トシコロのありのままの暮らし


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全学連の追記、及び、書いてみて

2015-06-19 11:56:44 | 日記






  それを経験された方によると、「学生運動は基本的には大学時代にできる事。卒業後は自然解散。政治的な結束力は弱く、大きな社会に吸収された。デモや政党に参加した事のない学生運動家も多かった。」。そのような貴重な声がありました。感謝申し上げます。

  その運動のかなり後の世代の僕が述べる事はある意味ではおかしいわけです。自分でもそう思います。例えば、僕の青春時代にさせてもらった元患者の「伊藤まつさんとの交流」のことを僕よりも十年若い人が述べるようなものですから。それでも述べた理由は、自分と自分の世代のルーツを明らかにするためには、十年年長の世代からの影響や断絶の事も書かざるを得ないからです。それで、自分などの「ルーツ」も見えてきます。

  全学連世代と言うのは、日本で1950年以前に生まれた世代の事だと僕は思っていますが、1966年から70年くらい、僕が小学5年から中学3年の時まで、その世代の当時の若者と交流がありました。今は立派な映画監督の原一男氏もその一人です。彼らはまだ幼かった障碍児の僕などを盛んに世間に連れ出してくれました。とても良かったです。それで世間にも障碍児者がいる事のアピールにもなりましたし。その十年余り後の伊藤まつさんと一緒に外出するという発想のヒントにもなったようですし。気が付きませんでしたが、そのような影響もありました。

  それゆえ、僕は全学連については細かい事、詳しい事は書けないし、それで構わないとも自分では思っています。

  歴史はつながっており、ある世代だけを取り出して、それだけを述べる事はできないわけですね。

18日のフェイスブックの旧友たちにあてたもの

2015-06-19 11:50:50 | 日記


  今の介護会社は、少人数の所でも介護ニードをテキパキこなしている。でも、言っては何だが、昔の福祉団体は会員数が多くても、要介護者のニードをこなせず、問題化していた。何が違ったのかな?と今の僕は思ってしまうのだ。
  一つは、資本力。介護会社には資金が流れる=社会に通じる。でも、昔の福祉団体はそれがなかったから、社会に通じなくて、ニードもこなせなかったのかなとも思う。あるいは、まだ誰も判らないだけで、介護会社を上回る介護解決策もあるのかもしれないが、今の僕には判らない
  昔あった福祉会、身障会、親睦団体と、のめりこむと、一種の会依存症みたいになるね。僕もそうだったし、僕の見てきたかなりの人たちも同様だったようだ。でも、しょせん会は会。内向きの話をして、それでおしまい。友だちが増えるわけでも、恋人ができるわけでも、自分の生き方ができるわけでもないのに。
 僕の場合も気が付かない内に、早い時から会依存症になったようだ。所属会の話ばかりを70年代後半はしていたからね。指摘もされた覚えもある。本当は会に所属せずに、多くの人を自然に集める生き方をしないといけなかったが。基本的には僕もそれしか生き方はないわけだし。今はSNSでしているが、パソコンない時代でも、それは可能だったと見ている。友人たちに「僕に多くの人を連れて来てくれ。一緒に散歩してくれ」と言えば良かったから。
  それはともかく、会依存症の果ての姿がオウム真理教。恐ろしいし、交友とか仲間作りも個人的にしないといけないと思う、誰でも。