何分、今は親子・兄弟・祖父母と孫でさえ。ならば、多くの人たちは脳が活性化するはずもなく、端から認知症になっていくわけだ。まさに、聴障Kが訴えた「悲しみ」と同根ではないか。

  その道理は僕も判ったが、矛盾解決はどうすれば良いのか。「ケンカになる」のならば僕も、誰も話し掛けたくないし、不可能でもある。僕がまともに書き切れるような問題でもない。一緒に解決策を模索したい。そうしないと、日本はダメになる。


K氏もいた手話会に来た健聴者の多くの本音

2021-01-23 13:54:18 | 日記
  中には聴障者の状況に関心を持ち、聴障を持つK氏の話を一生懸命聞いた人もいたと思うが、大体は婚活目的。優しさを異性に見せつけて、引き寄せ、好かれ、結婚してマイホームを作ろうとするものだった。すでに1970年ごろから、僕の先輩たちに当たる多くの身障運動家たちに指摘されていた。僕のいた福祉会でも、都内の多くのボランティア会を見た、後に弁護士になられた東大法学部のA氏が鋭く指摘していたわけである。当時の若者向けの雑誌にもそのような事が書かれてあった。


  その手話会に話を集中すると、「私は手話して優しい気持ちが強い」事を男女も異性にアピール。でも、K氏は婚活の相手にはされない。利用されるだけである。しかも、耳が聞こえなければ、そのような気配も察せない。訳の判らないままである。じれるわけでも。猛烈に寂しくなると。

  でも、時間的スケールで見ると。今、配偶者と死別・離婚して、友人や話し相手もなく、ペットを可愛がるしか楽しみがない孤独な高齢者が増えつつある。今後はもっと増える。これがかつて多くの若者たちが求めたマイホーム主義の果ての姿である。姿が違うだけで、どちらも孤独には違いない。又、「異性に優しく見せる」は演技である。疲れるわけだ。結婚後はさらに疲れる。これも地獄である。離婚も増えるわけだ。人を好きになるわけではなく、単に引き寄せるだけ。恋愛でも、何でもないわけである。それも寂しい。そして、自分の、お互いの虚構の面だけを好きになる。もっと寂しい。寂しさはK氏と同じだし、愚かな事でもあると思う。

  以上も明治からパターン化され、戦後も別な面でパターン化され続けている結婚に問題があるわけだが。歴史の本によく「親鸞や一休には奥さんがいた」と書かれている。僕も何度も目にしたが、現代の結婚とは根本的に違う自由なものであった。どの本にもその説明はなかったわけである。歴史はともかく、また戦前の結婚・家庭制度が「産めよ、殖やせよ」で軍国化と関係したように、戦後のマイホーム主義も資本主義の問題とも関係していたわけである。

  因みに、以上のA氏は島田療育園を見て「結婚制度を解体しない限り、福祉問題は解決しない」と言っていたのが印象的だった。解体はできないが、もっと緩やかなものにしなければならないし、すでにそのような方向に日本も向かっているようである。


耳は治りました

2021-01-22 17:39:58 | 日記
耳鼻科医に行ってきました。一番暖かいものを着こんで。今日の東京は暖かく、天も味方してくれた。耳かすを吸引機で。25分かかった。たくさん出た。あと1ヶ月放置すると、一度では取り切れず、2度行く事になったと思うから、大正解。
  帰ってTV見て聴力の具合を確認。治療後の一時間で、完全に戻りました。今まで聴覚神経が休止していたので、聴力回復には時間がかかるわけです。いつもそう。
  ヘルパーさんには「感謝」という言葉しかありません。本人にもそのように伝えました。
  今日は良かったわけです。
因みに、僕は耳鼻科医に行く前後にお茶を飲み、ヘルパーさんにも飲むように指示しました。ウィルス対策。どんなウィルスもお茶のカテキンに会うと死滅・弱体化するわけです。また、お茶に含まれるビタミンCが免疫力を高める。お茶は元々は中国では薬用として使われていました。その事は僕は90年代から本などで知っています。テレビにも時々出てきます。また、梅も抗菌・抗ウィルス、免疫アップの効果があります。それらからインフルエンザやコロナの特効薬もできてもおかしくないわけですが、何故作らないのでしょう。おかしいと思います。先日も「お茶にコロナ・ウィルスを漬けたら死滅した」という情報がNHKデータ・ニュースに出ていたように記憶しています。皆様もお茶を飲んで下さい。