トシコロのありのままの暮らし


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戦後の日本の人権

2015-06-12 13:53:28 | 日記



   戦後の間もない時期に作られた憲法は「国民主権・基本的人権・戦争放棄」が三本の柱である。でも、当時の日本国民のほとんどは人権についての観念すら持たなかった。食べ物が少なかったので、飢えからの脱出の事が最大の国民の関心事であった。後、お米は増産されて、次第に飢えは克服されたが、その後も人権に関心を持つ人は増えなかった。

  僕も事情は詳しく知らないが、1960年代に入り、大学生などの若者がそれまでの学校で習った「人権」の問題を掘り下げて論じて、生活や仕事に生かそうとしたそうだ。「人権は普遍的に存在する」という観念を持つと、地域や立場、信仰、国籍すらも超えて付き合える。実際、当時の若者たちはITもないのに、大学の場はもちろん、公園や喫茶店、電車の中などで次々と若者同士が知り合い、熱く人権や社会、政治、恋愛について語り合い、男女は熱い恋に落ちる者たちも多かった。その流れが「学生運動・全学連」になっていった。彼らは「このまま人権国家を樹立しなければ日本は再び戦争する国家になるか、お金万能の世の中のどちらかになってしまう。どっちもまずい。そのためにも人権観念を日本中に広める必要がある。また、全ての人々が人権観念を持てば、一切の差別も消える」と思い、それを広めるための運動をしようとしたわけです。

 でも、戦前の教育を受けた人達は人権観念が判らず、次第に「世代の断絶」という言葉も生まれた。まだ戦前生まれの人たちの方が多かった事や、戦後教育を受けた人達の中にも人権観念が薄い人たちも多かったため、人権観念を持った若者たちは孤立していった。じれた若者の一部が「ならば、フランス革命のような暴力革命しかない」と思うようになり、ゲバ棒をふるったり、1969年には東京大学の講堂を占拠して、警視庁機動隊に排除された事もありました。その事件は全学連の人たちにとっては挫折となったようで、その後は「何を語ってもムダだ。この世はなるようにしかならない」と思う若者が非常に増え、政治や社会に無関心になっていきました。個人的な事ですが、僕の所に来た若者ボランティアの人たちも1970年までは社会や政治に対する関心が強く、明らかに外向きだったのに、それ以降はそのような人たちは何故か来なくなり、代わって、自分の所属するサークルや学校の事ばかり話すような人ばかりが来るようにもなりました。聞いた話ですが、人権などを熱く語る人たちは1970年以降は「沈黙」するようになったわけです。

  人権は公には語れなくなったものの、福祉関係では人権抜きには語れません。1990年ごろから日本では要介護高齢者が増え、高齢者施設では人権無視の事が絶えず起き、その度にニュースに流れるようになりました。同様に、障碍者施設とか。今度は福祉関係から人権が注目され、ITも出来始めてその事が話題として流されるようになった。更に、2001年のハンセン氏病訴訟の事も拍車を掛けて、21世紀になり、60年代とは違った形で人権がクローズアップされた。確かに、誰でも高齢者になるわけだから、その人権が脅かされている状況があれば、全ての人は関心を持ち、考えますね。でも、今の日本でも人権への関心はまだまだ低いです。先日も作業所で知的障碍を持つ人への暴力事件が報道されました。障碍者関係の人権事件は後を絶ちません。又、非正規雇用者の問題もそうです。更には、児童。特に、離婚夫婦の子供たちの人権の事も議論されるべきだと。更には、胎児までに人権を広げて、妊娠中絶の問題も。日本人はもっと人権に目を向けるべきだと。

  全学連の所で述べた「人権意識の低い国は独裁政治か、金を追及するかのどちらかになる」は事実です。戦後の日本がお金ばかりの国になった理由もそれだと。これからは人権中心の価値観を持たないといけないわけです。人権について、皆さんも目を向けて下さい。

戦後の日本の人権

2015-06-12 13:53:28 | 日記



   戦後の間もない時期に作られた憲法は「国民主権・基本的人権・戦争放棄」が三本の柱である。でも、当時の日本国民のほとんどは人権についての観念すら持たなかった。食べ物が少なかったので、飢えからの脱出の事が最大の国民の関心事であった。後、お米は増産されて、次第に飢えは克服されたが、その後も人権に関心を持つ人は増えなかった。

  僕も事情は詳しく知らないが、1960年代に入り、大学生などの若者がそれまでの学校で習った「人権」の問題を掘り下げて論じて、生活や仕事に生かそうとしたそうだ。「人権は普遍的に存在する」という観念を持つと、地域や立場、信仰、国籍すらも超えて付き合える。実際、当時の若者たちはITもないのに、大学の場はもちろん、公園や喫茶店、電車の中などで次々と若者同士が知り合い、熱く人権や社会、政治、恋愛について語り合い、男女は熱い恋に落ちる者たちも多かった。その流れが「学生運動・全学連」になっていった。彼らは「このまま人権国家を樹立しなければ日本は再び戦争する国家になるか、お金万能の世の中のどちらかになってしまう。どっちもまずい。そのためにも人権観念を日本中に広める必要がある。また、全ての人々が人権観念を持てば、一切の差別も消える」と思い、それを広めるための運動をしようとしたわけです。

 でも、戦前の教育を受けた人達は人権観念が判らず、次第に「世代の断絶」という言葉も生まれた。まだ戦前生まれの人たちの方が多かった事や、戦後教育を受けた人達の中にも人権観念が薄い人たちも多かったため、人権観念を持った若者たちは孤立していった。じれた若者の一部が「ならば、フランス革命のような暴力革命しかない」と思うようになり、ゲバ棒をふるったり、1969年には東京大学の講堂を占拠して、警視庁機動隊に排除された事もありました。その事件は全学連の人たちにとっては挫折となったようで、その後は「何を語ってもムダだ。この世はなるようにしかならない」と思う若者が非常に増え、政治や社会に無関心になっていきました。個人的な事ですが、僕の所に来た若者ボランティアの人たちも1970年までは社会や政治に対する関心が強く、明らかに外向きだったのに、それ以降はそのような人たちは何故か来なくなり、代わって、自分の所属するサークルや学校の事ばかり話すような人ばかりが来るようにもなりました。聞いた話ですが、人権などを熱く語る人たちは1970年以降は「沈黙」するようになったわけです。

  人権は公には語れなくなったものの、福祉関係では人権抜きには語れません。1990年ごろから日本では要介護高齢者が増え、高齢者施設では人権無視の事が絶えず起き、その度にニュースに流れるようになりました。同様に、障碍者施設とか。今度は福祉関係から人権が注目され、ITも出来始めてその事が話題として流されるようになった。更に、2001年のハンセン氏病訴訟の事も拍車を掛けて、21世紀になり、60年代とは違った形で人権がクローズアップされた。確かに、誰でも高齢者になるわけだから、その人権が脅かされている状況があれば、全ての人は関心を持ち、考えますね。でも、今の日本でも人権への関心はまだまだ低いです。先日も作業所で知的障碍を持つ人への暴力事件が報道されました。障碍者関係の人権事件は後を絶ちません。又、非正規雇用者の問題もそうです。更には、児童。特に、離婚夫婦の子供たちの人権の事も議論されるべきだと。更には、胎児までに人権を広げて、妊娠中絶の問題も。日本人はもっと人権に目を向けるべきだと。

  全学連の所で述べた「人権意識の低い国は独裁政治か、金を追及するかのどちらかになる」は事実です。戦後の日本がお金ばかりの国になった理由もそれだと。これからは人権中心の価値観を持たないといけないわけです。人権について、皆さんも目を向けて下さい。