トシコロのありのままの暮らし


  世田谷カフェとの交信の必要性で、登録しました。それ以外の皆さんもよろしくお願いします。

人はバラバラの存在なり・離婚しない策

2015-03-30 13:44:36 | 日記
  昨日(29日)のNHK第二放送の「宗教の時間」ではキリスト教の話を放送。イエスは「弟子たちの裏切りを予測し、その上で弟子たちを愛し、許した」とという話だった。確かに、新約聖書には至る所で「裏切り」という言葉が出てきます。人は裏切り合うものだという事を大前提に愛や信仰を説いてあるわけです。
  僕は裏切り以前に、人はバラバラの存在だと。一つ一つの脳は別個に存在している以上、人々の想いも感じ方も、本当に一人一人違うわけです。他人が何を考えているか、判るでしょうか。
  でも、そのまま放置すれば、社会も存在せず、地球は本当に弱肉強食のものになるわけです。それでは何もできないし、生きる価値もないでしょう。
  バラバラで寂しい存在だからこそ、心開き合い、生かし合い、支え合い、生きていく必要があるし、いくら恋人や夫婦でもバラバラと思えば、いつまでもそうして愛し合えるわけです。
  「夫婦だから、恋人だから、判ってくれる」という意識を一方でも持つと、何かのきっかけで気持ちがバラバラなのが露呈され、失望し、離婚や別れにつながると。そのような離婚も特に日本では多い気がします。男女は脳や体の構造も違うから、よりバラバラな存在なのです。それを知る・知らないで、恋愛や結婚するのでは大違いです。断言できます。
  皆様の考える種になれば幸いです。
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惨劇から思った性愛の問題

2015-03-20 14:33:42 | 日記
  昨朝、ニュースのデータ放送を見るため、たまたま付けた民放のワイドショー番組にこんなものがあった。
  「7歳年長の妻を夫が殺害。その妻は連れ子婚で2年前にその夫と結婚した。」。
  放送では詳しい様子は一切報道していなかったため、よくは判らないが、殺害は悪いにしろ、そうなったいきさつには深い心のもつれがあったはずだ。殺された妻に注目すると、そもそも、前夫と離婚しなければ、このような男と結婚しなかったわけである。つまり、問題はそこにもあると。この件については、問題は一筋縄ではいかないわけで、事件を扱う警察も苦労されると思う。
  以上に限らず、結婚してはすぐ別れる夫婦が日本では増えてきているようだ。簡単に婚前セックスをして、肉体的に相性が良いと確認しあっての末の結婚。でも、肉体面以外の事はかなり合わないと気が付き、離婚する例が。つまり、「性愛」と言っても、愛の部分が欠落していると。肉体と言おうか、物質的な面ばかりの縁にこだわっていたら、こうなるね。結婚なんて成立しない。本当は人間は脳が発達した精神的な動物なのだから。こうなる理由の一つは今の性教育にもあるとみている。いわゆる性器の事ばかり教えて、異性への尊敬とか、命の尊さを教えないわけだから。今の日本の性教育はおかしいと思う。「性」という漢字は「心が生きる」と書く。つまり、心が一番大事なのに。また、人間に限らず、すべての生物はオスとメスの2種類に分かれて存在している。つまり、性は本当は「2種類に分かれた命」なのに。そのように恋人や夫婦のカップルが認識しあったら、互いの命を尊重し合う素晴らしいカップルになり、真の絆もできるのに。でも、どう考えても、肉体だけを求め合う縁は上べだけで、絆ができるとは思われない。学校関係者は「心と命を重視した性教育」をしてもらいたい。
  日本においては、封建時代が1868年まで続いてきたし、その後もその影響が深く残った。封建時代においては、領主に心を集中させるため、それを結果的に阻害する恋愛をタブーにさせた。その影響で、日本人の中にはまともに男女交際できない人がまだかなりいる。本当は性愛、恋愛は明るく、素晴らしいものなのに。冒頭に述べた事件は、チュニジアのテロ惨劇と変わらないだけ、大きな問題のように僕には思えるが。皆様も一緒に考えてくれれば、幸いです。
  因みに、「命の尊重が肝心」という点では、福祉や障碍者運動にも通じるわけです。
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小学生向け

2015-03-18 10:48:44 | 日記
 佐久のみなさんへ.

 東京では昼間は暖かくなりました。梅が咲いています。春になりました。
 3月はそつぎょうしきの月ですね。みなさんの中にもそつぎょうする人がいましょう。僕が小学をそつぎょうしたのは、1969年3月。晴れて、あたたかな日でした。講堂(こうどう)に集まり、校歌などを歌った後、教頭先生が児童一人一人の名前を1組から読み上げ、校長先生が卒業証書(そつぎょう・しょうしょ)を下さりました。一人一人に声をかけて。ぼくには「荒井君は科学が好きなようですね」という言葉をかけて下さったのをおぼえています。式の時はさすがにみな緊張(きんちょう)していました。服装(ふくそう)もその日は良いものでしたし。
 そのあと、みんなでおすしを取って食べて、午後は謝恩会(しゃおんかい)。いろいろな先生たちがお話しをされたり、児童たちは組に分かれて、一組のひとはかんたんなげきをやり、ぼくなどの2組は「ふるさと」の合奏(がっそう)をしたのをおぼえています。
 みなさんも卒業式は思い出になると思います。
 卒業と言えば、H先生はこれで先生を終えられるため、ぼくのみなさんへの手紙もこれで終わりです。したがって、写真もいくつか、さし上げます。以前、さし上げたものばかりですが。これまでお読みくださり、ありがとうございました。H先生にも、ありがとうと言います。
 今回卒業するみなさんは中学に行くわけですね。中学では色々と面白い勉強もありますし、新たな先生や友だちと出会うわけですね。そのような人たちとも、あいさつから始まり、お友だちになっていくことでしょう。あいさつは大事です。ぼくもインターネットで知り合った人たちにあいさつのメールを書いて親しくなっていますし。あいさつのことも最後にお話しできて、良かったです。いつか、別の小学校で似た手紙を書くこともあるでしょう。
 
 
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歴史的に見た新聞

2015-03-17 11:24:47 | 日記


  あれから、新聞を歴史的に見てみた。江戸時代の日本の「瓦版(kawaraーban)も新聞の一種に入れて。

  「報道」なるものは中世や封建時代にはなかった。それがヨーロッパでも、日本でも、町人たちが知力や経済力を持つようになった近代や江戸時代に、諸々の出来事を世間に伝えようとして、「新聞」の卵が生まれ、町人文化を盛んにして、封建社会の基盤を崩していった。マルクスは「ブルジュワジーの経済発展」が封建制を崩したと言っている。それも事実だが、その他に新聞の卵の功績も見逃せない。封建制末期においては、新聞は社会や福祉の進歩に貢献したわけである。

  でも、20世紀になり、次第に各国の新聞は独り歩きをして、国王などの領主に代わり、人々の心をいつの間にか、支配してしまった。でも、新聞は人間の知性が作ったものである。知性は大事だが、それでも、人間の心や人生は割り切れないものがある。本当は心や人生は非常に大きいのに。そこに問題点があったように思われるが。

  ヒットラーなどのナチス一味は盛んに新聞とラジオを操作して、人心を掌握した。又、ナチス一味も、少年時代から「イギリス兵の戦死者39人、ドイツ兵の戦死者25人」式の新聞記事やラジオ放送を聞いていたはずである。それで人間がロボットみたいに思えて、後に自国民を徴兵したり、「悪いロボット」だとして、ユダヤ人やロシア人などを徹底的に虐殺した。又は、「欠陥ロボット」として、障碍者を虐殺するとか。そのような気がしてならないわけである。

  「新聞の功罪」についての正式な歴史評価はまだ出ないと思う。未来において、きちんとした歴史的評価が下されるだろう。
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歴史的に見た新聞

2015-03-17 11:24:47 | 日記


  あれから、新聞を歴史的に見てみた。江戸時代の日本の「瓦版(kawaraーban)も新聞の一種に入れて。

  「報道」なるものは中世や封建時代にはなかった。それがヨーロッパでも、日本でも、町人たちが知力や経済力を持つようになった近代や江戸時代に、諸々の出来事を世間に伝えようとして、「新聞」の卵が生まれ、町人文化を盛んにして、封建社会の基盤を崩していった。マルクスは「ブルジュワジーの経済発展」が封建制を崩したと言っている。それも事実だが、その他に新聞の卵の功績も見逃せない。封建制末期においては、新聞は社会や福祉の進歩に貢献したわけである。

  でも、20世紀になり、次第に各国の新聞は独り歩きをして、国王などの領主に代わり、人々の心をいつの間にか、支配してしまった。でも、新聞は人間の知性が作ったものである。知性は大事だが、それでも、人間の心や人生は割り切れないものがある。本当は心や人生は非常に大きいのに。そこに問題点があったように思われるが。

  ヒットラーなどのナチス一味は盛んに新聞とラジオを操作して、人心を掌握した。又、ナチス一味も、少年時代から「イギリス兵の戦死者39人、ドイツ兵の戦死者25人」式の新聞記事やラジオ放送を聞いていたはずである。それで人間がロボットみたいに思えて、後に自国民を徴兵したり、「悪いロボット」だとして、ユダヤ人やロシア人などを徹底的に虐殺した。又は、「欠陥ロボット」として、障碍者を虐殺するとか。そのような気がしてならないわけである。

  「新聞の功罪」についての正式な歴史評価はまだ出ないと思う。未来において、きちんとした歴史的評価が下されるだろう。
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