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日本の人権の歴史・幕末から1945年

2015-06-11 10:50:39 | 日記
   長く続いた徳川幕府体制だが、江戸から遠く、幕府の監視が弱い西日本を中心に各藩が力を付けてきた。あと、アメリカからの黒船来航後、激動期に入り、幕府は急速に衰え、明治維新になったわけだが、その頃の人権の問題はどうだっただろうか。はっきりとした人権思想はまだ出なかったが、長きに渡り、下積みを強いられてきた下級武士たちが幕府打倒の力になったのは有名である。身分制度を廃止して、新しい日本の国を作ろうと彼らは努力した。そこに後の人権思想につながるものがあったと。又、その頃に活躍した学者の福沢諭吉はアメリカ合衆国独立宣言を引用して、「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」と語ったが、学問による自立を進めた言葉であり、人権思想とはやや違うと。(その言葉は福沢諭吉が作ったものではありません)
  1868年に明治維新。その後、1874年から帝国議会設立の建白書が出され、その頃から自由民権運動が始まり、1889年の帝国憲法設立。後、1894、5年に日清戦争、1904、5年に日露戦争が起きたが、民衆レベルでは人権思想が広まり始め、女性や盲人、身体障碍者、聴覚・言語障碍者、ハンセン氏病患者たちも自分たちの人権に目覚めて、郵便を使って、意見を全国的に広めていった。
  1912年から日本の元号は大正になったが、女性運動は都市部から活発になり、平塚らいてうという運動家は「女性は元来、太陽だった」という名言を述べている。障碍者関係も活発に運動し、積極的に恋愛し、結婚する例も増えた。
  でも、1920年代に入り、世界的に不景気になり、そこに1923年、関東大震災で東京は焼失状態。人々の心もショックになり、多くの人はそれを境に急速に内向きになり、社会や人権について語る人は非常に少なくなった。変な新興宗教も流行ったようだし。政治が金権腐敗しても人々は沈黙し、やがて、軍部、特に陸軍が強くなり、わがままにもなり、戦争への道を歩んだわけだが。軍事政府みたいになり、当然ながら、人権も無視され、健康な男性は徴兵手紙だけで戦地に行かされるなど、人権も、命もない状態になっていった。一部の人は抵抗もしたが、警察に捕まり、まともな裁判も受けられないまま、投獄された。日本に侵略や植民地支配された国々の人々にとっても勿論だが、日本人にとっても暗い世の中になった。それも関東大震災の頃から人権を考えない人が圧倒的に多くなったためである。人権を考えない事は恐ろしい事であり、軍事政権や戦争の根の大きな一つであるとも言える。
  次回は最後。戦後です。一番僕が述べたい時代です。