3人の身障園生と個別的に恋愛や結婚の話をしたからである。内、一人はいつも述べているように、寝たきりの方であった。寝たきりの人がいる事は知っていたが、そのような状態の人からこの種の希望話を聞くとは、知り合う前は思わなかった。園生の中でも、非常に意外に僕には思われて、深く考え込んだ。室内移動ができる重度脳性まひ者の結婚例はそれまでも光明養護学校関係の話から色々聞いていたが、寝たきりの人の結婚例は僕はそれまでは聞いた事もないから。1977年当時はまだ障害基礎年金はなかったが、生活費は生活保護で可能としても、その他の生活面はどうなるのか。その点については本人は何も言っていないし、当然ながら、僕には判らなかった。でも、その希望を詩や随筆文にして書き続けた。尚更、僕の心を打った。また、他の二人もそれなりにその事を話してきた。
当時の日本においては、在宅身障者の結婚状況は非常に厳しく、ましてや、S園の園生たちのその件は絶望的だったわけだ。それから数年後にS園を訪れた別の身障者の一人は、その状況を嘆き、「人間、何の為に生まれてきた。男は女の為に。女は男の為に。私はそれ以外の目的を信じない」とミニコミ誌に書き残している。この文も僕の心を打ち、非常に共感したわけである。(旧約聖書にも「男は女なしに、女は男なしにあり得ない」という文言もあるそうだ。その人は聖書は読んだ事がなかったが、偶然にもほぼ同じ事を述べた面も僕には興味深い。また、そのような言葉が出る以上、S園も、男女の関係も聖書に通じるだけの根が深い問題がある事になろう)。
今思うと、3人の園生も、僕も、恋愛と結婚を混同していた。恋愛=結婚と短絡的に考えていたわけである。実際は違うし、結婚の場合は「イエ制度」という厄介な難問もあるわけだが、3人の園生はそれを知らなかったし、僕も軽く考えていたから、彼らにその事は話さなかった。とは言え、そこから僕と彼らの間に深い絆も生まれたし、いつまでも印象に残った。以上の話をしなければ、3人とは友人になっていないはずだ。S園の事など、とっくの昔に忘れたろう。例え相手がいなくても、恋愛の延長が友情なのかもしれないと。現に、同時期、下町の在宅身障者用の作業所にも福祉会の関係で行ったが、何故か、そこの人たちは身障者も、ボランティアもそのような事は一切話さず、僕も話が合わず、1、2回で止め、その様子はその建物の事しか覚えていない。
もう一つ述べると、もし、僕がS園の園生だったり、逆に彼らが在宅身障者で何かの身障会や福祉会の仲間として出会ったら、これまた、関係は難しかったと。現に、その3人の園生同士は仲が悪かった。また、かつて、僕が入っていた身障会も早くにケンカ別れになっている。福祉会、身障会と内紛が多いし、歴史を見ても、宗教関係にしろ、何かのセクト関係にしろ、仲間関係を作ると必ずと言っていいほど、内紛とか、他のグループと争う事になっている。その件は別の機会に書くべき事だが、少なくとも、仲間関係・仲間意識から友情も、恋愛や結婚もできないと言わざるを得ない。仲間関係でなかった事も、小説として書ける要因にもなっている。