トシコロのありのままの暮らし


  世田谷カフェとの交信の必要性で、登録しました。それ以外の皆さんもよろしくお願いします。

鉄腕アトムの浮世絵

2020-02-28 11:17:24 | 日記
   これもたくさんあります。その一つは以下の通りです。僕も子供の時に必ず見ていた。ロボット・人間の枠を超えて、積極的に友人になる筋書きが好きでした。やはり、障碍の有無、男女、国籍や民族、宗教の枠にとらわれず、個人と個人のレベルで付き合い、友だちにならなければ、人生は損するでしょう。枠を越えず、ロボットだけの利益を求める狭い心を持つロボットを、「分からず屋」と言いながら、アトムは批判していたわけです。


  今回の新型肺炎。国際協力の必要性も痛感します。特に、貧富の差が激しく、医療体制も整わない国々では、ウィルスがいったん広まると、そのままではどうにもならなくなります。医薬品供与などの国際協力も必要だし、医療体制や世界的な貧富の差、つまり、政治と経済の在り方も世界的に問われているわけです。更には、感染原因となった、野生動物料理=グルメも。グルメ自体を否定はできませんが、それは果たして人々を幸福にするのか。日本でもバブル景気の1980年代はグルメ・ブームが起きましたが、それを見て、僕は「グルメは自分だけの楽しみ追及で、愛もなく、人を幸福にはしない。果ては寂しくなるだけだ」と思いましたが。

  以下、御覧下さい。




ハンセン氏病元患者・伊藤まつさんから教えられたこと

2020-02-26 09:56:19 | 日記
 ハンセン氏病元患者・伊藤まつさんから教えられたこと(文芸誌投稿)




 数多い。二つほど、書きたい。1908年生まれ、1985年昇天。

 まず、1977年夏、福祉団体の交流合宿に多磨全生園に来ていた僕に対して、「来てね」と声をかけて、まつさんの部屋に行き、丹精込めて描いた絵も見せていただき、身の上話など、色々な話をしてくれ、かつ、僕などの「相手の声」を真剣に聞いて下さった事である。それゆえ、最初から話が弾み、そのまま天国に行く時まで8年間も付き合う事ができた点である。人との付き合いで、「自分の想いを伝え、かつ、相手の声をしっかり聞く」ことは僕は小学6年ごろから、ボランティアとして母校の光明養護学校や家に来ていた原一男氏などとの付き合いで学んでいたが、伊藤まつさんとの付き合いで、再確認できたわけである。旧日本軍人の中には他人の声を聞けない人が多かったなど、戦前から日本では意思疎通が苦手な人が多いが、伊藤まつさんはそのよう事はなく、貴重な付き合いができたと思う。

 もう一つは、ハンセン氏病差別の根は諸説が入り乱れているが、まつさんは「顔が醜いから嫌われるの」と言っていた事である。それも元患者にしてみれば、大変な事だろう。それゆえ、僕も次第に考えこみ、顔で人を判断する事は悪い事だと思うようにもなった。脳性まひ女性で「脳性まひの女性は緊張で顔が歪むから、男性から恋愛対象にされない」という怒りの声も同様に聞き、さらにそのように思うようになった。まつさんと出会う前は顔で女性を選んだ事もあった僕だが、「心」が大事だと思うようになったわけである。

 以上、伊藤まつさんという歴史に隠れた人の事のごく一部を書いた。これからも書いていきたいと思う。今でも心の奥底でつながり、楽しく付き合っているわけである。






クラス会の話の内容

2020-02-25 13:21:03 | 日記
かなり昔の事なので大まかにしか覚えていないが、勉強関係以外は、各自の結婚問題と、病気や身体衰弱の事でした。前者ですが、同級生たちは障碍程度がかなり軽い方が多いですが、それでも、様々なハンディが結婚にはありますからね。当然でしょう。その身障者たちの悩みは深いものがあります。(結婚した人たちは、出会いの場は様々だが、いずれも「個人と個人」の人格や個性の認め合いが十分に行われて、そこから愛も生まれている。そうだろう。愛は「個人と個人」の間に起きるものだから。何かのグループ関係の延長で、恋愛や結婚があった例は聞いた事がない。カルト系会などではあるかもしれないが、まともな愛は育たず、幸せにはならないわけである)


  身体関係。脳性まひ者の身体は成長期を過ぎれば、大体、衰えます。多病になる例も多い。成長期までは歩いてどこにでも行けた人が、30歳くらいになり、歩けなくなる例もかなりあります。医学的な専門的話はできなくても、体の衰えも話題に出た。それを僕は後で文章にまとめて、医者の友人たちに送っていました。当時の僕の社会活動の一つでしたね。

  因みに、クラス会は年一度だから良かったと思います。毎月集まる事は皆の生活上、不可能ですが、もし、そのようにしたら、すぐに話題も尽きますし、ここでも「狭い仲間関係」ができて、何かの弊害が現れるでしょう。こういうものです。

  思い出せたから、書きました。


學校卒業後、僕が最も充実した会合は光明養護学校のクラス会だった

2020-02-25 10:43:29 | 日記
 理由は、学校時代、「真理を求めて」学んだ事を思い出させてくれるからです。同級生も、先生もそのような思い出話をするから、僕も自然とそのような気持ちになったわけです。中には「つるかめ算」みたいな僕がすっかり忘れていた話をしてくれる人もいた。僕は高校卒業後は数学から離れているので、つい忘れたわけです。


  昔の光明養護学校の勉強の目的は「真理の探究」だったと思います。何もその学校だけの目的でもないですが、僕の世代は日本全体の学校の勉強目的が「受験」になっていた時だったため、同世代の人たちの中にはその目的を知らない人たちもいるようです。日本全体の事はともかく、真理探究の為の勉強をすると、それが終わってもその延長で話が出るわけです。仲間意識・仲間関係を求めた、かつての僕が入った福祉・身障・親睦会や例の教会関係とは違うわけです。僕にとって一番中身の濃い会合もクラス会でした。90年代に毎年行けて良かった。

  卒業後、僕も統合教育の話を聞きました。でも、その説明が後年思えば、おかしかった。「仲間関係・仲間意識作りの為の統合教育」。勉強の事は抜かしていた話ばかりだった。僕が統合教育に心傾けられなかった理由もそこでした。思考実験して、公立学校でも、養護学校でも、仲間関係作り目的、勉強は余り力を入れない学校を想定したら、子供時代の僕も退屈して、不登校になったと思います。ほぼ全員がそうなると思います。

  同級生にも、学校時代、勉強が嫌いな子がいました。でも、その子たちも、例えば、電気機械作りとか、学校新聞関係に投稿するとか、自分の得意な事をしていました。「自分の得意な事」を探していた子もいた。先生たちはそのような子もほめていたわけです。

  70年代後半に僕も入っていた身障会。光明卒業生がほとんどだったのに、以上とは違い、在校中の学問の話は一切せず、「身障者たちの仲間意識になる身障運動」を志した。すぐ潰れましたが、そうでしょう。学問の土台をあえて無視して、そのような別の土台を作ろうとした。勿体なかったと今は気が付いています。どんな状況でも、「真に学べたありがたさ」は感謝しないといけません。

   以上とは別の流れですが、1985年から僕は放送大学を学びました。入った会の一つのVYSの一部の人たちにも、学問の事とか、レポートや論文式試験答案のコピーを郵便で送った。学生時代、学び足りなかったと感じていた人たちもかなりいて、返事も来るなど、ここでも「共に学ぶ関係」が出来ました。良かったわけです。僕がVYSという会にいたのは、70年代後半ですが、学生福祉会でした。その時は皆学問の事は話さなかったですが、10年遅れでそうなった。僕がVYSの人たちと本当にやりたかった事も、「共に学ぶ」事だったと後年になり、気が付いた。でも、勉強は一生するもの。早い・遅いはないわけですね。

  新型肺炎が流行り、今後の外出も僕も制限が出るなど、気持ちも内向きになっているため、以上の事も気が付いた次第です。肺炎は不幸にしろ、内向きになる事は悪い事でもないでしょう。


大東亜共栄圏の思想とは

2020-02-24 10:58:53 | 日記
簡単に言えば、「黄色人種は皆仲間。それらが仲良くして、今まで黄色人種を搾取してきた白人たちに対抗して、共に栄えよう」である。仮にその通りになった場合、「黄色人種と白人の対立関係」になるわけで、世界からは戦争は消えないわけである。また、当時はまだ世界的に奴隷扱いだった黒人の問題も絡み、更に平和にはならない。いかにも、教育勅語にあった「仲良く・仲間関係」の延長に僕には思われる。実際は、中国やフィリピンの人たちが猛反発して挫折。黄色人種も細かい違いがたくさんあり、一くくりにできないわけである。それどころか、日本国内にも、日本民族の他、琉球とアイヌがいるし、また、日本民族にしても、地方により、方言や文化、食べ物の違いもある。1868年の戊辰戦争という内戦では、薩摩=鹿児島県と、会津=福島県西部は戦争をして、心のしこりを戦前は残したままだった。鹿児島=薩摩系と、山口=長州系の役人や軍人も仲が悪かったし。日本国内にも複雑な対立があれば、いかに経済利益があろうが、「大東亜共栄圏」なるものは最初からムリだったように見える。


  また、それを遂行しようとした時、東南アジアの資源を非常に安く日本に持ってくるなど、アジアの為と言いながら、日本本意にもなっていった。仲間関係の名の元に共生をうたっても、より力のある勢力が有利になってしまうのである。大東亜共栄圏の思想を利用して、大儲けをしようとした日本の資本家たちも多かったわけである。経済に詳しい官僚の中には、最初から日本の経済利益を求めて、大東亜共栄圏を推進した人たちもいたと聞いた事がある。それも考えられるし、動機の一つだろう。

  「○○は皆仲間」と旗揚げして、共同生活や福祉運動しても、実際はより力のある者とか多数派が有利になり、不公平が行われる事が多い。僕も身障者運動関係で見てきた。「身障者は皆仲間」と言いながら、集会にも来れないだけ障碍が重い・体が弱い身障者たちには使えない福祉制度を作るなど、身障者間で不公平が出たわけである。

  因みに、新約聖書のイエスが述べた「隣人愛」は、今の日本で言えば、北朝鮮の人たちも愛せよ、敵の国の人達も愛せよ、というものである。シャカは「広辺無大な愛」を人々に求めた。どちらも狭い愛は否定していたわけである。そのような発想が教育勅語には抜けていたわけである。狭い事は良くないと思う。