教会の意味は本来2つある。
1.
祈り合う二人以上の交わり。
2.
死後の天国での交わり。
イエスの時がそう言われていたし、弟子の使徒書の時も。ところが孫弟子のパウロのころから、仲間関係ができ、組織化もされ、深刻な派閥争いも起きている。イエスの頃もファリサイ派という仲間関係を重んじる団体があり、イエスは非難したのに、イエスの名を語りながらそうなり、パウロ自身も気が付かなかった。その果てが東西対立、十字軍戦争、宗教戦争、資本主義、今のウクライナ戦争である。
教会とは本来は我々のイメージするような建物や組織、仲間関係でもない。教皇も主教も、役員もないのだが。
日本では親鸞上人がお寺を否定した。本願寺は後継者たちが作ったもので、親鸞の本意ではなかった。共通するものがある。
(付け加えると、1.は「離合集散を繰り返す」のが特徴。会員制ではなく。強い会員制になった中世以降はおかしいかもしれない。7月に無教会集会に手紙参加予定だが、真の教会参加かもしれない。あとは僕と個人レベルの交友ができる人たちが付いて来ればよいと。それが真の友人だから。)
1.
祈り合う二人以上の交わり。
2.
死後の天国での交わり。
イエスの時がそう言われていたし、弟子の使徒書の時も。ところが孫弟子のパウロのころから、仲間関係ができ、組織化もされ、深刻な派閥争いも起きている。イエスの頃もファリサイ派という仲間関係を重んじる団体があり、イエスは非難したのに、イエスの名を語りながらそうなり、パウロ自身も気が付かなかった。その果てが東西対立、十字軍戦争、宗教戦争、資本主義、今のウクライナ戦争である。
教会とは本来は我々のイメージするような建物や組織、仲間関係でもない。教皇も主教も、役員もないのだが。
日本では親鸞上人がお寺を否定した。本願寺は後継者たちが作ったもので、親鸞の本意ではなかった。共通するものがある。
(付け加えると、1.は「離合集散を繰り返す」のが特徴。会員制ではなく。強い会員制になった中世以降はおかしいかもしれない。7月に無教会集会に手紙参加予定だが、真の教会参加かもしれない。あとは僕と個人レベルの交友ができる人たちが付いて来ればよいと。それが真の友人だから。)