トシコロのありのままの暮らし


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雪原の下の多くの命

2018-12-15 16:35:48 | 日記
 雪原の下の多くの命           ☃
                       子供向け科学の文

 みなさん、今は冬ですね。東京も雪の降る日もあります。これから一月、二月と佐久にも雪が降り、特に町外れの野原や山は厚い雪でおおわれるでしょう。雪は冷たく、それがふる日はさむいです。セミやバッタなどがにぎやかにいた夏とは大ちがいですね。夏はカエルやヘビなどがいて、野原や山はにぎやかでしたね。冬の野原は時々ウサギや犬が歩きますが、見回すと生き物はほとんどいないようにも見えます。でも、ちゃんといますよ。
 
雪の下には土がありますが、土の下にはアリやカエル、ヘビがいます。ただし、夏とはちがい、寝ているわけです。冬眠ですね。クマさんも山のどこかのほらあなみたいなところで、冬眠しますね。冬はさむく、夏のように動き続ければ、こごえて死んでしまうから、体の仕組みで冬眠するわけです。また、バッタやカマキリなどは、そのお母さんがうんだ卵ではるまで過ごします。セミは幼虫になり、何年も地下で過ごしているわけです。また、草のかなりも種や根だけのじょうたいになり、地下だけなどで暮らすわけです。冬は地下の方が温度が高く、暖かいから。
 
生き物のかなりはさむさが苦手で、冬に負けているようにも見えますが、本当は負けてなんかいません。形を変えて、生き続け、冬のさむさをしのいでいるわけです。
 
命は強く、かしこいですね。自然や命に関心を持って、見ていくとそのすばらしさがわかり、好きにもなるわけです。命はわれわれ人間も持っていますから、それだけ人間のことも知るわけです。これからもいっしょに自然と命のことを見ていきましょう。
 読んで下さり、ありがとうございました。
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友人・仲間意識への違和感と、日本社会の性愛軽視傾向

2018-12-13 13:56:40 | 日記
  僕もその二つの言葉に何か違和感を持ち続けていた。そのように人に言われても嬉しいとはあまり感じない。特に、女の人たちには。得体の知れない違和感だった。


  僕よりも鮮明にその違和感を訴えた旧友もいた。北養護学校出身の、天才的な頭脳を持つ重度脳性まひの男性。30年くらい前に一時付き合ったが、彼は「身障者は男や女の面を見られない。それで健全者たちは頭ごなしに「友人・仲間」とか言う。私は身障者以前に男性だ。何故、私を男として見ない。差別の根本も性的に身障者を見ない事だ」と言い、嘆き、寂しく感じ、強い酒で紛らわして、果ては体を壊し、早くに天国に行った方です。以上の言葉は判りやすく書き換えたもの。彼は難しい言い方をする癖もあり、僕も理解に苦しんだし、周囲の人たちは誰も理解できなかったわけです。僕も彼の話が大体判ったのは最近になってからです。

  「友人・仲間」は40年前の首都圏の福祉関係で多用された言葉ですが、よく考えたら、中性と言おうか、性別があいまいになる言葉なんですね。それを多く使うと、良い意味での性的な事、つまり、おとこらしさ、女らしさも消えるか、隠れてしまいます。そうでしょ。それらが発展して、男女愛や結婚になる事は考えられませんね。それなら以上の彼が嫌い、僕が違和感を持ち続けたのも判ります。僕もそのようなあいまいな見方ではなく、一男性として見て欲しいし。同じ事をS園の3人の園生たちも述べていました。

   でも、以上は何も身障者関係だけでもないと思います。「思います」というより、事実です。どうも日本には性愛を軽んずる気風があるように思えます。それでも、全学連世代の人たちは性愛のタブーを打ち砕こうとしました。子供の時からよく知っている、今は立派な映画監督の原一男氏はその一人ですね。そのような人たちには僕も敬意を表しています。でも、それ以降、1950年生まれ以降の人たちの世代は傾向として性愛に保守的になり、友人・仲間みたいな言葉を多用したり、いきなり他人に優しくしたりもした。その結果、男女の違いもはっきりしなくなったから、恋愛も少なくなり、非婚にも。また、何かのはずみで結婚出来ても、同性の付き合いの延長で異性である配偶者に付き合うから、意識のずれが出て、離婚する例も増えた。大体、男と女は脳・身体と構造が違うから、発想も違ってくるわけで、徹底的に察し合わないと、夫婦の生活もできないわけですが。いわゆるセックスばかりしても、夫婦は成り立ちませんね。決まりきった事ですが、判らない・知らない人がたくさんいる。非婚日本にもなりますよ。

  また、男女が自然に引き合う力は物凄く、これこそが人と人を結ぶわけですが。性を軽んじた友人・仲間関係は人を結びません。だから、1980年前後の首都圏で多かったサークル活動ブームも続かなかったと僕は見ています。結ばないだけならともかく、引き合う力もないのに友人・仲間を求め合うと、互いの察し合いもなく、甘えも生じ、最後はエゴがぶつかり合い、ケンカになるわけです。そうして会が潰れていった例を若い時の僕も何回も見てきました。

  男らしさ・女らしさは大切です。

  因みに、僕の述べる所ではないかもしれませんが、男女の引き合う強い力から歓喜の心が生まれ、キリスト教やイスラムではそこから神への感謝が、仏教では、生命力・仏性への畏敬の念が生まれ、信仰の土台になるとよく聞きます。又、儒教や道教も、男女の和合を尊重するわけです。

  男らしさ、女らしさを軽視する国・社会に未来はないでしょう。僕が日本という祖国に一番訴えたいのもその事です。
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ハンセン氏病療養所の婚活と、僕の世代の人たちのその見方やS園の問題点

2018-12-12 11:08:22 | 日記
  12月9日の日曜の朝5時のETVの「心の時代」という番組で、元患者の主婦の話が放送された。僕は録画して見たし、再放送は15日午後一時からあるから、興味がある方はご覧ください。


  その主婦は1935年ごろ生まれ、戦後に発病。少女期に。そのまま、多磨全生園に入り、2000年過ぎて、例の国からの和解金でマンションを買い、数年間在宅で暮らしましたが、体力が衰えたため、再び全生園に戻ったわけです。「マンション暮らし」は後半。夫はずっと全生園暮らしでした。

   番組の前半。入所当時の元患者同士の婚活の様子が話されていました。当時の法律により、断種手術を強いられたのはあってはならない事にしろ、若くして入所したその女性は独身元患者に持てたわけです。多くの独身男性元患者たちから「園内デート」。園の中に、藪みたいな所もあるそうで、そこがデート場所だとか。そして、一男性と結婚したわけです。放送でも「療養所は、結婚を奨励する気風が元々あります」と語っていました。

   以下が40年前、僕が全生園で複数の元患者さんや職員から聞いた事ですが、以上の気風は本当らしく、元患者同士は勿論、戦後に限っての事でしょうが、元患者男性が女性ナースと結婚する例もあるわけです。但し、元患者女性と男性職員の結婚例については、聞いていません。昔は男性ナースがいなかったわけだし、その例はあったのか、僕は何とも言えません。とにかく、何人もの元患者と職員から「人間は結婚するのが当たり前。友だち作りの目的も配偶者探しです」と聞いています。また、僕は当時所属していた福祉団体の人たちと一緒に行きましたが、元患者さんや職員たちはその福祉団体の交友目的も「配偶者探し」だと思っていたようです。僕も「その会で結婚相手を見つけるでしょう」と元患者さんから言われたのを覚えています。

   以上の事を聞いた当時の学生ボランティアの反応も様々でした。反応らしい発言もしない人もかなりいた。中には、「交友の目的は配偶者探しという発想は狭い」と影で批判した人たちもいた。また、「そのように狭い状況に追い込んだのは差別のせいだ」と思った人もいました。個人差はありますが、当時のその会の人たちは友人関係を深めれば、介護問題も解決でき、諸々の差別も消え、結婚したい人は結婚もできるようになると思ったようです。その一環として、全生園に行き、友人になろうとしたのかもしれません。でも、考えかたがすれ違った。当時の僕は、身障者の結婚難に問題意識を持つなど、彼らとも違う考え方でしたが、まだ社会経験が浅く、はっきりした答えは見出せませんでした。但し、対同性と異性では付き合い方を変えなければならない事は気が付いていたわけです。

   その会の友人理念みたいなものはすぐ崩れ、会は消えたわけです。そうでしょう。例えば、全メンバーは隣近所の人達とも付き合えない・友人になりたいとも思っていません。それで全生園に行って友人を作るのはおかしいわけです。また、介護関係も。プライベートな生活に立ち入るため、友人にしてもらうと、甘えが出たり、気持ちの行き違いからケンカにもなるわけです。とても任せられません。更には、同性に対する付き合い方と異性に対する付き合い方は違いますが、「友人関係」は男も、女も同性を基準に付き合うものです。でも、男と女は脳も、身体構造も違うため、発想や感覚も違います。同性の友人の要領で付き合っても、すれ違いに終わるだけです。僕も経験上判ります。今の僕は対女性たちには徹底的に気持を察しながら付き合っています。そうしないと付き合えない。更には、障碍の有無の問題も。それも種類によって違う。その福祉会には聴覚に障害を持つ方も入りましたが、結局は付き合えなかったわけです。身障者同士も微妙に違うし。難しいわけです。少なくとも、療養所の事を狭いとは言えなかったわけですね。対異性は察し合うと非常に楽しい。むしろ、療養所の付き合いの方が真実に近いとさえ今は思います。それに、個人差はありますが、結婚した旧友のかなりは友人作りを止めている例が。かつては、療養所のそれを陰で批判した人たちも。ならば、 後年は見方を変えたと言わざるを得ませんね。

   一方、S園は身障園生の恋愛や結婚には全く配慮が見られなかったわけです。更には、知的障碍関係も。知的障碍者も恋愛感情は持つわけですからね。その事に僕も激怒していました。一番怒った事ですね。それゆえに今になったとは言え、実録小説も書く気になったわけです。S園と療養所の比較はできませんが、実録小説書きの参考には以上の番組はなりました。
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高齢男性に求愛された女子大生高齢男性に求愛された女子大生

2018-12-11 17:42:49 | 日記
  1970年代、「いんなあとりっぷ」という若者向けの雑誌があり、僕も父に勧められてよく読んだ。その中で忘れられない記事が一つある。表題通りの事です。


  記事はその女子大生の手記。読みやすいように編集はされていたと思いますが。その女子大生は高齢者夫婦の家にお手伝いボランティア。洗濯などの用をこなしていたわけですね。夫婦ですが、夫はたくましい性格。妻は元は貧しく、遊郭に売られましたが、夫が「救い出した」とのこと。妻もその事をいつまでも喜んでいました。


   ところがその女子大生が手伝いの為に行き、しきりに高齢の夫に優しい言葉を掛けた所、恋愛感情が呼び覚まされ、求愛まで。それを知った妻は泣き崩れた。手記は「私のした事は何だったの?」で終わっていました。その後の様子は書かれていませんでした。

   確か、1975年。当時の僕はまだ福祉会や身障会にも入っておらず、「何だ、これ」と変に思っただけでしたが、印象に残りました。その後、施設関係で影の話として、ボランティアの人が異性身障園生に優しくして恋愛感情が呼び覚まされ、トラブルが時々起きている事を聞き、ある施設キャンプの時もその幹事の一人に「気を付けろよ」と言われたわけです。

   今、記事を思い出し、その女子大生は考えが足りなかったと。男女面で。いくら年長でも、異性は異性。優しくしたら、こうなる事もある事は考えないといけなかったのに。その人は男女交際は余りせず、そのような事ばかりしていました。1955年生まれだったそうですが、1950年生まれの全学連世代以降はそのような例が多くなったわけです。

  もし、ちゃんとした恋人がいたり、恋人候補の男性が何人もいれば、そっちに優しい言葉を掛けて、高齢者夫婦の家庭では洗濯などの用をこなすだけだったと思います。また、それが本当のボランティア活動ですね。優しい言葉を掛ける事は、ボランティアから外れており、その面でもおかしいと今は思うわけですが。

   さらに、高齢者や障碍者を男や女とは見ない日本社会の困った風潮も見えます。これこそ、この問題の根であり、この件は僕が行ったS園にもありました。書いていくと。以上の思い出しはその役にも立つと思います。更には、僕も男としての面も訴えたいし、女の人の性の面も尊重・尊敬したいです。一番大事な事かもしれません。
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ライン・携帯電話・聴覚障碍者

2018-12-10 13:51:08 | 日記
  フェイスブックで知り合う人たちによくラインに誘われる。ラインとは、日本で生まれたSNSである。以前、僕も登録しようとした。そうしたら、パソコンのアドレスの他、「携帯電話の番号」も必須。携帯電話は僕は持っていない。脳性まひ特有の言語障碍があり、それで通話は不可能である事だからだ。諸々の写真は、ヘルパーさんの持っている携帯電話で撮ってもらって、それを僕のパソコンに送信してもらう方式である。手の障害もあるため、携帯電話を持って写真を撮る動作も不可能であるし。それゆえ、僕のITはパソコン一辺倒である。ラインのやり方はおかしいと思い、腹が立った。


  日本のかなりの人たちが携帯電話を持っているとは言え、何らかの理由で持っていない人たちもいるはずだ。また、僕は思ったが、聴覚障碍者たちもラインはどうしているのだろうか。仮に携帯電話を持っていても、写真とかメール用にしか使えないはずだ。そのような人が電話の通話が掛かってきても対応はできないし、持っていない人たちもかなりいると察せらるから。どのように感じているかは彼らの問題だし、それも聴障者で一人一人違うはずだが。

   ラインを考案した人たちは携帯電話を持たない人や持てない人、聴覚障碍者の事をどれだけ意識して作ったのだろうか。それに限らず、物事は多角的に見ないと、特定の人たちを排除させてしまうわけで。恐ろしいわけである。

  
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