プロジェクト・チームとは、ある目的遂行のために、同じ目的を持つ人たちが集まり、遂行のための討論も徹底的にして、共同で事に当たり、遂行後は解散するものである。いつまでも付き合わないわけである。付き合いも目的遂行に限られる。欧米の会社で古くからある手法。福祉や慈善活動団体とか。
でも、日本人は仲間関係と混同する例が非常に多い。世代の別なく、ほとんどかもしれない。それゆえ、戦後に限って見ても、会社内で親睦するなど、仲間関係で仕事をしてきた。中東からただ同然の石油が入り、アメリカも保護してくれた時期はそれで進めたが、その二つがなくなり、うまくいかなくなった。その尾を引いているのが、今の東芝内紛と考えられる。
僕の入ったコミニティ全部もそうだった。だから、非効率にもなり、潰れていった。「プロジェクト・チーム」導入すれば、ヘルパー制度のない時代でも、在宅身障者や高齢者の介護福祉がかなり進んだ。例えば、言語障碍を持ち、電話を使えないこの僕でも、自立生活は可能だったかもしれないとも察するわけだ。
目的が合わない人たちが福祉会に仲間作りのために参加する例もかなりあった。ただし、そのような人たちは逆に仲間関係が嫌いになっているようである。
僕の行った教会関係の一伝道師が「新約聖書の使徒伝によると、使徒たちは集っては、宣教のために解散した。より良い宣教を話し合って。教会を組織化する発想はなかった。この教派は、組織にこだわり過ぎる。ダメだ」とも言っていた。今思うと、まさに「プロジェクト・チーム」。それが仲間関係作りにすり替わっている。戦前からそうだったとの事。また、僕は戦後生まれだが、旧日本軍はどうだったのだろうか。とにかく、プロジェクト・チームと仲間関係の混同は日本人特有のものかも知れない。
介護問題が更に重要になる今後は、プロジェクト・チームの必要性も増すと思われる。
でも、日本人は仲間関係と混同する例が非常に多い。世代の別なく、ほとんどかもしれない。それゆえ、戦後に限って見ても、会社内で親睦するなど、仲間関係で仕事をしてきた。中東からただ同然の石油が入り、アメリカも保護してくれた時期はそれで進めたが、その二つがなくなり、うまくいかなくなった。その尾を引いているのが、今の東芝内紛と考えられる。
僕の入ったコミニティ全部もそうだった。だから、非効率にもなり、潰れていった。「プロジェクト・チーム」導入すれば、ヘルパー制度のない時代でも、在宅身障者や高齢者の介護福祉がかなり進んだ。例えば、言語障碍を持ち、電話を使えないこの僕でも、自立生活は可能だったかもしれないとも察するわけだ。
目的が合わない人たちが福祉会に仲間作りのために参加する例もかなりあった。ただし、そのような人たちは逆に仲間関係が嫌いになっているようである。
僕の行った教会関係の一伝道師が「新約聖書の使徒伝によると、使徒たちは集っては、宣教のために解散した。より良い宣教を話し合って。教会を組織化する発想はなかった。この教派は、組織にこだわり過ぎる。ダメだ」とも言っていた。今思うと、まさに「プロジェクト・チーム」。それが仲間関係作りにすり替わっている。戦前からそうだったとの事。また、僕は戦後生まれだが、旧日本軍はどうだったのだろうか。とにかく、プロジェクト・チームと仲間関係の混同は日本人特有のものかも知れない。
介護問題が更に重要になる今後は、プロジェクト・チームの必要性も増すと思われる。