トシコロのありのままの暮らし


  世田谷カフェとの交信の必要性で、登録しました。それ以外の皆さんもよろしくお願いします。

バカになる方法

2016-05-30 14:13:26 | 日記



   日本の北海道で、子供を親が置き去りにする事件が起きた。しつけの目的だったそうだが、野宿をすると体温低下でそのまま死ぬかもしれないし、それはあってはならない事である。本人の痛烈な反省を求めたい。

  以上の事件はともかく、この種の事件が起きると必ず出てくるのが「今の若い人たちは育児を知らない」という議論である。僕もかつてはそのような事を言っていたから、よく判るのである。でも、昔はどうだっただろうか。日本に限って言っても。高度経済成長期も、第二次大戦前も、江戸時代も、その前の時代も同様な事件は起きていたわけである。小説などに書かれてあるし、江戸時代、松尾芭蕉が捨て子の哀れさを記した文は有名である。

  よく調べたり、歴史を学ばないで、「今の者は」という議論は確かに無責任でおかしいわけである。でも、単純にそのように言う事は楽でもある。考えないで言えるから。そのような話ばかりしていると、考える力が次第に失われて、以上の事件を起こすような人と同じレベルのバカになってしまうわけである。

  つまり、バカになる方法は、無責任な事をしたり、言う事である。バカになりたい人は、そうするが良いでしょう。
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入浴の湯の温度と体調

2016-05-27 11:46:12 | 日記



  僕の入浴は毎週水曜日の午後。世田谷区の入浴サービスです。介護会社は時々変わります。昨年4月も変わりました。変わった先の会社は、心臓の弱い人たちの心臓マヒを警戒して、それまでよりもお湯の温度を低く調整しているようです。僕の所は最初は38度。最後の時も39度から40度。皆様もよく知っていると思いますが、ぬるま湯は気持ちが良いですね。それゆえにしばらくは問題も持たなかったです。すぐに夏になりましたし。

  ところが、どういうものか、10月以降、風呂の後は少し寒く感じ、汗はかかない。風呂の後の日の木曜と金曜は寒く感じ、それで夜もよく眠れなくなり、夜尿や早朝尿も時々。12月初めは木枯らしの時の外出で腰痛にも。冬になるとさらに寒く感じるように。僕は寒冬のせいだと思いました。主治医は老化の始まりのせいだと考えて、それに対応する漢方薬を投与。でも、春、更には、5月になっても同じ状態。ならば、お風呂の時の湯の温度のせいだと僕は思うようになり、5月26日の水曜日には、以上の体調の変化を訴えて、中途以降のお湯の温度を1、2度上げてもらいました。そうした所、風呂の後は汗もかき、夜も暖かく、翌日も続いた。早朝尿や夜尿の気配も消えたと。今までの体調の衰えは本当にお風呂のお湯の温度だったようです。お風呂の度に体が冷えていたわけですね。

  お風呂のお湯の温度は体温に関係して、体温が低くなれば、体力と免疫力が低下する。もしも、ぬるま湯が続けば、僕は大病になったかもしれません。気が付いて良かったです。

  心臓疾患を持つ人たちの入浴ケアは難しく、それは医者が決める問題でしょうが、それ以外の人と同じに扱うような事はしてはいけないわけです。
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日本における障碍者、高齢者、外国人などへの子供扱いの問題

2016-05-20 11:18:03 | 日記



  今回の文は主に事実列挙である。古い話から書こう。

  「折れたクレヨン(花田春兆著・ぶどう社)」に書かれてあったこと。著者は1925年生まれの、生まれつき歩行不可能な脳性まひを持つ人だが、大体、1950年ごろの東京の経験として、以下の事を述べている。

  「教会の美術鑑賞会に日曜の午後によく行った。そこには、若い人たちもたくさん来ていた。特に、女性が多かった。私と大して変わらない年代の人たちだったが、特に女性たちから『万年坊や』というあだ名を付けられるなど、子供扱いされた。悔しかったが、どうする事もできなかった」と述べている。子供扱いの原因については、著者は何も語っていない。事実を淡々と語っているに過ぎない。

  1977年。世田谷の身障会で、ボランティアと身障者の大規模なキャンプが行なわれた。ボランティアの人たちが身障者一人一人に専属的な介護者として付いたが、ボランティア➡身障者の接し方は子供扱いか、病人扱いばかりだった。僕は病人扱いされた。確かに、身障者も、病人も体が弱いから、そのような扱いをされるのならば、読者の皆様も判るだろう。でも、僕が見た範囲では、圧倒的に身障者は介護者に子供扱いされていた。まるで幼児に語り掛けるように「おしっこ、ないの?」とか。介護者同士もおかしさを指摘し合っていたが、指摘した人もそのように扱う始末。訳が判らなかった。反省会でも話し合われたが、中身のある対策は出せなかった。

  同じころの別の福祉会。僕の他、耳の聞えない男の大学生がいた。大柄な体である。その人を同年齢の一人の女子学生が、彼のいない所で「あの子」と呼ぶことを僕も数回聞いた。口にした後、彼女は「今、何故、私はそう言ったのだろう。彼は立派な大人なのに。おかしいわ」と反省していた為、僕も批判はしなかったが、世田谷の身障キャンプの事と重ね合わせて見て、そこからその耳の聞えない人と、学生たちのやり取りに関心を持っていった。確かに、露骨には言わないまでも、何か、その人を子供扱いしている感じが何となくして、気になり続けた。その耳の聞えない人は、福祉会の目的に合わなかったらしく、その後は退会している。

  その福祉会。当時の日本では、小学から中学までの障碍を持つ子たちの学校の所属が、公立学校か、養護学校か、もめていた。それ自体は大きな問題だったが、僕に対してその問題を熱く語り掛け、「君も当事者だ。一緒に文部省の差別と闘おう」とか言ってきた同世代の学生が何人も出た。当時の僕は訳が判らず、結局、1979年にはその福祉会を退会するまでに至った。今思うと、その福祉会の人たちも僕を子供扱いしていたと。振り分けの問題になっていたのは本当に、小学から中学までの障碍を持つ子である。中学を卒業した障碍を持つ人たちは「当事者」ではないのに。いくら当時の文部省の説明が悪くても、そのくらいは判るのに。以上の事を語りかけられた時の気持ちを述べると、訳は判らなかったものの、非常に不快だった。だから、退会したわけである。

  90年代半ば以降。高齢者の様子がテレビに映るようになった。それは良いが、ただし、ケア・ホームみたいな所で、高齢者たちが、幼稚園児のようにお遊戯をさせられている場面が多かった。僕は変に感じたし、当時は70代だった父もそれを見て呆れていた。何分、高齢者たちに対しても子供扱いとか、幼児に語り掛ける言葉が多くなるとか。

  更には、外国人とか、外国系の日本国籍を持つ人たちに対しても子供扱いが多いと、テレビ放送でよく聞くし、実際にそのような人の声を聞いた事もある。更に、複雑怪奇である。

  子供扱いの理由として、「車いすに座る人は子供と同じくらいの視線だから」という説を聞いた事がある。うなずける反面、耳の聞えない人に対する同様な接し方については説明が付かない。世田谷の福祉キャンプでも、歩ける軽度の身障者に対しても子供扱いが同様に目だったし。

  昔の僕はその理由をさんざん考えてきたが、今の僕はそれを考える事を止めたと。理由が判らないままに、僕への子供扱いを否定する事を訴えたり、僕自身も耳の聞えない人みたいな方に対しては子供扱いしないように気を付ければ良いと。昔の人は雨が降るメカニズムは知らなかったが、「傘を差す」という対策はできたように、理由が判らなくても対策は十分立てられるから。

  もう一つ述べると、例のS園での園生への子供扱い。S園特有の現象ではなかったと思う。日本の世間にあるそのような意識が濃縮されて現れていただけで。S園ばかりを叩く気も、僕には昔も、今もないわけである。
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日本における障碍者、高齢者、外国人などへの子供扱いの問題

2016-05-20 11:18:03 | 日記



  今回の文は主に事実列挙である。古い話から書こう。

  「折れたクレヨン(花田春兆著・ぶどう社)」に書かれてあったこと。著者は1925年生まれの、生まれつき歩行不可能な脳性まひを持つ人だが、大体、1950年ごろの東京の経験として、以下の事を述べている。

  「教会の美術鑑賞会に日曜の午後によく行った。そこには、若い人たちもたくさん来ていた。特に、女性が多かった。私と大して変わらない年代の人たちだったが、特に女性たちから『万年坊や』というあだ名を付けられるなど、子供扱いされた。悔しかったが、どうする事もできなかった」と述べている。子供扱いの原因については、著者は何も語っていない。事実を淡々と語っているに過ぎない。

  1977年。世田谷の身障会で、ボランティアと身障者の大規模なキャンプが行なわれた。ボランティアの人たちが身障者一人一人に専属的な介護者として付いたが、ボランティア➡身障者の接し方は子供扱いか、病人扱いばかりだった。僕は病人扱いされた。確かに、身障者も、病人も体が弱いから、そのような扱いをされるのならば、読者の皆様も判るだろう。でも、僕が見た範囲では、圧倒的に身障者は介護者に子供扱いされていた。まるで幼児に語り掛けるように「おしっこ、ないの?」とか。介護者同士もおかしさを指摘し合っていたが、指摘した人もそのように扱う始末。訳が判らなかった。反省会でも話し合われたが、中身のある対策は出せなかった。

  同じころの別の福祉会。僕の他、耳の聞えない男の大学生がいた。大柄な体である。その人を同年齢の一人の女子学生が、彼のいない所で「あの子」と呼ぶことを僕も数回聞いた。口にした後、彼女は「今、何故、私はそう言ったのだろう。彼は立派な大人なのに。おかしいわ」と反省していた為、僕も批判はしなかったが、世田谷の身障キャンプの事と重ね合わせて見て、そこからその耳の聞えない人と、学生たちのやり取りに関心を持っていった。確かに、露骨には言わないまでも、何か、その人を子供扱いしている感じが何となくして、気になり続けた。その耳の聞えない人は、福祉会の目的に合わなかったらしく、その後は退会している。

  その福祉会。当時の日本では、小学から中学までの障碍を持つ子たちの学校の所属が、公立学校か、養護学校か、もめていた。それ自体は大きな問題だったが、僕に対してその問題を熱く語り掛け、「君も当事者だ。一緒に文部省の差別と闘おう」とか言ってきた同世代の学生が何人も出た。当時の僕は訳が判らず、結局、1979年にはその福祉会を退会するまでに至った。今思うと、その福祉会の人たちも僕を子供扱いしていたと。振り分けの問題になっていたのは本当に、小学から中学までの障碍を持つ子である。中学を卒業した障碍を持つ人たちは「当事者」ではないのに。いくら当時の文部省の説明が悪くても、そのくらいは判るのに。以上の事を語りかけられた時の気持ちを述べると、訳は判らなかったものの、非常に不快だった。だから、退会したわけである。

  90年代半ば以降。高齢者の様子がテレビに映るようになった。それは良いが、ただし、ケア・ホームみたいな所で、高齢者たちが、幼稚園児のようにお遊戯をさせられている場面が多かった。僕は変に感じたし、当時は70代だった父もそれを見て呆れていた。何分、高齢者たちに対しても子供扱いとか、幼児に語り掛ける言葉が多くなるとか。

  更には、外国人とか、外国系の日本国籍を持つ人たちに対しても子供扱いが多いと、テレビ放送でよく聞くし、実際にそのような人の声を聞いた事もある。更に、複雑怪奇である。

  子供扱いの理由として、「車いすに座る人は子供と同じくらいの視線だから」という説を聞いた事がある。うなずける反面、耳の聞えない人に対する同様な接し方については説明が付かない。世田谷の福祉キャンプでも、歩ける軽度の身障者に対しても子供扱いが同様に目だったし。

  昔の僕はその理由をさんざん考えてきたが、今の僕はそれを考える事を止めたと。理由が判らないままに、僕への子供扱いを否定する事を訴えたり、僕自身も耳の聞えない人みたいな方に対しては子供扱いしないように気を付ければ良いと。昔の人は雨が降るメカニズムは知らなかったが、「傘を差す」という対策はできたように、理由が判らなくても対策は十分立てられるから。

  もう一つ述べると、例のS園での園生への子供扱い。S園特有の現象ではなかったと思う。日本の世間にあるそのような意識が濃縮されて現れていただけで。S園ばかりを叩く気も、僕には昔も、今もないわけである。
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近所に散歩に行きました

2016-05-16 16:30:14 | 日記
  今日の東京は気象情報の暑くなる予想が外れて、丁度良い気候。以前から今日は外出を頼んでいたので、ムリしない程度に近所の散歩に行きました。あいにく車いすが故障していましたが、介護会社からヘルパーさんが借りて来てくれた。確かに、今はそのような事も可能な時代ですね。まず、車いすの空気入れが古くなっていたので、自転車屋に行って買いました。後、豪徳寺というお寺に行きました。そこは幕末に活躍した井伊直弼大老のお墓もある所です。新緑が目に鮮やかでした。その後、八幡神社に行き、更にスーパーで明日のお昼のおかずのコロッケなどを買って、帰りました。お陰で心の保養になりました。良かったし、車いすの件ではそのヘルパーさんに感謝です。
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