トシコロのありのままの暮らし


  世田谷カフェとの交信の必要性で、登録しました。それ以外の皆さんもよろしくお願いします。

感受性

2018-12-31 15:12:02 | 日記
  これこそ、日本全体・個人個人が良くなるカギかもしれない。万葉集の通り、日本は感受性豊かな文化を持ってきたが、いつの間にか、各方面で廃れたようである。高校時代(70年代前半)に読んだ薬師寺管長だった高田好胤和尚、数学者の岡潔氏の随筆集、文芸評論家の亀井勝一郎氏など、多くの本にそれに通じる事への警告が書いてあった。岡潔氏は「情緒」、高田和尚は「心」という言葉を使ったが、基本的には情緒である。亀井勝一郎は当時から「今の恋愛は肉体のスポーツになった」と厳しく批判している。3人共、更に情緒が日本から失われると、大変な事になると警告もした。但し、当時はインターネットがなかったから、読書愛好者にしか伝わらなかった。高田和尚はテレビにも出演されたが、警世には限界があった。


  思えば、それから5年後に僕が福祉会やS園で見た事も以上の現れの一つだったようだ。例えば、S園。82年に身障ミニコミ誌が伝えていたが、外部から来た男性に恋をした女性身障園生に対して、一人の職員が「自分の事もできないのに」と言って、食事抜きのイジメみたいな事をしたそうだ。勿論、全部の職員がおかしかったわけではなく、恋愛などにも理解があった職員もいたが、以上の職員もまともな感受性を持っていたら、しなかっただろう。また、巷では、サークル活動、つまり、何かを通して友人や恋人を作る事が流行り、その「何か」の一つにボランティア活動みたいな事も入っていた。無論、そのような事をしても、ボランティア活動は勿論、友人作りや恋人作りも中途半端になり、何もできないわけだが、こうなった理由の一つも感受性欠落。まともな感受性があれば、そのような曲がった事をしなくても、友人も、恋人も作れるわけであるが。そのような事をすると、人と付き合う事もできなくなるわけである。

  そして、80年代後半。日本はバブル景気。「金満」という言葉が流行り、例えば、金箔うどんなどもテレビで放送された。浮かれた人が多かったわけ。僕は思うが、そこで更に感受性を失う人たちが増えたと。お金主義の冷たい風潮に日本はなっていった。当たり前だが、バブルはすぐはじけたが、多くの人たちの感受性は回復せず、いつの間にか、「自己責任」という言葉が曲がった意味でも使われ、感受性が回復するかと思われた東日本大震災の時もそうはならなかった。大体、震災後も感受性の問題に世間は気が付かなかったわけである。

  学校の問題も。先生も、生徒も感受性を忘れれば、イジメも公然と起きるわけだ。今の高齢者福祉関係の虐待とかも。非恋愛とか、離婚の件も。親子不和。

  その中、「死」を意識した高齢者たちの中には感受性も強まり、その現象の一つとして恋愛も。でも、感受性を強める方法は「死」だけだろうか。他にもある気がする。まだ僕にも判らないだけで。とにかく、感受性は取り戻さないと日本に未来はないとも思われる。

  もう一つ。第二次大戦中の日本社会にあった精神主義は感受性に基ずくものではないから、そには注意したい。感受性は人間の弱さ自覚から来るが、戦時中の精神主義は「人は強くあれ」という軍国思想が根にあるから、全く別のものである。心を強調すると、「強くあれ」みたいな事を思う人も今もいるようだが、それもおかしいと思う。気を付けたい。いつの世でも、人は弱いわけである。

高齢者恋愛を改めて想う

2018-12-31 11:50:14 | 日記
  少し前、話のついでにその問題を少しだけ述べた。そうしたら、投稿先の一つのフェイスブックの福祉関係コミニティで鋭い反応が多くあり、僕も驚いたほどです。その理由などを改めて考えています。


  一つには、死の問題があると。自分が死ぬ事を実感すれば、自分が愛しくなり、その延長で他人も愛しくなるからです。結果的に恋愛も。現代社会は死人を余り見掛けないため、高齢になるまで、自分の死も実感できない人が多くなっているわけですね。

  更に突き詰めれば、以上で感受性が強まるわけですが、人間の恋愛の本質も感受性だからです。他人、特に異性の心を、当人も気が付かない内に受け止めてしまう。多くの小説にもその様子は描かれています。その感受性も同じ人物でも、強まったり、弱まったりもする。島崎藤村の自伝的小説である「春」には、自分の道選択の悩みなどで感受性が強まった後、恋愛した経験が描かれているわけです。親友(=作家の青木透谷)の自死の後も同様でしたし。その他にも、夏目漱石の「心」とか。実際の人物でも、結核で死を意識したショパンの例とか。僕も感受性が高まった時に恋愛した事が昔にありましたし。逆に、感受性が鈍くなった時はいくら異性と出会っても、恋愛は生れない。生存本能主体の動物の恋愛とは違うわけです。従って、高齢者たちも感受性が強まれば、恋愛するのも当然でしょう。

  今は性的な事など、何かの魅力が恋愛の根だと思う人が多いようですが、それは違うようです。感受性の事が注目されていない状況が社会にあれば、今の日本の非恋化も当然でしょう。感受性の判らない人たちが高齢者福祉関係の何らかの仕事に就き、高齢者の恋愛の場を見ても、まともな対応ができるのか。問題です。更には、恋愛できるだけ、感受性が強まっている高齢者ならば、何かの理由で好き合った人同士を引き離すような事があれば、当人はウツにもなりかねないわけで、それも心配な事です。

  因みに、結婚については、この文ではあえて述べません。財産とか、ご家族など、別な要素も入るから、別の機会に述べる必要があるわけです。

  難しい事かもしれませんが、高齢者以外の人たちも何らかの理由で感受性が強まれば、恋愛も多くなり、非恋社会は変わると思います。そうしたら、日本も活気が生まれます。よく「性的な事など、恋愛は魅力で生まれる」と聞きますが、そうでしょうか。今の僕には疑問に思います。何かの魅力で結婚した人たちに離婚が非常に多いからです。何だと。魅力の有無を越えたものが愛だし、別の見方をすれば、人間は心があるから皆魅力的だとも言えるわけです。魅力的でない人は麻原やヒットラーくらいで。

  それから、昔、僕は多磨全生園という国立ハンセン氏病療養所に行きましたが、その多くのサポーターから「恋愛もできないような人たちは、療養所には来るな」という話を聞きました。今思うと、元患者相手の交友にも、「感受性」は欠かせないからだと思います。関係あると思います。確かに、感受性が鈍ければ、人の痛みも判らないから、無意識的に人を差別もしますよ。

  もう一つ。感受性は政治にも絡む事は言うまでもありません。感受性の鈍い政治家は、民の声も聞けず、ろくな事をしないからです。歴史には例が多くありますね。

  以上です。「感受性」の問題も改めて書く必要があるかと思います。

文芸誌投稿から

2018-12-28 14:23:31 | 日記
  湘南初詣                     文芸誌投稿文
 
 当時の僕が所属していた福祉親睦会で、初詣に行った思い出である。
 1979年12月31日夜7時頃、比較的僕の家に近い人たちが、身障を持つ僕の家に来て、始まった。その中には、精神障碍と重いテンカンを持つX君もいた。皆は家から少し離れた小田急線・梅ヶ丘駅に行き、当時からあったスロープで駅に上がり、まず、新宿。そこで東京の東部に住んでいる友人たちと合流。中央線で東京駅に行き、そこで東海道線の各駅停車で、湘南海岸を目指す。途中の駅の階段では、僕の車いすを数人で担ぎ上げるように持ち上げての移動である。列車から僕は夜景を見ていた。おしゃべりが好きなX君は皆に盛んに冗談を言っていた。まるで寅さんみたいに。
 11時過ぎ、藤沢駅に着く。まずは、腹ごしらえと、喫茶店に入り、サンドウィッチなどの軽食をめいめい注文。それと僕はウィンナー・コーヒーも飲んだ。冬は暖かいものに限る。途中、時計が12時を指す。1980年の幕開けを皆で祝った。今年はどんな事があるだろうか。
 我々は南に進路を取った。途中は閑居な住宅街。あたりは暗く、寒風も吹く。着こんでいるとは言え寒い。飲料の自動販売機。X君が冷たいジュースを買い、飲み始める。こんな寒い時に。僕は少し変に感じた。飲み残しのジュースを彼が僕に「飲むか」。僕は「いらない」と。飲めば、腹痛が起きるに決まっている。X君は体が暑いのだろうか。
 海岸に着いた。多くの若者たちがにぎやかに騒いでいる。活気が感じられる。薪が燃えている所に我々は行くが、やはり、寒い。日本酒を持ってきた人もいた。さっそく、暖めて皆で飲み、寒さをしのぐ。目を空に向けると、星々が煌々と輝いている。波の音が心地良い。冬の海も良いものだ。
 数時間たち、東から少しずつ明るくなり、星々が見えなくなった。初日の出が近い。僕も目を東に集中。雲もたくさんあったが、水平線の端から太陽の先端が見え始めた。力強く光っている。1980年の始まりだ。そこの全ての人達が太陽に注目。祈っている人もいる。前年は犬吠埼の初日の出を見たが、ここの初日の出も素晴らしい。来てよかった。
 帰りは藤沢駅から小田急線の急行。初詣帰りの人達が乗っていた。30分経ち、X君の様子がおかしい。気持ちが悪くなったと言う。ポケットから病院の電話番号をメモした紙きれを出すと、そのまま倒れた。意識はあるが、全身がまるで木になったような感じで、非常に苦しそう。周りの人たちも驚き、一人が車掌を呼んできた。ただ一人、日大生のH君は冷静な対応で、X君の上着を少し脱がせる。「心配する事はない」と。僕も初めて見るX君の発作に驚き、彼の死をイメージして恐くなった。電車は駅に着き、二人の友人がX君を抱えてそのまま、降り、後は救急車に乗り、指定された病院に。今年はどんな年になるやら...。
後から聞いた話、X君は元気になったとのこと。終始「体が熱い」は発作の前触れだったかもしれませんが、医者でもないので、詳しい事は僕には書けません。但し、難病を持つX君を含めて、一緒に楽しい思い出ができて、何よりでした。正月に因んだ思い出です。

身障者などの差別を滅する方法の一つ

2018-12-27 11:52:39 | 日記
  身障者も、健全者も、ハンセン氏病元患者も、自分も皆も死ぬ身である事を心の底から自覚し合う事である。確かに、火葬もされ、遺灰になれば、身体障碍者も、知的障碍者も、ハンセン氏病元患者も、力士も、健康な人も、金持ちもないからね。以上のその他の障碍者や、諸々の日本のマイノリティたちも同じである。死に神は平等に取りつく。時期が早いか遅いかだけの問題で。人間は皆朽ちていく弱い存在である。最近も横綱だった千代の富士が他界されたわけだし。かつては力強く相手を投げ飛ばした大横綱も、死ぬ身であった。


  「弱さ」を自覚し合えば、皆同じ弱い人間である事を悟り合い、そこから連帯意識も生まれ、気持ちの細やかな察し合いも行われ、共に生きるという発想にもなる。真の友人関係、真の恋愛や結婚は勿論、共に生き合う福祉社会にもなる。いわゆる「健全者は障碍やハンセン氏病後遺症を持つ人よりも強いから、助けてあげる」とか、そのようなものではなく。旧友のボランティアたちも「助けてあげる方式は差別的でおかしい」と気が付いたが、では、どのような発想が良いのかと考え付かず、悩んだ人たちも多かったわけである。接した身障者やハンセン氏病元患者たちも以上には気が付かなかった。それらの間の壁は高く、付き合いさえもできなかった。更には、身障者同士も同様で、独り言ばかりの言い合い、ある身障会ではケンカもあり、バラバラになっていった。僕も「死」絡みの伊藤まつさんの他の元患者とは付き合えなかった。彼らも死ぬ事を自覚していなかったから。それでハンセン氏病差別の事を話してきたわけだから、僕も訳が判らなくなり、付き合いを止めた例もあった。今思えば、「死ねば、元患者も、脳性まひ者もない」と言えば良かったわけだが。

   勿論、身障者関係で深刻化している身障者への恋愛・結婚差別解消にもつながると思う。大体、死ぬ身である事を自覚しなければ、自分が愛しいとも思えず、ましてや、異性が本当に愛しくなるね訳もないのである。せいぜい顔とか肉体に魅かれるくらいで。又は、寂しいから慰めを求めるエゴとか。それらは恋愛でも何でもないわけだ。そうではなく、死の自覚からの連帯意識がつなぎになれば、男女も簡単に恋愛ができるし、その中に障碍を持つ人たちも自然に入るわけである。それは理想論でも何でもない。むしろ、「死」という現実から出発する事。それを今の日本人は忘れている。現実主義的でもない訳である。真の福祉も「死」から始まるわけである。

人をつなぐもの考

2018-12-26 10:38:09 | 日記
  人をつなぐものは何かと、昔から僕も、色々な立場の友人たちも考えてきた。お金、社会活動、個人が持っている魅力、言葉、神仏、遊び、セックス、コンパ、...。中には「教育」だと考えた友もいた。でも、実際には根本問題ではなかった。「十字架」がつなぎ役になっているはずのキリスト教の信徒たちでさえ、以上の問題に悩んでいた。判らなかった。でも、ちゃんと答えはあったわけである。例の伊藤まつさんの他にも、小中高学時代の筋ジストロフィーという難病の人たちの生き方にも答えはあったし、内、気が合う一人と「死ねば、やりとりはできなくなる」と思い、彼が死ぬまで文通もしたわけである。その人は勉強と野球が好きで、学校時代は思い切り勉強し、卒業後はプロ野球に詳しく、僕にその解説の手紙も下さった。25歳くらいで、天国に行っている。夢に時々彼と、もう一人の同病だった人が現れるが。天国から遊びに来ているみたいで、面白い。


  神とか十字架の意味も、死を下敷きにしなければ判らないわけである。聖餐式も。だから、僕の出会った多くのクリスチャンたちは「聖餐式はコンパである」と言っている始末。牧師でさえ。「神」も、苦しくなった時に現れて、自分を救ってくれるウルトラマンみたいなものだと考えているクリスチャンが多く見られた。あくまでも、自分だけの神様。クリスチャン同士の共有が見られない。各人、「死」を自覚できていなければ、こうなるわけである。逆に見れば、死は全ての人たちに訪れる以上、死の事を述べ合えば、異教徒間の共有や和解も十分可能である。

   また、ボランティアなど、社会活動に打ち込んだ人たちが、同様に人とのつなぎが判らない事に悩んだ果て、「人や社会をつなぐものはない。社会活動してもムダだ。社会変革なんてできない」と言い出し、社会から背を向けた人たちも僕は見て来ている。そのような例も日本では多いそうだ。無論、本人たちは不本意だが、つなぐものが判らないと、止めざるを得なくなるのだろう。

  死は全ての人たちにとって、人生の一番大切な部分。死を自覚しなければ、自分の事もよく見えず、ましてや、他人の事も見えなくなるわけである。僕も長らくはそうであった。だから、伊藤まつさんの事も思い出せなかったわけである。でも、ある知人の死の事から、反射的に自分も死ぬ存在である事に気が付き、その結果の一つとして、伊藤まつさんの事も思い出せた。また、詳細は言えないが、ある友人が困った状態になったとメールで知らせてきた。僕は細かく接し、相手の心も細かく見ることができて、対応は成功した。少し前の僕にはできなかった事ができているわけである。少しずつ、付き合っている人たちの細かい心の様子も見え始めている。死の自覚で、自分の事が飛躍的によく見えるようになったから、他人の事も見えるようになったわけである。相手を細かく見て、その事を話せば、相手も自分にそうしてくれるし、次第に相手も死を自覚する。相手も相手自身の事がよく見えてくるはずだ。同性でも親友になれるし、異性間なら恋愛や結婚も可能である。今までの僕に御縁がなかったのも、そのような理由だったわけだ。

   1970年以前の日本の若者は活発に恋愛した。その様子は、グループサウンズなど、当時の歌謡曲も伝えている。でも、その「恋愛」は何だったのだろうか。例えば、その歌の一つに「好きさ、好きさ、お前が好きだ」と騒ぎ立ている歌がある。今もラジオで時々聞くからよく判るが、恋愛本来の細かい心のやり取りは見られない。ある人は「発情ソングだ」と皮肉を述べたが、僕には言葉の暴力にすら思える。言葉の性暴力と言おうか。ただ異性にそう言っても、心の細かい交流がないから、楽しくないし、続かないわけでもある。そのようなやり取りがその時代に多かったのならば、後で恋愛自体が廃れたのも判る気がする。恋愛は男女間の細かい心のやり取りが本質だが、それも互いに自分を知らなければ成立しないものである。自分の心も知らない人が、異性の人の心が見えるだろうか。自分が見えない者同士が付き合っても、まともな交際にはならず、愛も生れないわけである。果ては、御覧の通りの非婚社会になったのも当然である。セックスが人を結ぶわけもない。人は心を持つ存在だから。

  人をつなぐものは、そのまま自分を知る事でもあるわけだし。死を自覚しないと、自分の事も見えない訳である。