NHK「歴史探偵」で赤穂浪士の討ち入りの番組を見て、グループ活動の事を思った。
まず、討ち入りのいきさつについては、諸説が出てきているので、歴史評価は変わるかもしない。しかし、討ち入り後は浪士たちは「血まみれの服で町を歩いていた」。これがその歴史の冷徹な姿である。討ち入りもミニ戦争であり、殺人だから。劇や講談を楽しむのは構わないが、実際は格好よくなかったわけである。全ての戦はそうである。
大石を先頭に浪士たちが従う。大石の言う事は絶対的で、従う人たちは自分の考えでは動けない。大石は失敗は許されず、ストレスがたまるし、従う人たちも自分を押し殺すわけだから別の意味でストレスがたまる。どちらも大変である。さらに過去の戦国武将たちはもっとそうだった。武田信玄も、上杉謙信も早く病死したではないか。今までのグループ活動の極は戦争だから。確かに、戦争では上官はミスは許されないし、兵士たちは自分を殺さないといけない。どちらも猛烈なストレスである。
平和時もそのような構図の会社や宗教関係、福祉や身障関係が多かった。グループで凝り固まるから情報の隠ぺいも行なわれた。雪印や東芝の件とか、ライ予防法とか。また、マルクスは「労働者たちが生産などを自主管理する社会」を唱え、みんなが自分を生かせる社会を脳裏に描いたが、実際に生れたのは平和時で軍隊みたいな指導者国家であった。各共産国は軍隊が強くなったわけである。でも、その場合、個人の発想も自由に出ないから停滞した社会になり、ソ連は早く潰れた。
昔、僕が見てきた福祉、身障、教会関係も同様な構造だった。上に立つ者は正確な判断が求められるから猛烈なストレス、普通の会員も自分が生かされないから同様。何かのグループ活動すると必ずケンカにもなった。各自の個性や心も見え合わないわけだから、恋愛レスも当たり前。障碍の有無には関係なく。それどころか、これでは友情も育たない。80年代、新聞でソ連社会が恋愛レスになっている事を何度も読んだが、それも判る気がします。
さて、今はITと介護社会。ITは個人の発想を自由に流せるし、また、要介護者への対応は本当に一人一人違うから、今までみたいな社会構造は通用しなくなっています。未来予測をするまでもありませんね。今までみたいなグループ活動とか、上に誰かが立つような組織形態はもう消えつつあると言えます。「未来」にすでになっていると言おうか。
これからのグループ活動があるとして、今までとは全然違う形になると思うし、すでに出ている気もします。ポスト・コロナを待たずに世界は変わってきているわけです。因みに、歴史をもう一度見ると、多くの科学者や芸術家、ガンジーなどの平和運動家などは以上の構造の社会からはみ出た人たちでした。そのような性格の人たちがこれからは大威張りで活躍できる。その他の人々も好きなだけ、友情と恋愛ができる地球社会になりつつあると思います。歴史から未来も見えますね。だから僕は歴史が好きです。500年後の人たちが2000年前後を見たら、「中世の終わり」と見ると僕は思っています。
まず、討ち入りのいきさつについては、諸説が出てきているので、歴史評価は変わるかもしない。しかし、討ち入り後は浪士たちは「血まみれの服で町を歩いていた」。これがその歴史の冷徹な姿である。討ち入りもミニ戦争であり、殺人だから。劇や講談を楽しむのは構わないが、実際は格好よくなかったわけである。全ての戦はそうである。
大石を先頭に浪士たちが従う。大石の言う事は絶対的で、従う人たちは自分の考えでは動けない。大石は失敗は許されず、ストレスがたまるし、従う人たちも自分を押し殺すわけだから別の意味でストレスがたまる。どちらも大変である。さらに過去の戦国武将たちはもっとそうだった。武田信玄も、上杉謙信も早く病死したではないか。今までのグループ活動の極は戦争だから。確かに、戦争では上官はミスは許されないし、兵士たちは自分を殺さないといけない。どちらも猛烈なストレスである。
平和時もそのような構図の会社や宗教関係、福祉や身障関係が多かった。グループで凝り固まるから情報の隠ぺいも行なわれた。雪印や東芝の件とか、ライ予防法とか。また、マルクスは「労働者たちが生産などを自主管理する社会」を唱え、みんなが自分を生かせる社会を脳裏に描いたが、実際に生れたのは平和時で軍隊みたいな指導者国家であった。各共産国は軍隊が強くなったわけである。でも、その場合、個人の発想も自由に出ないから停滞した社会になり、ソ連は早く潰れた。
昔、僕が見てきた福祉、身障、教会関係も同様な構造だった。上に立つ者は正確な判断が求められるから猛烈なストレス、普通の会員も自分が生かされないから同様。何かのグループ活動すると必ずケンカにもなった。各自の個性や心も見え合わないわけだから、恋愛レスも当たり前。障碍の有無には関係なく。それどころか、これでは友情も育たない。80年代、新聞でソ連社会が恋愛レスになっている事を何度も読んだが、それも判る気がします。
さて、今はITと介護社会。ITは個人の発想を自由に流せるし、また、要介護者への対応は本当に一人一人違うから、今までみたいな社会構造は通用しなくなっています。未来予測をするまでもありませんね。今までみたいなグループ活動とか、上に誰かが立つような組織形態はもう消えつつあると言えます。「未来」にすでになっていると言おうか。
これからのグループ活動があるとして、今までとは全然違う形になると思うし、すでに出ている気もします。ポスト・コロナを待たずに世界は変わってきているわけです。因みに、歴史をもう一度見ると、多くの科学者や芸術家、ガンジーなどの平和運動家などは以上の構造の社会からはみ出た人たちでした。そのような性格の人たちがこれからは大威張りで活躍できる。その他の人々も好きなだけ、友情と恋愛ができる地球社会になりつつあると思います。歴史から未来も見えますね。だから僕は歴史が好きです。500年後の人たちが2000年前後を見たら、「中世の終わり」と見ると僕は思っています。