トシコロのありのままの暮らし


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命の連想から・フェイスブック投稿

2021-02-26 16:47:57 | 日記
そう言えば、末期が近付くにつれてソ連では恋愛する男女が減り、結婚も減り、役人たちは困ったと朝日新聞に80年代に載っていた。ソ連も命を尊重する気風はなかったが、あるいはそのせいもあったかもしれないと思う。
  労働者や病人の命は勿論、自然の動植物の命までマルクスは大切にする考え方だった。でも、引き継いだはずのソ連では、血の粛清が行われ、その後は自然破壊。中国、カンボジアと同じだった。理由は僕にも判らない。判る人はいないだろう。しかし、どんな社会体制であれ、粛清と汚染はあってはならないと。
 資本論を読むと聖書の引用や「天国に行った」という言葉が目に付く。変に思い、疑問を書いてみた所、ある人から「マルクスはクリスチャンだった」との返事。どこかで曲げられたからだ。
 M・ウェーバーの「プロティスタンティズムと資本主義」の中で、カルヴァン系統の改革派という一派は、「救われる人と救われない人に大別されている」と説かれ、更にその証拠として金があると信じられ、救われて天国に行くようになるため、近代期の資本家たちは強迫神経症的に金儲けをした。マルクスの「心のアヘン」はこの辺を指すと思われます。確かに、カルヴァンの考え方はおかしいわけです。でも、欧米は無神論化しているから、これからはどうなるか、判りません。それから、カルヴァンの伝統がない日本、韓国、中国・台湾などの資本主義はウェーバーの見方が当てはまるのか。当てはまらない気がします。
 コロナも絡み、世界的な変革期に差し掛かっているのは事実。様子を見守りつつ、前向きに生きていきたいものです。

身障ミニコミの恋愛アドバイス

2021-02-26 13:24:06 | 日記
1980年前後、僕も愛読していた身障ミニコミ誌の思い出から話す。


 いつの時代でも、恋愛対象にされない悩みを身障者たちは抱えているわけで、そのミニコミの編集あてにも多くの身障者の読者から、その件の相談が来て、彼らも困ったようだ。そして、


 「異性に友人になれと言うのは止めよう。はっきりと、恋人になってくれと出会いの時から言おう」と書き始めた。確かに、身障の俳人の故花田春兆氏の著書にも「身障者はお友だちに、と異性から言われてばかりいる」みたいな事が書かれていたし、多くの身障者もそのような事がほとんどだから、ミニコミ誌としてはそのように回答するしかなかったかもしれない。その後、ミニコミの人たちは島田療育園の紛争に介入し、それどころではなくなり、その続きは書かれていない。

  思い出し、その回答は、身障者にはそのような問題がある事の提起・アピールにはなる。その面では評価できる。でも、魔法使いではあるまいし、「恋人になれ」と異性に言った所で、そうなるだろうか。ならないわけである。大体、ミニコミの人たちも恋愛については、判らなかった。判らない事を書いていたわけである。何も身障者に限った事ではない。当時の僕の五体満足の友人たちを思い出しても、恋愛を友情や優しさの延長ととらえていた。又、性欲からできるという見方もあった。

  恋愛とは命のみずみずしい力が精神を通して現れる現象ではないか。その命には2種類ある。男の命と女の命。それが出会い、命らしさ・男らしさ・女らしさが触れ合い、惹かれ合う現象が恋愛。だから、多くの詩や音楽ももたらすわけである。それに近い見方がニール・ウォリッシュ著「神との対話」シリーズにも書いてあった。参考にもなった。

  以上ならば、恋愛したければ、結婚詐欺みたいなのには気をつけて、自分なりの命らしさ・男らしさ・女らしさを出していけば、そのようにする相手がいれば、いつでも恋愛はできるのである。むしろ、友人を作るよりも簡単かもしれない。日本では友情と甘えの区別が付かない人たちが多いから、友人関係からケンカなりやすいわけだし。

  無論、命らしさ・男らしさ・女らしさが出ない土壌の小社会では、恋愛も不可能だろうが。そのような所も複数僕は経験したから。僕も複数の人たちから「恋愛は友情の延長だから、異性と友人になれば恋人になれる」と言われた事もある。でも、僕自身も、友人にはなっても異性として好きになれない女性は非常に多くいる。その見方は正しくないように思われる。

 恋愛にはひたむきさがある。僕の見聞きした中で、最もひたむきな恋愛の例をやがて書く。まだ誰にも言っていない事である。

  最後に、高齢者にも恋愛して結婚を希望する例も増えているようだ。当人の問題にしろ、入籍した所で、子供が生まれるわけでもないし、メリットはあるのだろうか。解決策として、高齢者ホームの中に、ラヴホテルみたいな場を作るとか、一定期間同居生活を楽しめる部屋を作れば、愛は成就するのではないか。とは言え、結婚制度の法律的な事は多くの高齢者も理解していないし、恋愛と結婚制度の区別も高齢者に限らず、多くの人たちが付いていない。それらが難しい点だと思われる。


僕の独身継続は差別だけでもない

2021-02-23 16:10:10 | 日記
結婚できなかった理由を差別のせいだと言っていつまでも怒っている身障者が多いとヘルパーさんたちから聞いている。僕もそのような面はあるが、他に僕自身が出会った女性たちを恋愛や結婚の対象として見れない例がかなりあったせいもある。僕自身について言えば、差別よりもその方が大きいわけである。理由は、20歳前後で子供などはいないのに、お母さん感覚・視点になっていた女性とばかり出会っていたからである。僕に対して子供扱いする・しないに関わらず、そのような女性に対しては母のイメージが投影されてしまい、女として見れないわけである。落語や漫才に「お母さんを女として見る男はいない」という冗談もよく聞くが、その通りである。もし、好きになれば、マザコンに当たるわけだ。


  一時は日本人女性の特色とも考えたが、そうではなく、昭和の戦後にあったマイホーム主義が根にあったようだ。すでに小中学生の時から自分もマイホームを持ち、お母さんになる姿を心の中で描き、少女の時から母性を発達させ、18歳過ぎたらマイホーム作りの相手を全力で探す。マイホーム作りの為の異性探しは恋愛ではないわけだが。そのような事ばかりしていると、みずみずしい女らしさも出ないわけである。女らしさが見えなければ、僕も好きになれない。同世代の元学生ボランティアの男性旧友にも同じように、そのような女性たちを好きになれない人がいて、その事をよく話したものだ。彼はすでに1978年の時点で「マイホーム志向が女らしさを消す」事に気が付き、しきりにマイホーム主義の悪口を言っていた。その通りだったと。彼はその後は身障女性の運動家と深い恋愛に落ちて、結婚され、一男をもうけた。結婚制度の問題点には気が付かなかったが、素晴らしい恋愛をされたため、僕は二人を尊敬している。それはともかく、男の旧友にはその人の他にも、僕と同じような気持の人たちもいたようである。マイホーム社会が崩れた今はそのような女性たちはいないか、いてもごくわずかだろうが。

  最後に、島田の身障男性園生の悲恋を今年は僕は書くわけだ。恐らく、その人は僕とは全然違う恋愛感覚を持っていたと。僕の気持ちの投影は禁物である。その成否に、この小説の失敗と成功のカギの一つがあると見ている。因みに、もう一つのカギは「人体実験」である。それはもっと難しい描写になるわけであるが。...。


ポテト・コロッケの中身料理を作ってもらいました

2021-02-22 16:08:03 | 日記
  それは少年時代の僕が一応考え出した料理である。僕はもともとポテト・コロッケが好きで、1960年代は母がよく作ってくれた。ふかしたジャガイモをつぶして、そこに炒めた豚ひきにくと玉ねぎなどを入れて、かき混ぜて、塩とコショーで味付けして、そこに生卵とパン粉をつけて、油で揚げるのがポテト・コロッケですね。おいしいわけである。


  でも、僕は次第に「わざわざ油で揚げなくても、その前の段階で食べても味は変わらず、立派なおかずになるのではないか」と思い、いつだったかは忘れたが、母にその事を話し、作るように頼んだ。その通りにおいしかった。以後、母は時々作ってくれるように。揚げ物をするような体力がなくなった後も作ってくれた。確かに、手間も省けるし、冷蔵庫に入れればかなり長持ちもするし、味は変わりがないわけだから、揚げてコロッケにする必要もないのである。

  そして、最近、料理がうまいヘルパーさんがいらしているから、以上を話して作ってもらっているわけである。昔の母の作ったものと同じ味で、大変おいしい。良かったわけである。ありがたい。

  「コロッケ」なる料理は本場のヨーロッパでは、クリーム・コロッケが主流のようである。また、以上のジャガイモ料理はジャガイモと豚などのひき肉と、玉ねぎ、塩とコショーさえあればできるから、ジャガイモ料理が盛んなドイツやイギリス、北欧諸国、ロシアなどでは、ありふれた家庭料理だと僕は見ている。明治時代には日本にも入ってきたはずだ。でも、当時はまだ乳牛は少なく、ヨーロッパみたいなクリーム・コロッケはできなかったため、代替品としてそのジャガイモ料理が日本のコロッケの中身になり、今に至るまで「コロッケ」として親しまれているのではないか。

  また、恐らく、ヨーロッパでは以上の料理の名称もあるだろう。

  因みに、宗教上の理由で豚肉が食べられない人たちは別のひき肉を使うわけだし、ヴィーガンの人たちは大豆性の肉みたいなものとか、日本の高野豆腐を細かくしたものを使えば良いわけである。ジャガイモ一個にはレモン半個のビタミンCが含まれているから食べると免疫力も付き、インフルエンザやコロナにもかかりにくくなるわけである。繊維分も多く、腸にもよいわけです。大いにジャガイモを食べましょう。


家庭城の果て

2021-02-20 13:49:36 | 日記
  戦前の大家族制、戦後のマイホームと他者を自然に排除する城みたいな性格がある。戦前の大家族制は、経済格差につながっていたようである。富める一族はますます富んだ。その典型が財閥。中学時代の社会科で、大家族制との絡みを先生が皮肉たっぷりに教えて下さったのを覚えている。一族外の人たちには冷たい例が多く、実際は国民統合は天皇を仰ぎ見合ってもできず、常に外国を敵に回す・戦争を通してしかまとまる事はなかった。


  戦後は各家族・マイホーム。それも狭い。その中で育った子供たちは同年代でも他人とうまく付き合えない・遊べない例が多くなった。僕もサポーターを経験した、1970年代の首都圏の子供会ができた理由の一つもそのような事だと聞いた事がある。大人が指導しないと遊べないわけだ。また、同じころ、「養護学校卒業者は社会性がない」と聞いた事がある。でも、実際はそれだけではない。マイホームで育った人たち全部がそうである。いくつになっても人と付き合う・協調する事ができないわけである。出身校には関係ない事である。身障者や養護学校への偏見とか、身障者が目立つ存在だから、そのような見方になったと思われる。正しくないし、そこから養護学校否定論が出るのはおかしいとも思う。

  70年代に首都圏で作られた多くの身障団体や福祉団体が、団体間でケンカしたり、内輪もめや付き合い放棄をして、早くに端から潰れていったのも、そのような理由だった。「福祉会は3年で潰れるのが当たり前」と聞いた事もある。また、当時は、結婚=幸福と言われていたため、多くの若者が今の言葉の婚活をした。勉強も、読書も、冒険旅行もせず、社会や政治に関心も持たず。そのロスは受験勉強の数倍にも上るはずだが。全学連が途絶えた理由もこのような事だったかもしれない。それでも、結婚しても以上ならば、まともに夫婦が付き合えるだろうか。その面からも失敗し、離婚や不和も増えていった。


  島田療育園も。そこは「職員が親、園児が子」という疑似家庭を最初から目指した。拙小説「シマハタの光と陰」にも創設期の時に書いたわけだが。園児が20歳を越しても子供扱い。「太郎ちゃん、花子ちゃん」みたいに呼ばれていた。それ自体が差別的でもあったが、そうかもしれない。職員や後援会の人たちも経験を積めば積むほど、内向きになっていった。

  教会や仏教団体もそうである。僕の行った教会関係も、マイホーム主義。信徒同士も無関心で冷たい関係。牧師を通してつながるという。信徒同士が結婚しても離婚になる事も多いわけである。僕の行った時から、その教派は崩壊していた。


  あと、90年代から「学級・学校崩壊」という言葉が流行り、大変な事になった。21世紀になり、東芝や三菱電機が倒産。昔は良かった東芝製品が次第に粗悪になった事は僕も判った。政治家は更に質が低下し、逮捕も相次いでいる。それらの根の一部も、以上の家庭城や婚活ロスの影響だろうと僕は見てしまうわけだが。

  最後に、1970年ごろから、学校や地域社会からの共生運動が散発的に起きていたが、ほとんどすぐに潰れている。その理念は良いかもしれないが、以上の問題の深刻さに気が付かず、結婚制度や家庭の問題を抜かして、いきなり地域や学校の事を考えて行動したために、ムリがあったように見える。現実が見えないものは理想論とも言えないわけである。何故、学校や地域から共生関係が出来なかったか。答えも以上かも知れない。

  以上、日本の裏の歴史みたいことを書いた訳である。