トシコロのありのままの暮らし


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 予想される中国激変と日本政治

2021-09-30 13:59:42 | 日記
     自民党新総裁に岸田文雄氏が決まった。まだ新首相になられたわけではないが、「新しい資本主義を作る」と言っている。ならば、今までの資本主義はどのようにダメだったのか、その辺から判りやすく説明してもらいたい。もし、何かの野党が「新しい社会主義」を持ち出せば、漫才みたいにもになると冗談めいたことも頭に浮かんだ。「新しい」と名前だけ付けても、中身がしっかりしないと始まらないわけである。新首相や国会選挙よりも、経済含む、中国に僕は関心が向いている。

  昨日(29日)の日本経済新聞には、中国の火力発電制限の原因が2つ書かれていた。その発電はかなりオーストラリアからの石炭に頼っていたが、オーストラリアと関係が悪くなって石炭の価格も上がったためと、二酸化炭素削減でどうしても火力発電は制限せざるを得なくなった事である。2つ事情が重なればそうなるのも仕方ないだろう。その為、工場生産も制限。あとは、自動的に原子力とダム発電をフル稼働させるしかない。でも、それらは建築業者が素材を横流しして、見た目だけで、破損や老朽化が早い作りなので、どちらも破損は遠くないわけである。日本人含む、複数の未来が見える人たちがここに来て急に三峡ダム決壊を言い出しているが、物理学方程式のできる人たちは破損の時期を正確に出せるはずである。すでにそれらの破損は物理学の次元の問題になっていると僕は見ている。特に、原子力発電所事故は東アジア全域に放射能をばらまくから恐ろしいわけである。

  以上で中国に本格的な電力マヒが起きれば、世界経済に影響して、資本主義も、また、世界に少し残っている社会主義経済も成立しなくなりかねない。1973年石油危機の比ではない激震が世界を襲うわけである。そのような時に「新しい資本主義」とか、今の野党の連立政権が対応できるだろうか。社会経済激震の時に、異なる政党がケンカするような事があれば最低だし、愚かなことはしないように政治家たちも気を引き締めてほしい。

  チェルノブイリも、福島事故も誰も予測できなかった。原発事故はそのようなものらしい。戦争の次に恐ろしいものである。ただし、お金の欲を追及すると、いつかはそのような事故が起きるわけである。人民が飢えなければ、経済はそれで良いのに。分配をきっちりして...。

 40年前の日本の社会変革運動

2021-09-29 10:04:15 | 日記
  100%行き詰まった。理由は、社会モデルはアメリカに代表される資本主義か、ソ連に代表される共産主義しか、選択肢がなかったからだ。よく覚えている人たちも多いと思う。資本主義は貧富の差が激しくなるし、ソ連みたいな国は役人が人民を支配する。それ以外の社会構造は当時の人たちには考えられなかった。特に、頭の切れる人たちほど、絶望的な気持になった。その一人と当時親しく付き合ったが、次第に、社会の何でも潰さないと良くならないと言い出した。でも、以上2つの社会が潰れた後の社会の様子は判らなかった。そう言えば、その人の発想が更に極まり、行動までするようになると、新左翼とか、それに民族性が加わると、右翼になるようである。どちらも破壊的な発想や行動した。何も日本に限らず、世界全部がそうだった。また、これも世界的に、社会変革を考えた人たちが現実に妥協し、資本家みたいになったり、役人になる例も多かったわけである。

  でも、ソ連は潰れて30年になるし、アメリカもアフガニスタン戦争での浪費もあり、経済衰退が明らかである。中国も恒大集団や、火力発電制限などで陰りが見え始めた。資本主義、共産主義の土台に当たるような結婚制度も破綻がひどく、離婚が当たり前みたいになっている。つまり、過激テロしなくても、それらの社会は本当に潰れつつある。かつて、どんなに頭の良い人たちでも見出せなかった新文明が、それも共生文明が自然発生的に出てくれば良いと思うが。

  もう一つ。昔の社会変革運動を考えた人たちは、新文明理念作りから考えた。新文明は頭の良い一部の人たちが考える理念から生まれるのだろうか。違うと思う。名も無き多くの人民の中から自然に湧いてくるものではないだろうか。対高齢者や障碍者に限らず、助け合うとか。お金の損得抜きで男女が愛し合い、心を生かし合うとか。それら一つ一つは小さいが、世界の人たちが多くそうすると社会も自然に変わり、新文明も生まれていくのだろう。共生文明に移行できる事を願う。

 「シマハタの光と陰・秋風」を書いて

2021-09-27 11:01:30 | 日記
  お陰様で22章まで書けた。原資料の身障園生M氏の手記によれば、小野雪子のモデルは、M氏が恋文を渡した後、「島田から去った」としか書かれていなかった。でも、当然、ものすごい葛藤がその女性にはあったはずであり、当時の「恋愛=結婚」という社会通念も当てはめつつ、女性心理を徹底的に推察し、書き上げたわけだ。また、島田離職には当たり障りのない理由を述べたに違いないと見て、「母親の病気」にした。以後、小野雪子は登場しないが、モデル女性はその後はどのような人生を歩んだのか、推察も僕にはできないわけである。

  林田博士にも注目してほしい。小野雪子の事も間接的におかしくなった事を知るのみである。開園当初は文字通り、職員と苦楽を共にしていた。でも、70年代になると、雲の上の人にだんだんなった。皆に無意識的に祭り上げられ、浮いた状態になり、職員や園児・園生の情報が入らなくなった。都合の良い情報しか送らない職員もかなり出たと思う。終戦までの昭和天皇みたいな立場に次第になっていった。石油危機の経済混乱前からおかしくなっていったわけである。22章は1972年暮れで終わったが、73年秋以降の石油危機にはまだ間があるから、次はこの事を書きたい。

  「頭痛」は本当に今の医学では判らない点が多い。秦野幸雄は頭痛持ちと診断された事が、やがて影響してくる。今は詳しく書かない事にする。

  お金中心で、生活目標も「うまいものを食べて、贅沢して、楽しく」という資本主義・旧ソ連体制、もっと大きく見て、現代文明のしわ寄せの現れの場の一つが僕が見た島田療育園だったと今は思う。話によく聞く山谷はもっとひどいわけだが。また、当時の人々の恋愛観念「恋愛=結婚=マイホーム作り」という短絡的な発想も悲劇の要因。その発想の枠の中に小野雪子や秦野幸雄もいたし、在宅身障者たちもそうだったわけである。

  今は結婚制度は崩れ、恋愛=結婚などと考えない人たちが増えつつあるし、もっと大きく資本主義や現代文明の崩壊期、歴史的転換期に差し掛かっているから、島田や悲恋の事も僕は客観的にみられる。小説に書けているわけである。でも、少し前まではそれらも客観的に見れなかった。そのような時は島田に行った人たちも状況が判らず、かわいそうとしか思えず、絶叫文を書くのみだった。80年代、身障ミニコミ誌に毎回数万字に渡る絶叫文を書き、読者には気持ちも伝わらず、体も壊して若くして他界された身障運動家もいた。その人の魂に祈るし、僕も資本主義や結婚制度の崩壊期まで長生きできて良かったとも思う。今後はお金中心の社会は消えて、命や心を大切にした地球社会になって欲しいものである。

実録小説・シマハタの光と陰・第22章・秋風

2021-09-25 11:14:56 | 日記
 小野雪子は手紙を見て、絶句した。羞恥心、同情、拒絶感、驚嘆、恐怖感などが一挙に全身をかけ巡った。今、何が起きているのかも雪子はわからない。未婚だが、自分の息子から愛を告げられたようにも驚いたわけである。ぼうぜんとして、 「お水が飲みたい」という別の園児の声も聞こえないほどだった。少しして、一緒に身障室の介護に当たっていた女性職員が雪子の表情が変わっていたのに気が付き、

 「顔色が変よ。カゼでも引いたんじゃないの。ここは私にまかせて、休んだ方がいいわ」と言い、職員寮で休むことにした。でも、休めば休むほど、心は揺らぐ。その日の夕食もお茶しか飲めなかった。その様子を見て、木村真之介は心の中で

 「やっぱり、察した通りだった。双方、深く傷つくだろうが、誰にも打つ手はない。どっちもかわいそうだ。障害者でも、職員でも、その他の被差別者でも、自由に恋愛できる世の中になればいいのに」と想い、その気持ちを後日、比嘉美波と金花姫に話した。



 翌日も雪子は顔色も悪く、勤務を休んだ。部屋にいて、心は驚きに満たされた。彼女はこれまで男性から恋文などはもらっていないし、自らも男の人を好きになったことがない。生れて初めての経験である。それが...。午後は何となく、近所に散歩に出た。ナスやキュウリが実っている畑を見ながら、秦野幸雄との結婚生活をイメージしてみた。自分が台所でナスなどを切りながら、夫・幸男のために料理を作っている姿を想像して。

 食事の介助はもちろん、着替え・寝た姿勢から車いすに乗せる・降ろす動作、入浴。いつも職員が二人係りでしていることを自分一人でしなければならない。ため息も出た。

  「ムリだわ」と独り言も出る。恋愛を通り越して、気持ちは結婚生活に向かったが、幸男との二人だけの暮らしは重圧に押しつぶされそうである事がよくわかる。かと言って、どのように返事をすれば良いのだ。「ムリ」と正直に書けば、幸男は傷付く。こんな残酷なことは私はできない...。苦悩そのものである。勤務もせず、昼夜、三日間散歩して熟考の末、

  「私がここから消えれば良いのね。母が病気になったことにして」と思い付き、さっそく林田博士に話した。

  「それは心配だろう。最近、小野さんは変だとうわさで聞いていたが、それなら仕方ない。すぐにも秋田に帰りなさい。後任は私が探すから」と返事。小野雪子はただちに荷物をまとめ、郵便局に運び、その足で東京駅に向かった。東京に来ることはなかった。



 秦野幸雄は返事を待っていた。それしか頭になかった。でも、小野雪子が退職し、秋田に帰ったことを主任職員から聞くと、目の前が暗くなった。これが「返事」だと悟ったからだ。心は絶望の淵に落ちた。食欲は急になくなり、体温は正常だが、翌日から頭痛もした。何日も正体不明の頭痛に襲われた。診察した林田博士は

     「頭痛は今の医学では原因もつかめないことが多い。診たところ、風邪ではない。特に暑い時期にタイプライターの練習に精を出したそうだから、その疲れもあるだろう。それとこのような気候の変わり目のせいもあると思う。疲れたり、気候の変わり目に頭痛が出る体質の人も多いわけだから、秦野君もその一人かもしれない。ビタミンとブドウ糖注射を打っておく。休めば治る。体は悪くない」

と言った。

   頭痛の原因は、秦野本人と木村真之介ら4人が知るのみであった。

   12月になり、クリスマスが近付き、秦野幸雄も新約聖書を毎日読むようになった。クリスマスはクリスチャンにとって、心のリセットをする時である。その年に犯した罪はもちろん、失敗やイヤな事もイエス・キリストの御名により、過去の事して、新年に向けて心を前向きにして、「新たな希望」を灯すわけである。

  「小野雪子のことは去ったことだ。気持ちを前向きにしよう。イエス様も見守って下さっているし」

と心の中でつぶやいた。

  クリスマス後は秦野幸雄は頭痛も治り、元気になった。林田博士は

  「気候が安定したから治ったのかな。とにかく、治って良かった」

とつぶやいた。

 

 1972年も暮れようとしつつある。前年からドル・ショックなど、アメリカ経済の衰退が目立つニュースが相次いで起きてきたわけである...。

電力マヒ

2021-09-24 13:24:50 | 日記
  現代の経済は電力で動く。1973年の石油危機の時、このまま石油が入らなくなり、日本経済は電力不足で成り立たなくなり、死を迎えるのではないかと一部の知識人が言い出し、当時高校生だった僕も、そうなれば身障者はどうなるのかと考えたこともあった。それはともかく、本当に電力マヒが起きたら各企業が経営が成り立たなくなり、どんなに担保を持っていてもどうにもならなくなるから。経済や資本主義の死も意味するかもしれない。その後、その対策として原子力発電を作る事に世界各国がしたわけである。ソ連もそうしたが、1986年にチェルノブイリ事故が起き、その周辺は電力マヒに陥った。ソ連経済に担保の観念があったかは知らないが、経済構造は違っても各企業がマヒに陥ったことには変わりがない。秘密主義で報道はされなかったが、その経済停滞もソ連崩壊の一つになったかもしれないと察している。

  昨日(23日)書いた中国経済、隠れた不良債権の考察には以上の歴史と思い出もあったわけである。確かに、各赤字企業がどんなに担保を持っていても、また、黒字企業でも、原子力発電所事故や大型水力発電ダム決壊、火力発電所事故が起きれば、73年の一部知識人の指摘みたいにもなるから。それまでの経済の常識は成り立たなくなるかもしれない。まさに「隠れた不良債権」である。

  因みに、発電所の順番だが、今日は少し考えて原発をトップに持ってきた。一番厄介だから。事故が起きれば、広範囲に放射能が降り、人々は遺伝子がやられ、農作物も食べられなくなるから。中国で起きれば、朝鮮半島、台湾、ロシア極東地方、日本とそうなるわけである。

  1980年ごろに当時の島田療育園の人権抑圧に抗議された一身障運動家が近年はどこかのブログで反原子力発電の事ばかり書いているのを読んだ事があります。最初は物理学にも詳しくないのにと僕は変に思いましたが、その気持ちは判る気がしてきました。原発推進も事故の危険が常にあるし、起きれば多くの人たちが死亡したり、白血病で非常に苦しむわけだから、これも重大な人権侵害です。無論、自然破壊や動植物殺傷でもあるし。やがて小説でも書く、島田療育園で行なわれた人体実験に通じるもの。その人は島田運動の延長で反原発運動しているわけです。それはともかく、原発は日本にもある。多くの国々にある。中国問題から、この日本の問題も考え、正すべき所は正したいものです。