トシコロのありのままの暮らし


  世田谷カフェとの交信の必要性で、登録しました。それ以外の皆さんもよろしくお願いします。

雑居施設

2022-09-29 09:46:35 | 日記
 雑居状態の施設の場合、介護者も大変。介護の仕方も一人一人異なるが、その違いを介護士はつかめず、一様に介護することが多く、そこから事故やケンカにもなる。
 その様子も拙小説に書きたいと思う。昔は介護者も大変でした。

経済

2022-09-28 10:26:58 | 日記
一方的なドル高・円安。ウクライナ戦争のせいである事はわかるが、異常ではないのか。それぞれの実勢を反映したものだろうか。例えば、気象の気温という物理現象の場合、異常高温の後は必ず反動で低温になるが、経済にも当てはまるはず。1929年がそうだったし。何かのきっかけでアメリカ経済は下がりうると。候補はいくつもあるはず。例えば、11月の選挙。共和党が勝てば、大統領と議会がねじれて、政治が不安定になり、経済も落ち込む。アメリカなどは経済への政治の影響は大きいから。そのほか、ウクライナ戦争が終わり、アメリカ国民の共通の敵が消えた時、国家分断が強まり、経済が狂うとか。
 とにかく、アメリカの世論とマスコミは楽観一辺倒、日本のそれらは悲観一辺倒。これもおかしいと思います。

保育・介護労働賃金が安い一因

2022-09-26 13:25:22 | 日記
  女性差別の余波かもしれない。古くから女の仕事の代表である育児にいまだに適正賃金が、どの国でも支払われていないが、その延長で安くなっている面もあるかもしれない。子供を産んで育てるのは重労働であり、経済の基礎には違いないが、それに目を向けた経済学者はおらず、経済構造に組み込まれていない。せいぜいその、労働行為に比べれば、余りにも安すぎる手当金を政府などが支払うくらいで。

  宇宙には多くの異星人社会があり、通貨のある星、ない星もあろう。通貨はあっても、出産や育児が経済構造に組み込まれている宇宙人社会もあると思う。そのような社会はマルクス経済学の言う所の下部構造にそれらがあるわけだから文化にも影響し、その延長で介護や保育関係も早くから発達し、命も尊重され、軍事産業や自然破壊もなく、動植物も大切にし、ヴィーガンにも早くになる社会が想像される。

  介護や保育、男女差別については多くの人たちが分析し、諸説を述べている。個人的には僕も分析したが、下手な説を書いても仕方ないと思い、書かない。その代わり、以上のような宇宙人社会を想像したわけである。その方が楽しいし。地球もそうなってほしい。

戦後の日本でもマイノリティが結婚差別され続けた理由と今の状況

2022-09-22 17:00:25 | 日記
    結論から書くと、パートナーとの共同人生設計作りが非常に困難だったからである。解決などはしていないが、冒頭からあえて過去形で書いた。それも意味があるが、その前に、戦後の結婚の形式から見ていく。そうすれば、わかる。

    お見合いとか、会社や宗教関係、親睦会などで知り合った異性と「共同して今後死ぬまでの人生の設計図を作り、一緒に生きていく」が戦後日本のほとんどの結婚パターンだった。ドラマにもよく描かれていた。戦後憲法にある「両性の合意」とは違うが、いつの間にか、人々の間ですり替えられたわけである。「人生の設計図」はお金のことが多いが、生まれてくる子供の教育とか、双方の親戚や近隣、勤め先や宗教関係との良好な付き合いも大きい。「20年後にローンを全部返そう」とか、「女の子が生まれたら、中学以降は私立校にやろう」とか大体の姿を描く。戦後昭和は経済も安定し、健康な男は何かの会社や公官庁に努めれば仕事や昇給が約束されていた。女性は仕事は限られていたが、自己を抑え、そのような男と結婚すれば生きられた。だから「男は会社員、女はその奥さん」という図式が戦後昭和であったわけである。

  ところが男でも、マイノリティは安定してまず働けない。職場差別も深刻だし、身障者や盲人などは物理的に安定した仕事はムリだし。そこからも元々人生設計は作れない。その日を懸命に生きるしかないわけである。自分がそうならば、異性パートナーと一緒に人生設計することもさらに難しいわけである。また、マイノリティのかなりは反差別運動もするが、ITのなかった時は会合が多く、それも生活を不安定にさせ、人生設計作りから遠ざけた。更には、マイノリティは世間的に嫌われる・同情されがちだから、親戚含む、世間の圧力もあり、相手にすることは難しいと。

 因みに、「共同人生設計」は共同ビジネスであり、愛とは言えないものである。戦後昭和では、夫婦よりも生まれてる子に愛を注ぐ例も多かったが、そこに親のエゴが絡み、仕事のない母親が子供の尻を叩くように、受験勉強を強いる例が多かった。以上の結婚パターンや親が子の尻を叩くことに激怒していた旧友の話しもまだ昭和の1983年に聞いたが、当時はITもなかったため、世間には伝わらなかった。

 さて、以上の事を平成生まれの人たちが読んでも判らないかもしれない。五体満足で非マイノリティの人たちも、雇用情勢の不安で人生設計などは作れないから。その日その日を懸命に生きればよいという価値観が増えているそうだし。人生設計を持つ人たちも男も女も個人化して、夫婦で作り合えなくなっている。男女雇用機会均等法もあり、人生設計も作りたければ個人が作ることが当たり前になっているから。当然である。ならば、戦後昭和の結婚パターンも消滅したわけだ。それは女性差別のあだ花に咲いたものだった。根にそのようなものがあれば、そのひずみでマイノリティの結婚差別とか、受験戦争も起きたわけだ。「両性の合意」も曲げられたまま、忘れられた。でも、これからはその真意も見直され、時代にも合うものになるかもしれない。結婚=人生設計でないのなら、別居婚とか、夫婦の経済は別々になる例も非常に増えるし、この場合は結婚詐欺も減る。子供育ては社会の責任で行う。また、人生の流れで複数の異性と愛し合う例もあるが、「両性の合意」に徹すれば不倫でもなくなるとも考えられる。今の日本では結婚否定論もかなり出て、僕もその見方に傾いたが、戦後史を見ていく内に今までの日本には真の結婚と愛がなかったことに気が付いた。

  因みに、「合意」の意のかなりの部分は愛だろう。役所届は上べだけ。なくても構わないし、違憲にもならないわけである。今後はそのような例も増える。愛大国の日本やアジア、地球にしたいものだ。